はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

頭ん中をぐ~るぐる。

2014年07月19日 12時20分54秒 | 漫画・アニメシリーズ
トップをねらえ!op ed 1988 / Animation song of Japan / TV


昨日のこと。
電車に乗って移動中、何故だろう、小学生時代に作った替え歌が頭ん中をぐるぐる回った。
アニメ・新エースをねらえのオープニングテーマ
♪泣きたいときはコートで泣けと~♪という曲である。
替え歌の歌詞は…小学生男子たちが考えるものすごくお下劣下らぬものである。
そんな歌が頭を回りだしたら止まらぬが定説。結局1日中頭に居座り
今もなおぐ~るぐる。ついにはこの記事を書かされているというわけで。

曲が頭にこびりついて離れない、なんてよくある話でしょ。
ちなみにCMソングがその筆頭かも。♪ポリンキーポリンキー♪とか
♪夏は股間がかゆくなる~♪とかそんなの。

その新エースをねらえのテーマソングの替え歌を思い出すと同時に
むかし夢中になって観たガイナックスアニメ・トップをねらえの事も思い出す。
トップをねらえは、エースをねらえをオマージュして描かれたロボットスポ根アニメだ。
懐かしいな~。ちょー面白かった。うおー!もう1度観たい!DVD借りようかな。
なんて考えてる最中にも、もちろんお下劣下らぬ替え歌は頭を駆け巡っていた。

突発的な懐かしさフラッシュバックのダブルパンチを喰らいつつ
お仕事を終えて帰宅してテレビをつけたら最高のドラマが始まっていた。
「アオイホノオ」である。
マンガをドラマ化したもの。
僕も受験しようとして遠いからダメ!と親に反対された大阪芸術大学を舞台とした爆裂学園青春ものである。
実在する人物が多数登場してくる為
ノンフィクションなんだかフィクションなんだかちょっとわからん不思議なストーリーだ。
ここに僕の大好きなガイナックスの面々の若かりし時代が描かれている。
あ、ガイナックスはアニメ等制作会社。エヴァンゲリオンなど。

ドラマ「アオイホノオ」すっげー良かった!
僕の大好きな「若さ故の屈託無きバカパワー」がストレートに描かれていて最高だった!
若い頃は何も怖いものなどないからして
今思えばええー!?て事だって当たり前のようにやれてしまう。
誰しもが絶対に破壊できないとされる壁を大人が造ったとしても
そんな“屁の絶対”など小指1本から放つ“はなくそビーム”で容易く破壊できてしまう様なものが若さのパワーだ。
そして僕はそのバカパワーが大好きだ。
故にそんなんだった昔の自分も大好きだし、そんな昔の仲間も同じく、である。
はち切れた青春大好き!セイシュンバクハツ!
バカバカしい苦悩の末、何かが生み出される瞬間が大好物である。
ドラマ「アオイホノオ」は余計な演出なく、若さや楽しさをストレートに描かれていた。
すごーく面白かった。みなさんもぜひ!観てみてほし~の!

若い感覚の素晴らしさを語るようになったっちゅうことは、僕もおっさんになったっちゅうこっちゃな~。
小中高大学と、面白いと思う発想がとめどなく溢れて抑えられずどうしようもなかった。
その面白さはあくまで自分レベルなものであるが、
しかし思い出して欲しい。若い頃って自分の周りはそんな集まりだったぞって事を。
だから今思えば、おかしくて素敵な発想で日々が進んでいたんだって事を。
僕の周りの友人知人もみんなそうだった。
今じゃ小学生時代の変な替え歌だけがとめどなく流れ抑えがきかぬ頭だ。むー。

芸術や勉学やスポーツなど表現のカタチは違えど、溢れる発想をカタチにかえて
めいっぱい遊びたおせる権限があるってのが、若さである。若さの特権である。
そして大学生時代ってのは、もはや人生の執行猶予時代だろう。
大人と子供の境目「中人間」なもんだから
無駄にたくわえた知恵を生意気に放出できて許される面白い時期かもしれない。
けども、時が流れてたくさんの経験を積んだって、昔も今も自分は自分だ。
何を想おうが、行動しようがしまいが、羽目を外そうがクールにキメようが自分。
何かができないことを大人のせいにしちゃいかんとも思う。
大人は大人の楽しさがある。
子供時分のバカさを踏まえてりゃガキの頃より尚更おもろいはずだ。
なにせほら、自分の責任下において自由だからさ。


