高橋克也被告の控訴棄却・・・麻原彰晃死刑囚たちの「執行Xデー」カウントダウン 『サンデー毎日』2016/9/25号

2016-09-18 | オウム真理教事件

オウム事件
「無期懲役」高橋克也被告の控訴棄却 「麻原彰晃死刑囚」たちの「執行Xデー」カウントダウン
 2016年9月15日 Texts  by サンデー毎日

■遺体はどこへ? 「麻原の骨」が仏舎利になる
 東京高裁は9月7日、元オウム真理教信者、高橋克也被告(58)に対する無期懲役の1審判決を支持、控訴を棄却した。これにより一連のオウム裁判の実質審理は終結、次の焦点は麻原彰晃死刑囚ら13人の「執行」のタイミングだ。果たしてXデーは近いのか―。
 それが法廷でオウム事件の被告人を見る最後だった。
 9月7日、東京高等裁判所102号法廷。黒いスーツに白いシャツで姿を現した高橋克也被告に、開廷予定時刻の午後1時30分には「少し早いですが」と栃木力裁判長は前置きしてから、控訴審判決の主文を言い渡した。
「主文。本件控訴を棄却する。未決勾留日数中450日を原判決の刑に算入する」
 その宣告の間に、法廷が横に大きく揺れた。「地震、地震」という小声が上がる。折しも最大震度3の揺れが東京を襲っていた。
「地震があるようですので、待ってください」
 裁判長はそう告げると、揺れの収まるのを待った。その間も、高橋被告は法廷中央の証言台の前に立っている。
 私が最初に法廷でオウム事件の被告人を見たのは、東京地方裁判所で一連の刑事裁判が本格的に始まった、ちょうど21年前の1995年9月のことだった。以来、継続して傍聴取材してきたが、地震で裁判の進行が止まるのは初めてだった。
「収まりましたので、もう一度」
 裁判長は、再び主文の宣告をやり直した。だが、頬がこけた高橋被告の表情が変わることはない。
 地下鉄サリン事件、VX襲撃事件、目黒公証役場事務長監禁致死事件、都庁爆発物事件に関与した高橋被告は、1審の無期懲役判決を不服として控訴していた。「地下鉄にサリンを撒(ま)くとは知らなかった」と無罪を主張し、また、証人として麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚を呼ばなかったことを違法などとしていたが、この日の控訴審判決では、「1審の判断に誤りはない」とされ、無期懲役判決を支持して裁判は終わった。
 これから高橋被告が上告する可能性もあり、また、昨年11月に東京高裁が無罪を言い渡した菊地直子被告を、検察が上告しているが、最高裁では法令違反などを書面で審理するのみで、被告人が出廷することもない。2人と同じように17年間の逃走を続けていた平田信元信者は、既に懲役9年の実刑が確定している。
 これですべてのオウム事件の実質審理が終了したことになる。
 95年に始まった一連の裁判は、2011年に13人の死刑が確定して一旦は終結したはずだったが、3人が逮捕されたことにより、14年から再開していた。
 最後の逃走犯3人の裁判は、それまでとは違い、裁判員裁判で裁かれることに大きな特徴があった。
 だが、この3人の裁判を一言で言い表すならば、それまでの裁判と比べた「劣化」だった。
 それぞれの裁判には、複数人の証人が出廷した。死刑囚が呼び出されるという異例の措置がとられたり、罪を償い、社会復帰しているかつての共犯者もいた。
 だが、およそ20年前の事件について語る証人たちの口を突いて出てくる言葉の多くは、当時の事件について「覚えていない」「忘れた」だった。
 そこには、時間の経過による記憶の消失もあっただろうし、新しい人生を歩んでいるが故に、忘れたいという気持ちも働いたはずだ。時間の壁が、真相の究明の前に立ちはだかる。
■逆転無罪「菊地直子裁判」の行方
 記憶の劣化は、高橋被告も同様だった。
 1審の裁判員裁判で、4日間にわたって行われた被告人質問。地下鉄サリン事件において、当時のことを訊(き)かれると「記憶にない」を連発している。しかも、弁護側から質問がやってきても、しばらく黙って言葉を発そうとしない。
 その態度は、本当に記憶にないことを思い出そうとしているというより、質問に対して、どのような答え方をするべきなのか、これを言ったら不利になるのか、自分の身の振り方を一所懸命に考えているように見えて仕方がなかった。検察官からの質問や、情状の尋問に至っては、それが顕著に表れてきて、黙った揚げ句に引き出される答えが、質問の趣旨とまったく異なっていることさえあった。
 そもそも、17年も捕まらなかったとはいえ、自分の関与した事件、それも13人もの死者を出した地下鉄サリン事件について、「記憶にない」「忘れた」を連呼するあたりは、長期逃亡の間にまったく事件と向き合ってこなかったことを物語る。
