五木寛之氏の『親鸞』

2009-03-16 | 仏教・・・
五木寛之氏の『親鸞』
 162 2009/02/15 SUN
「よいか範宴、食は行乞に依る、これが釈尊の教えられた出家生活の第一歩じゃ。そなたのきょうの横川での食事は、托鉢によるものではない。横川りゅう厳三昧院に住む僧たちぜんぶの暮らしには、およそ5五百石があてられておるという」
「五百石ですか」
 範宴はこれまで考えても見なかった山での暮らしの内容をきいて、あらためて驚いた。
「そうじゃ、それに、衣は糞掃衣(ふんぞうえ)に依れとは、うち捨てられ垢にまみれたボロ布をまとえということじゃ。(略)ところがどうじゃ、お山の高僧、学僧たちはいまどんな格好をしておる。キンキラキンの錦織りで、なかには衣の絹の斤量を競いあう風潮もあるとか。範宴、そなたはよい。酒も飲まぬ。女も抱かぬ。貧しい黒衣(こくえ)で、貧民のための治療も手伝う。しかし、お山で食事をし、あたえられた衣服をまとい、そこで暮らしているだけでも、すでに四依(しえ)の教えを破っておるのじゃぞ。(略)」
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五木寛之氏の『親鸞』
 191 2009/03/16 MON
(略)世間が荒廃していくにつれ、吉水の法然のもとにあつまる人びとはふえる一方だった。
 範宴はいつも夜明けに吉水へいき、できるだけ法然の声がはっきりきこえる場所を確保しようとしていたが、きてみると、すでに大勢の人が草庵をうめていることがある。(略)
 夜をすごすのは、鴨川の橋の下だ。(略)
 周囲には骨がちらばっている。(略)
 衣はすでにぼろぼろである。汗と垢でまみれて、異臭をはなっている。これこそ本物の糞掃衣だ、と自分でうなずく。
 僧というものは、常乞食、常糞掃衣が本来の姿ではないか、と納得する。
 吉水での聴聞のあと、夜は六角堂で法螺房の手伝いをしたり、托鉢にあるく。何日もろくな食べ物が口にはいらぬときもあるが、食を断てば気持はかえって冴えてくる。
 頭はのびた髪を紐でゆわえ、ひげがのびすぎると河原の石をこすりあわせて切る。
 横川では誰よりもたくましかった体は、すっかり痩せほそって、胸にはあばら骨がくっきりと浮きだしていた。頬はこけ、目だけが異様に鋭い。
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〈来栖のつぶやき〉
 修道者ではなく市井に暮らす私だけれど、五木寛之氏の『親鸞』は、切実に問い掛けてくる。「人間としておまえの生きかたはどうなのか」と。苦しいほどだ。
 「昔」と呼ぶほど古いことになったが、フランシスコ会本田哲郎神父から、福田管区長(当時)との遣り取り(書簡)のコピーを戴いて読んだことがあった。管区が本田師に二つの教会を挙げて、どちらかを司牧してくれ、という内容だった。口調は慇懃であったが、断れば除名も辞さないとの厳しさを漂わせてていた。それに対して本田神父は「フランシスカンであるために、教会は司牧しない」と明言した。釜が崎で生活しておられる(私は「司牧」を否定するものではない。司牧の苦しさも、垣間見ているつもりである)。
 師が修院を出て釜が崎に移られたのと私が勝田清孝と出合ったのとがほぼ同時期で、多くを教わった。助けられた。本田神父の存在がなかったら、私の生き方、清孝との関わりは、違うものになっていたのでは、と思う。
 人は戒律を犯さないでは生きてはゆけぬ。殺生は禁じられているが、他の生きものの命を奪い、食らわなくては生きてはゆけぬ。いや、命のためならば致し方ないとしても、人は例えば「化粧品のために無辜の動物をモノのように実験として使い、捨てる。動物の痛みにも顧慮しない」。便利・快適な生活のために、彼らの命の拠りどころである地球環境を破壊する。生きてゆけなくする。
 何かのアニメに、次のようなセリフがあった。「地球のためには、人類が滅亡するしかない」。

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