最後に、小学生の頃つくった新エースをねらえのお下劣下らん替え歌をのせて終わる。

「新エースをねらえ替え歌」
♪出したいときは便所で出せと あの人はあの人は教えてくれた
つまずいても 漏れそうになっても 私には見える一筋の便所が
まきぐそ この一瞬に賭けた びじぐそ 私の青春
カチカチうんこ 誰にも負けやしない
Ah でかい 太い スペシャルうんこ
でかい 太い スペシャルうんこ♪

めけめけ~。

おわってた「みどりの星」よむ。

2014年03月29日 09時24分06秒 | 漫画・アニメシリーズ
森山中教習所、ぼくらのフンカ祭の漫画家真造圭伍氏の「みどりの星」が“終わっていた”。
終わっていた理由は、以前に当ブログでも書いた“忙しさ理由に読み切れぬ週刊誌”によるもの。
「みどりの星」が掲載されていた雑誌スピリッツを僕は愛読している。
スピリッツは今日現在2014年17号となる。
今僕が読んでいる号は11号。
買うには買うのだが、出張多いわやること多いわでマンガの時間をなかなか割く事が出来ずにいる。
マンガはだいたい風呂で読む習慣だ。入浴しながら読む、ながら読み。
以前はたっぷり読書ができた。何を優先にするか、現在の価値観によるのだろうと思う。
にしろ、マンガや小説は読みたい。日々の隙間にそれをねじこむ現状だ。

2014年11号。今朝風呂で読んだこの号で「みどりの星」は終わっていた。
いいこと、そうでもないこと、まいにち、まいにち色んな事が起こり、まーそりゃたくさん考え、進んでゆく日々である。
そんな時の「みどりの星」最終話は僕に「結局究極最後の愛」を感じさせてくれた。

宇宙を股にかけ活躍するひまわり運輸のロケットが遭難した星は、カエルのような姿をしたむちゃくちゃいいやつらと、地球人に似たやつらとが暮らす不思議な星だった。主人公であるひまわり運輸のアルバイトタカイチが星を救う伝説の「ひまわり」ってやつに祭り上げられ、不時着した星を縦横無尽に駆け巡る。恋をして、戦い、守り、切り開く、そんなSFマンガが「みどりの星」だ。
すっごーく簡略化した内容紹介(紹介になってない・笑)だが、とっても楽しい話。
詳しい内容は割愛するが、ぜひ読んでみてもらいたいマンガのひとつである。

ともすればむずがゆく、恥ずかしいと思われがちな「愛と平和」「絆」ってやつを、僕らは今だからこそ考えねばならないだろう。そう強く思った3年前の大震災。
あれから時は流れた。復興は未だ進んじゃいないという。
人の心は多かれ少なかれ変わっているんじゃないだろうか。
純粋なもの(こと)に対する人の気持ちは自分の置かれた立場の歯がゆさ故に葛藤する。
そこに愛を見つけた時、愛を巡りまた葛藤しながら成長してゆく。
いつしかおもいきることが出来る日がくるだろう。おもいきる時ってのを造るのもまた自分である。
その方法を見つけ、実行するなんて難しいようで実はすごく単純なこと。自分で引いたか引かれたか、線の向こうへ飛び込むか否か、その先に愛があるかどうかだ。

人は生きている以上幾度か、殻ってやつを破らにゃならん時に直面する。引いた(引かれた)線の向こう側へ「えいっ!」と飛び込む瞬間が訪れる。
その瞬間に、そう、それをやれるかそうでないかで、先が決まってくる。
先にもまた殻(壁)があるだろう。線が引かれているだろう。そこでまた同じことを繰り返す。そして先へ。
感動の先にはまた“うだうだ”“もんや~”そしていつもの「これでいいのか?」とした今がある。
もともとあったのか、自分や他の何かや誰かによってもたらされたのか「これでいいのか?」
これでいいならいい!違うなら違う!と自分なりの正義でもって愛を貫き通すことの大切さが実は、いきつく先にある他愛のない日常を手に入れる近道だったりする。

「そこに愛はあるのかい?」守るべきものがある。とらわれていたしょーもないことから解放されたとき、人は優しくなれる。
愛を知るには、例えば、人は成長し大人に成り上がってゆくにつれ、逆に不便になっていることに気づくべきで
たくさんの何かを手に入れている癖に不自由で不器用な生き物に成り下がっているのだとまた気づくべきなのだ。あ、極端なこといえばであるが。
一旦はちゃめちゃやって、壊してリセットする事も大切。造り過ぎると悪循環の度も過ぎる。
どうせ過ぎるなら「結局究極最後の愛」がいい。

普段あまり使わない言葉
「優しくして、優しくなれる。勇気をもって、正義を貫く。愛でもって、みんな幸せになる!胸いっぱい、めいっぱい、いっぱいいっぱいの愛」
僕らはいつでもヒーローになれるチャンスを背中に背負っているのだ。
「みどりの星」から僕はそんなことを今さら今でこそあらためて学んだ。