 逮捕時には麻原死刑囚の著書12冊、歌の吹き込まれたカセットテープと、2人が写った写真を所持していて、法廷では麻原のことを「グル」、すなわち宗教的指導者と呼んでいた。高橋被告は、いまも事件から逃げ続けているといっても過言ではあるまい。
 無期懲役判決に未決勾留日数が算入されていることは、仮出所を前提とした、事実上の有期刑を示唆したものだった。極刑を免れた以上の“逃げ得”だったのではないか。
 菊地被告は1審の懲役5年を覆して、控訴審で無罪となった。裁判員裁判の評議をひっくり返すという制度上の問題も含んでいる。
 菊地被告が起訴されたのは、いわゆる都庁爆発物事件で都知事宛てに郵送された爆弾の爆薬の原料となった薬品を、山梨県上九一色村(当時)の教団施設から東京都八王子市のマンションの教団アジトに運んだという、爆発物取締罰則違反幇助(ほうじよ)、殺人未遂幇助の罪に問われたものだった。
 ところが、菊地被告が、運搬した薬品が爆薬になることを知っていたことを示す直接的な証拠はない。
 しかも、教祖の逮捕を阻止するためのテロ事件を起こすことを、直接指示されたわけでもなかった。
 だが、薬品を運び込んだアジトには、中川智正死刑囚をはじめ井上嘉浩死刑囚などの教団幹部たちが集結していた状況や、その秘密のアジトに招き入れられたこと、それに教団への強制捜査がずっと続いていたという、ただならぬ状況の空気から、彼らが起こそうとしていたことはわかったはずだ、それも運び込んだ薬品が殺傷能力を持つものに生成されることもわかったはずだ、とするのが裁判員の判断だった。
 ただし、その薬品が火薬の原料になるとわかっていたとまでは言い難いとして、爆発物取締罰則違反幇助は適用されずに、殺人未遂幇助だけが認められて懲役5年の判決となったのだった。殺人でも、殺人未遂でもなく、未遂幇助だけで、懲役5年というのは、さすがに重い。そこには裁判員のどこかに「オウム事件」だからという空気が流れていたことはなかっただろうか。
 その同じ公判で、検察は、井上死刑囚に当時の教団の教学システムや薬物を使ったイニシエーションについて証言させ、「麻原の武装革命を起こすために信徒を兵隊として使う、その為に信者をそのような兵隊として、人格を作り替えるもの」と主張させ、組織内部の特異性を立証して、菊地被告の犯意を裏付けようとした。
 なるほど、短時間で裁判員に説明するのには手っ取り早い論法だろう。
 しかし、それまでのオウム裁判で、そうした主張を繰り広げてきたのは、むしろオウム事件の被告弁護側のほうだった。
 麻原の指示には逆らえなかった、絶対であった、として教祖の手足として利用されたという犯罪者たちの主張。与えられた任務の目的も聞かされなかった、聞いてもいけなかったという教団の異常性。マインドコントロール理論も証拠検討されたこともあった。
■死刑囚13人の分散留置始まる?
 だが、そうした主張にことごとく反論してきたのは、検察側であり、そして裁判所もそうした主張は認めてこなかった。それが逆手にとられて無罪に至ったとも考えられる。
 いずれにしても、これで無罪であるのなら、懸賞金までかけられた17年間の特別手配は、いったい何だったのだろうか。
 劣化といえば、新聞、テレビの半分は事件について「VXガス」と表記して報道しているが、これはまったくの間違いである。事件はジェル状の神経剤「VX」を注射器で皮膚に滴下することによって、相手を死に追いやる暗殺事件である。ドロドロの液体であって、気体でない。言い換えるならば「気体の滴下」という常識を無視した異次元の状況を作りあげている。法廷でも誰も「ガス」とは言っていないはずだ。裁判再開前の報道であれば、「VX」と報じられていたものが、いまでは正確な報道がなされていない。歴史を歪(ゆが)める報道の罪とも言える。
 こうして、実質審理がすべて終結したオウム裁判は、次の段階に入る。
 13人の死刑の執行である。
 最高裁の判断によっては、菊地被告の差し戻し審の可能性もあるが、死刑囚の証人尋問は終了している。
 実質審理が終了したいまとなっては、執行を妨げるものはない。
「本格的には最高裁の判断を待ってから、ということになるでしょうが、法律的な支障はない」(法曹関係者)
 そうなると、次に注目されるのが、13人の死刑囚の分散留置だ。
 明治以降の日本の刑事事件で、最大の死刑判決が出たのが大逆事件(注1)で、12人が死刑となっている。オウム事件はそれを超える史上最大のものとなる。