大好きなマンガがスピリッツでまた終わる。そしてまた、大好きになるマンガがはじまっていると期待する。
今夜また読もう。お風呂に入りながら。
♪ババンババンバンバン ア、ビバノンノン
いい湯だにゃ~♪

めけめけ~。

りんどうの花言葉は悲しみによりそう。

2014年02月09日 19時34分03秒 | 漫画・アニメシリーズ
以前、読めていない週刊マンガ雑誌スピリッツの事をこちらに書いたことがあった。
買っても読めずにいる号が昨年からたまっているというはなし。
読めず?いや、読んでいる時間がしっかりとれず、が正確な言い方。
忙しさ故の優先順位の問題である。

少しずつ読みすすめ、未読の雑誌山脈の高さをだいぶ削ることが出来た。
ついに2014年号まで突入!バンザイ!イエイ♪

その以前書いた際、おやすみプンプンというマンガの最終回のことも書いた。
読めていないうちに、僕の知らないところで大好きなマンガが既に終わっていたりする。
それに気付かず号は嵩む。僕は未だに古いものから読み進める。
情報が古くて残念!ならば早よ読め(笑)

僕は大概マンガはお風呂で読む。
今朝、朝風呂で読んだ号でもまたひとつ好きなマンガが最終回をむかえていた。
2014.2-3合併号、細野不二彦作『電波の城』である。

このマンガの詳しい内容は割愛。
最終回は主人公天宮詩織が自らの命を絶って終る。
とそのひと文だけだとなんとも重々しいイメージであるが
最終回は僕の勝手な印象でとってもふんわりとした
ぬくもりの感じられる救いある安らかな話だった。

マンガを読んでいてよく思う。
登場人物を死なせてしまう時の作者の心内はいかなるものだろうか
また作品の終りを画く時の作者のそれはいかなるものかと。
ページの中、コマの中で活き活きと生きる自分が産み出したキャラをなくす心境は
そりゃツラいに違いないだろうな。
編集社担当と共にあれこれしながら永いこと考え、画き続けた物語に終止符をうつのも
なんとも言い難い複雑な気持ちが入り乱れることだろうな。
なんて勝手ながらに、そんなふうに思う。

僕もメーカーの代表としてたくさんの商品を出してきている。
定番はあるが、基本的にはある程度のサイクルで完売終了し
また新しいシリーズが生まれ出るってのを繰り返している。
全ては長い時間を割き考えた企画をデザイナーが長きに渡り必死にカタチにし
たくさんの人の手と想いが加わった商品だ。
完売してゆく瞬間は、もっのすごく嬉しいのとちょっぴり寂しいのとで複雑な気持ちになる。
でも、たくさんの方々が当社の商品でウキウキしたりニコニコしているんだな
と考えたら、すっごく嬉しい気持ちが心をたちまちにしていっぱいにうめてくれるのだ。

当社では終了した商品も、使ってくれている方々の生活の中で生き続いている。
それこそとても幸せなことである。
発想されたトコロから、大切に想う気持ちが繋がってゆくことは
これ、嬉しさの連鎖である。なんともありがたい。

メーカーは常に新しいものをつくり続ける。
止まってしまったら終わってしまう。まるでマグロのようだ。
なんというか、ただ流れにまかせて売れるものを作ろうとするのではなく
いつでも産み出す喜びと、巣立ちしきる瞬間の甘酸っぱさを
心に共存させていたいと真底思うのである。

めけめけ~。

プンプン。

2014年01月25日 19時45分12秒 | 漫画・アニメシリーズ
タボー、タボーボー、多忙につき、という言い訳につき
僕は今年になっても
大好きなマンガ雑誌スピリッツの去年を読んでいる。
今のは毎週買っている。
読めていないスピリッツの山ができている。

高い山だ。

高いとはいえ、それでもだいぶ低くはなった。
年末に時間をつくり、結構読んだもの。
今は去年の11月の号くらいにまできたろうか。
しかしまだまだ、山は高いな。

今朝、お風呂入浴中に一冊読んだ。
一週分減った。
続きが気になりもう一号読んだ。
浅野いにお、おやすみプンプンが最終回の号だ。
その号の内容と、おやすみプンプンてマンガの説明は割愛。
僕はおやすみプンプンを、好きではないがつい読んでしまう。
ついつい見てしまう、怖~い話やトレンディドラマみたいな感じ。

鼻につく。が、読んでしまう。
読んでしまうから、鼻につく。
鼻につきたくて読んでるのか!?とも思うくらい。
ああ、やっぱり、そういう感じね、なんて確認して
狙いが寒いんだよな、ゾゾ…とする
とか感じながらも、読んでしまう。
嫌なら読まなきゃいい。読んでしまうからには
嫌とは別の、何らかしらの感情があるのかも。
それがなんなのか、実は分かっている。
嫌でも読むなんてそんな茶番を繰り返している。

このマンガの、この感覚が好きだと認めたがらない自分への恥ずかしさ。
昔の自分が大好きだった感覚がこのマンガにあり
今の自分は当時から成長し変わっているのだ
だからおもしろがってはいけないのだ
という、大して変わっちゃいないのに、そんなひねくれ。
認めること、感覚に素直であることへの
なんちゅうか、恥ずかしさ?
そんな、文字にすると余程恥ずかしい、認めたくないあまのじゃく。

今まさに着ている服のブランドショップ前で、その店の店員に
「見て行って!必ず気に入る服があるから!」
と声かけられてしまった時の複雑な心境にも
近からず、遠からず、である。
(そんなこと、実際にありました・笑)

けど実際のところ僕は、おやすみプンプンは途中から最終回前までの内容を
無駄な継続?惰性的?に感じながら読んでいた。
おもしろく感じられんかった。
ただ、最終回が、それを帳消しにした。
おやすみプンプンの最終回は
上手くまとまっているようで、決してそうでなく、抑えて解き放たれていた。
なんだかとても納得した。終わった、という感覚に救われた。
ひねくれた自分が、自分に戻れた気がした。
肩肘はって、乱暴に生きてみても、やっぱりなにものにも逆らえず
僕は僕のまんまに戻ってゆくのだ。
素直にいることがどれほど楽か。また、その状態は
ひねくれた自分と常に背中合わせの紙一重である
という、これまた面白さもいい。
そんなんを感じながら、おやすみプンプンの
終わり良ければなんとやらに多少のズルさも感じつつ僕は笑顔で読み終えた。

いいね、この回
最終回、いいね~。

めけめけ~。

今は何を、。

2013年10月05日 22時54分08秒 | 漫画・アニメシリーズ
自宅風呂場の脱衣場に高く積まれているマンガ雑誌を眺めるたび思う。
いつ読むんだ!?と。
まだ読まれていないまっさらな週刊誌たちだ。
僕はマンガを風呂で読む。風呂でしか読まない。
そんな調子では何かを犠牲にしなければこの山を制覇することは困難だろう。

マンガの山を、何故に築いてしまったのか。
そりゃ買うけどすぐ読めていないからで
毎週の発売に読むスピードが追い付かないからだ。
何故にそんなことになっているのか
そりゃ仕事が多すぎるからだ。
いや、優先順位の問題だろう。
今の僕はマンガを読む時間が風呂しかなかなか作れないのである。
出張中も一日の全ての仕事が完了するのが毎日夜中13時前後。
買ってはいても到底読めない。
これは、マンガを優先にすればたちまち読み終る。
仕事を犠牲にして休日の一日をマンガに費やせばいい。
瞬く間に脱衣場はきれいになる。
それどころか本棚に眠る小説も読みきれるだろう。
しかしいかんせん、大切な仕事は尽きず、それは無理なはなしだ。

趣味を優先するか、仕事を優先するか、なにを犠牲にするかは
自分が置かれたその時その時の立場によってかわってくるだろう。
立場にプラス価値観も加わると思う。

以前に比べて週刊マンガ雑誌はたまる一方だが、仕事はやや順調である。
いやしかしこちら、お金はたまらないのがたまにきずではある。
うまいこと言ってみたところで、まるで笑えん。
休みは無い。といっても、夜はゆっくりできている。
昔は早寝だったから深夜番組が見られなかった。
今じゃテレビはもっぱら深夜。昔見ていた時間帯の番組は見られなくなった。
出張中が僕のお休み、と冗談めかして言うくらいに地方へ出ると解放される。
事務所にいると際限なく増えてゆく仕事から気持ちが解かれてゆくという事。
自宅で音楽を楽しむことは無くなったが、出張中は大概移動がながいのでめいっぱい聴ける。
夜公演のライブや芝居は時々観に行く。
かなり前もって分かる予定にあわせて仕事を組んでゆく。
その予定も、できる限り月末月初がいい。
なにを優先していくかでスケジュールは埋まってゆく。
そのほとんどが仕事ではあるが。