 大逆事件では12人が一斉に処刑されている。法律上の規定はないが、現在でも、同一事件の共犯者の死刑が確定するのを待って、全員が同時に執行されることが慣例となっている。
 いま13人のオウム死刑囚は、全員が東京拘置所に収監されている。しかし、東京拘置所では1日に13人に執行することは、現実的に無理だ。
 そこで全国の死刑執行設備のある拘置所に分散させて、留置する。
 実は、11年11月に遠藤誠一死刑囚の刑が確定してオウム裁判の終結をみた同年末には、分散留置が実施される直前だった。
「ある死刑囚は、実際に東京から名古屋まで移管されたとも聞いています」(オウム対策弁護団の弁護士)
 ところが、その年の大晦日(みそか)に平田信特別手配犯が出頭する。このため分散留置が急きょ、取りやめになった。
 当時の出頭の理由として、平田特別犯は、
「これで死刑の執行は延びる、麻原以外の信者の死刑の執行は勘弁してほしい、という気持ちがあった」
 と、公判で語っている。実際に、彼の裁判には共犯者の死刑囚が証人として呼ばれている。まんまと目論見(もくろみ)どおりに進展したのだが、最後に高橋被告が法廷を去って、もはや止めるものは何もなくなった。いつ執行されてもおかしくはない。
 ただ、全員同時執行はあくまでも慣例であって、教祖だけが単独で執行される可能性もある。
■「遺体引き取るため離婚しない」
 そうなると、もう一歩進んで懸念されることがある。
「麻原の骨の行方です」
 自らもサリンによって殺されかけた、教団に詳しい滝本太郎弁護士が指摘する。
「正確には、誰がその遺体を引き取るのか、それが問題です」
 仏教でもお釈迦様の骨である「仏舎利」は神聖な意味を持ち、卒塔婆や五重塔などは、その仏舎利を納めた場所として崇(あが)められる。信者、信奉者にとって崇拝の対象としての骨の存在は絶大である。布教にも大きな影響を与えた。
 同じように麻原死刑囚の骨は、神聖なものとして受け止められ、これを手にした人物が教団の後継団体でも大きな求心力と影響力を持つことになるはずだ。
「それが理由で、いまでも麻原の妻は離婚しないのではないか」(滝本弁護士)
 麻原の妻は教団信者のリンチ殺害事件に関与して懲役6年の実刑判決を受け、既に出所している。2000年に破産した教団の後継団体は、主流派の「アレフ」と、上祐史浩氏が代表の「ひかりの輪」に分かれる。公安調査庁は妻が現在も「アレフ」の役員であると認定し、団体規制法による監視処分の理由に挙げている。
「法律上は、妻が遺体を受け取る第1順位にいます。裁判中でも離婚ができたのに、しなかったのはそのためでしょう」
 出所後、妻は家庭裁判所の正式な手続きを踏み、戸籍上の名前を改名している。だが、教祖との婚姻関係は破棄せず、いまも戸籍上は「松本」姓のままだ。
「かつては、麻原の髪の毛を5万~10万円で売っていましたし、いまも大切に持ち歩いている信者がたくさんいる。表だって指導者とならなくとも、骨を持っているというだけで、その陰の影響力は絶大なものになる」(滝本弁護士)
 公安調査庁が今年1月に公表したところでは、オウムの後継団体は現在、約9億円の資産を持ち(注2)、幹部構成員らが松本・地下鉄両サリン事件を正当化する発言をしているとされる。そんな場所に骨が戻ることが果たして適当なのだろうか。偶像崇拝の極致にある道具が神聖化され、利用されることで、再び危険な教義が暴走をはじめることはないと言い切れるだろうか。
 そのカウントダウンが、既にはじまっている。
(作家、ジャーナリスト・青沼陽一郎)

*あおぬま・よういちろう
 1968年長野県生まれ、早稲田大学卒。オウム真理教をはじめとする犯罪・事件、原発、食の安全などをテーマに、精力的な取材に基づくルポルタージュ作品を発表し続けている。『フクシマカタストロフ 原発汚染と除染の真実』『帰還せず 残留日本兵六〇年目の証言』『オウム裁判傍笑記』など著書多数

(サンデー毎日2016年9月25日号から)

◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――
是々非々にて候。
――――――――
オウム平田信被告 第17回公判 2014.2.20. 「麻原以外の者の死刑は勘弁してほしい」出頭時の心境語る 
-----

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 映画『怒り』 “人間はわから... | トップ | 【飛田新地の内幕】密やかに... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。