仕事第一だから仕事以外の先の予定を入れてしまうと
それが気になるし仕事のテンポが狂ってしまうから
予定を約束するのは縛られるみたいでいやだな。
なんて言ったら、なにカッコいいこと言っちゃって
と、友人に嫌味まじりで笑われた。
一歩引いた目で自分を見たら確かに何言ってんだ?である。
しかしだ、ホントそうなのよ。ホント気持ち悪いくらい忙しいのよ。
仕事の量で吐きそうだもの。

まあでもたまにはね
ということで、悪友軍団と12月に旅に出ることにした。
もしかしたらそれが、代表になって以来初の純粋な休みになるかもしれない。
行き先は、山形。
今から楽しみだ。が、仕事、忘れられるかな~。

めけめけ~。

写真。雑誌山脈。

「読んでくれ~!」

2012年11月24日 10時26分29秒 | 漫画・アニメシリーズ
もうじき12月。
このままでいくと、1月なんて明日みたいなもんだ。

長期出張から東京へと戻り、今日久々部屋の掃除と洗濯をした。
細かな部分にたまるほこり。
うーむ、と考える。
もういくつ寝ると大掃除、だもんねー。
汚れているが、掃除をするとなると、ちょい面倒なそこんところを
今、やるべきか、いいや、どうせ年末にやるんだと見逃しちゃうか
そりゃ見逃す方に清き1票!なんだもの。
ほこりは汚れ共々放置、ひとまず“メインの部分”をきれいにする。
視界に入るところはきれいになった!と大喜びして洗濯。
そして朝風呂である。

お風呂で漫画を読むのが僕の定番である。
読むは、ほとんどが週刊ビッグコミックスピリッツ。
これは風呂でしか読まないから、発売と読む速度が伴わず
それに出張もはさむものだから
(出張中は買うが読まない。スピリッツはあくまで自宅の風呂読みがルールである)
どんどんたまってきてしまう。

そんなもんで、今、最新号を目の前にして
2ヶ月ほど前の内容で面白がっているという情けない状態である。
あくまでも、ちゃんと順番で読まないと意味がないから
最新号をチラ読みなんてフライングはぜっっったいしない!
もしかしたら楽しく読ませていただいている漫画のどれかが
最新号では終わっているものもあるのかもしれない。
結構好きな漫画が打ち切られていたりして。
ちゃんと読んでいれば本来ならそんながっかりもタイムリーに体験している筈なのに
追いついていないから、多分ずーっと後のがっかりとなる。

あの漫画のあのキャラの行く末は!?
あれあれ、どんな展開になってるの!?
今読んでいるものの未来がすぐそこに積み上げられているのだ!
僕の今は過去になりにけり
未来は分からないから面白いなんて言うもんじゃなく
このスピリッツの場合、知ろうと思えばもうそこにあるのだ。
でも読めない!
なんでよ。決まりだから。もう!

だから、漫画の気になる未来を早く見たい!って
スピリッツを読んで読んで、長風呂して
のぼせちゃって、今ちょっと気持ち悪いのだ。
うげー。

今、こうして部屋でブログの記事を書いているわけだが
目線を上げれば目の前に本棚があり
そこには漫画や小説がずらり並んでいたりする。
よくよく見れば、買ったけど未だ読まれず仕舞われている本が結構あるのに気付く。
これだけの本の情報が、僕にとっては未知なるもののまんまである。
もったいねーなー。
と、思うが、そこが本の良いところでもある。
内容は腐らない。常に鮮度良好だ。
いつ読んでも、その時が今なのである。

なんつっても、せっかくあるものを得ないと意味がない。
よし!まずはスピリッツの山から読破しようじゃないか。
とりあえずそれが
僕の年内の目標のひとつとなった。

なにかと忙しいだろう師走
飲む前に読む!

めけめけ~。

写真。お風呂場前の脱衣所に積み上げられたスピリッツ山脈。

今、観てわき上がる思い。

2012年05月12日 09時21分45秒 | 漫画・アニメシリーズ
いまこそ!ナウシカ!と、思った。
唐突だけど、昨日のテレビ放送を見て思った。
仕事で遅く帰宅。
その仕事は最近ようやく軌道に乗り始めた感じ。
しかしまだまだ苦労は絶えない
というか、トップである以上、永久に苦労って絶えるものではない。
っちゅうか人間誰しも人生に於いて苦労はつきものである!
クタクタで部屋に帰り、テレビをつけた。
いきなり画面に王蟲があらわれた!
正直「ああ、またナウシカやってんのか」程度に思った。
が、その思いはすぐさま覆された。
僕は画面に釘付けとなってしまったのだ。
何十回と観たはずの、ナウシカに。

もう何度となくテレビで放送された映画『風の谷のナウシカ』
言わずと知れたアニメの金字塔、宮崎作品最高傑作の中の1つである。

僕がナウシカを観たのは小学生の頃。
当時ナウシカは映画封切前から話題をかっさらっていた。
ガキんちょの僕も、話題となれば逃がしちゃおけない。
颯爽と映画館へ足を運び、その凄さを体感しようと必死でスクリーンに喰らいついた。
…が、まったく意味がわからぬまんま映画は終了。
当時の僕の頭に残ったことはただひとつ
「ナウシカって、なんで下半身だけ露出してんの?」って情けない疑問だけ。
ナウシカのズボンの色が肌色に近かった為、ブルーとベージュのコントラストが
思春期の少年にはおかしく見えて仕方なかったのだろう。

その後、すぐに原作漫画も読んだ。
けれどもさっぱり意味が分からずだった。
その内容は重っ苦しく、子供心に退屈で仕方なかった。
同じ宮崎駿が関わったアニメなら、もっと昔の未来少年コナンの方が夢中になれた。
コナン観ていた頃なんて小学低学年もいいところだったのに、不思議なものである。

それから今日まで、僕は浴びるほど風の谷のナウシカを観ることとなる。
観る度に、理解が深まってゆく気がしていた。
時代と、歳と、環境と、自分の置かれた立場とで
風の谷のナウシカという映画のとらえ方が変わってゆくのを実感していた。

今日までの間、観る度に自分の中での注目シーンに変化があった。
もちろん、良いシーンや良いセリフは、いつ観聞きしたって良い。
そこから更に、その時々に自分に響く感覚は、確実、僕を大人にさせていた。

この世には、今日まで様々な作品が世に出ては消え、そして残るものは残ってきたと思う。
何でも、どんなものでも、理由があってモノが生まれる。
そこには作り手のメッセージが必ずあるものである。
人間個々1人1人に1つ1つの感覚が備わっており、それがまるで別々であるのは
まさに個性そのものとなるであろう。
例えばそこに風の谷のナウシカの、ナウシカという姫様の人間性と
トルメキアの姫クシャナの人間性がガッツリはまる人もいればそうでない人もいるし
物語そのものの、地球環境への壮大なメッセージにカチッとはまる方もいれば
登場人物たちの持つ豊かなたくましさにスイッチが入る方もおられると思う。
その個々の感覚としての個性もまた、時と環境とともに成長してゆくものである。

人として生まれてきた以上、何かを感じたい、何かを残したいと思うのが自然である。
そう思いながら
でも日々の多忙さ故そこに気付かず歳を重ねてゆくことにならざるをえん、というのも
またこれ現代の自然な流れなのかもしれない。
人生の時々で、そんな感覚を思い出させてくれるものもまた
何かを伝えたいと思い、それをカタチにした人間の作る作品なのである。

僕にとっての“今のナウシカ”は、今の世の中に必要な作品の1つであると感じた。
今まさにナウシカが必要なのである。
観ていて不自然さを感じるくらい徹底したカリスマ性とリーダーシップを誇り
そして根っからの善人であるように描かれた、非の打ちどころ無いナウシカ。
とても優しく、とても恐怖なナウシカ。
そして、ナウシカを思う風の谷の人々の心と、トルメキアのクシャナの気持ちの流れが
まさに今の世界、いいやまず日本に必要不可欠だと感じた。
そしてもっと小さな世界でいうならば、僕という人間と僕が経営する今の僕の会社
そこにこそ、このナウシカと風の谷とクシャナが必要なのである。

物語の中のナウシカは、神でもなんでもないひとりの少女である。
少女が何のブレもなく、信念ひとつで突き進むさまは圧巻である。
もうダメだ、もうダメだという崩壊した世界を
少女が真っ直ぐな心で見事に救いまくってゆくのである。
奇跡なんかじゃない、物語の中でそれはただの真実である。
そしてその全ては、フィクションの前にノンがついてもおかしくはない世界なのである。
風の谷のナウシカ
今の僕にとっては怖いくらい純粋なアニメだった。

大人な僕は
ナウシカはズボンをちゃんとはいているのだと理解できるぞ!

めけめけ~。

写真。うちの谷、本棚の上にも生態系はある。

『Sunny』2巻買う。

2012年03月03日 08時48分40秒 | 漫画・アニメシリーズ
もっのすげー久々に、漫画単行本を発売日当日ねらって買った。
ついこの間、当ブログの記事にも書いた松本大洋『Sunny』第2巻だ。

1巻はといえば、、、買って読まずに(読めずに)ほったらかしていたクセに
2巻は早々購入、早々読むったぁ、これ単純に、ハマったって事だ。

読んでいない友人知人にも、是非読んでもらいたいと思う漫画が
最近はいくつかある。
例えば、ビッグコミックスピリッツ連載中の『あさひなぐ』とか
この『Sunny』とか。。。

読んでどうの、っちゅうまでのことは
つまりは、感じとることってのは、人それぞれの感覚だろうが
その、それぞれの感覚ってやつを
どこからでも確実にえぐるだけの鋭さを持っている漫画であると
この『Sunny』等に対して思うわけだ。
幅広く、面白いのである。

漫画を読むときに、無意識であれ、あれこれと想像をふくらませて読むだろう。
例えば頭ん中で絵に色をつけてみたり、登場人物の声色をつけてみたり
ストーリーの先をよんでみたり、もし実写になったとしたら誰が演じる?とか充て役を付けてみたり。
だから漫画がアニメになったときや、ドラマまたは映画になったときなど
「原作のほうがいい!」という評価を下しがちになる。
ギャップである。自分の中の想像がベストなのだ。

僕も、そんな想像をパンパンにふくらませながら漫画を読む。
この『Sunny』に対してもそうだ。

けれどもこちらの漫画の場合は、また更に1歩2歩と、想像が勝手に一人歩きをしてゆくもので
とっても不思議な感覚にみまわれる。
もう既に、ドラマか何かを観ているような錯覚におちいるのだ。

コマ割、セリフ割、そして描写の裏の描き方、表情などが
まるでおもろい絵コンテと脚本のドッキングバージョンであるかのようで
漫画が既に実写に近いクオリティを発揮し
更にそこから先、こちらの経験に基づく世界とシンクロするようなリアリティまで存在している。
パラパラと、動き出す。
登場人物の表情が活き活きしていて
絵とセリフからサブテキスト(言葉の裏側の気持ち)までもがはっきりと伝わってくる。
『Sunny』の場合、とある施設で懸命に生きる子供たち
そして先ほど書いた『あさひなぐ』の場合は、高校薙刀部で懸命に青春を生きる女の子たちの
その絵面が、モノ言わん事まで話してくれているかのようなのだ。

それは現実そうというわけではなく
漫画が読み手の想像力をそこまで刺激してくれているという事である。
もっていかれる、のである。

決して重っ苦しくない、なにかものすごく巨大なメッセージと説得力を感じる。
作者の、「今」「何を」描きたいのか、描くべきなのか、というものだ。
僕らからすれば、「今」「何が」したいのか
「何を」すべきか、に相当する。

「今」伝えたいことがあるのなら、「何を」伝えるべきなのか
人それぞれ様々あろうかと思う。
読み手のそこの感情を上手い手法で、沸き立たせてくれる。
作者の意図が力強く、でもってクールに表現されている楽しい漫画なのだ。

「自分はこの世で、はたして何ができるのだろうか」
「今までの自分、そして今の自分、で、これからの自分のやるべきこと」
個々のそこんトコロを存分にくすぐってくる漫画のひとつが
「今」僕の場合は『Sunny』だったのである。

第2巻の第1話で
「例え完全に間違いだと分かっていたとしても、それを正しい!と言いきってあげることが
仲間の心にとってどれだけ大きな収穫となるか。
一般が曲論と言えど、その答えは、僕らの間では、正論でいいのだ」
ということを再確認させられた。
過去、僕に欠落していた大きなマイナス部分である。

おもいきり笑えて、おもいきり泣ける、感情をゆさぶる漫画は
この世にたくさんたくさんあるし
これからもたくさん生み出されてゆくだろう。
人が人に、何かを伝えたいと思う感情と、伝わらないもどかしさがある限り。

めけめけ~。

写真。『Sunny』第2巻の限定版はなんとチョロQ付きなのよ~♪

『Sunny』読む。

2012年02月12日 09時13分11秒 | 漫画・アニメシリーズ
松本大洋『Sunny』1巻を読んだ。
単行本を購入し、そのままずっと読んでいなかった漫画の中の1冊だ。

松本大洋を読むのはかなり久しぶりである。
読んでいる僕は、何だか大学生時代を思い出していた。

懐かしいなぁ~この感覚。
昔、僕の周辺でとっても流行ったような世界観ニュアンス。

『Sunny』を読みはじめ、数ページ読み進め
変わらぬ松本大洋のこの世界に
ちょっぴりの恥ずかしさと、それよりもう少し多い安心感を覚えた。

自分の中で複雑な感情がうごめく。
昔に戻ってゆくような、嫌でもあり、楽しくもあるよな感覚だ。

松本大洋を知った頃、僕は演劇のど真ん中にいた。
奇しくも僕は松本大洋と同じ大学に通っての演劇三昧な日々をおくっていた。
その頃僕は、小さな子供(ガキ)や、女の子が懸命に生きる世界ってのを題材にした脚本をよく書いていた。

はじめて松本大洋の漫画を読んだ時の衝撃を未だ忘れない。
僕の中身をグルリえぐるかのように入り込むよな強い感覚だった。
つまり、当時の僕に剛速球どストライクだったのだ。

しかし不思議なもので、僕も演劇から離れて
今から遠い昔の当時を思い出してみると
結構その世界って「無い」のである。
ちょっと生温くて、こそばゆくて、恥ずかしいのである。

ただ分かっていることは
当時は夢中で一途だったということ。
生きることを必死で模索して、頑張っちゃっていたということ。
若さが、いつまでも続いて、時間は、余っていると思っていたこと。
青春?っぽい、人間臭さ?っぽいやつ。
それが「恥ずかしさ」の正体であるということだ。

おっさんになった今
松本大洋を読む。

昔が、僕の脳裏をグルリえぐるかのように入り込む。
読み進めてゆくにつれ
恥ずかしさが、消えていった。

今の僕にも
これは「あり」である。

時代は1970年代だろうか
大阪のとある施設が舞台。
施設で、子供達が、懸命に生きている。
そんな内容の漫画である。

今、僕は演劇をやっていない。
デザイン科を出て、芸術系の大学を出たのに
絵も描いちゃいない。
会社を経営している。
14年勤めた会社を譲り受け、悪戦苦闘の日々を送っている。

今、僕は色々な悩みに、日々直面し
その悩みを、日々さばいてこなして進んでいる。

それら、悩みや、物事を引き起こすものは全て
「ひと」である。
何かに悩むことは、大抵ほとんど、つまりは「ひと」で悩む。

大人になった今
なんちゅうか、また頑張っちゃっている僕がおり
そこに「恥ずかしさ」が満載の僕がおるわけ。
だから、とっかかりに、つっかかりはあったけど
松本大洋の漫画「Sunny」が
結局スルリと入って来たのかもしれない。

今、僕はまさに
大学時代のあの頃のように
おっさん、青春しちゃっているのかも。

青春て…
そんな事をすんなり言えちゃうのも
松本大洋の漫画を欲したきっかけだったりするのかもしれない。

変わる僕
変わらぬ松本大洋の漫画
ブレずにいるプロ
そこが、帰れる場所となる。
安心と同時に
何だか、助けられたような気分だ。

『Sunny』
子供が懸命にもがく
大人な漫画です。

めけめけ~。

写真。Sunny。

うる星やつらコミックス全34巻・買う。

2011年04月04日 17時10分51秒 | 漫画・アニメシリーズ
届いたーっ!
まとめ買いした
うる星やつらコミックス版全34巻!!!

新品定価大人買い、とまではいきませんでしたが
ネットの古本屋さんにて購入しました。

買ってからの返信メールではじめて気付いたんですが
この古本屋さん、北海道のお店でした。
気付くの遅っ!ってか、ついこの間まで北海道にいたし俺!
札幌だって。
知っていたら買いに行ってた!なんつって。

物流が混乱している中
荷物は“黒猫さん”により
着日、時間も指定のまんまで
先日の土曜日に無事届きました。
徐々に宅配の流れも回復方向へと向かっているのですねぇ。
良かった、良かった。
本当良かった。

代引金額をお支払いし、箱を開けます。
WAO!古本っぺー黄ばみ!
そして、古本臭!
年代物のかぐわしい香り
たまらなく良い感じです。
古本感バリバリなのに思っていた以上に状態はとても良く
この年代の漫画の古本にしては、かなりきれいでした。

さて、本棚に…と思ったのですが
既にうちの本棚、満員御礼状態です。
仕方なや、とりあえず床に積置きしときます。

昔むかし、漫画家を夢見ていた少年の僕。
うる星やつらは、僕が小学生時代影響を受けた漫画の中の1つです。
他にも、Dr.スランプアラレちゃんや、らんぽう、ハイスクール奇面組、ジャングル大帝…
などなどありますが
特にこのうる星やつらは、ギャグとストーリーの兼ね合い
ならびに奇想天外さとしつこさ、って面で非常に影響を受け
それは後に漫画ではなく、演劇脚本に如実に現れてくるのでした。

原作者高橋留美子さんの漫画で好きな作品は
他にもたくさんたくさんあります。
めぞん一刻、1ポンドの福音、らんま1/2
読みきりシリーズも1編1編細かく砕くと、深くはまるものばかりです。
ただ、うる星やつらは何ちゅうか別もの的感覚と言いましょうか
それくらい、意識へのすり込み力が半端ない漫画なのですね。
末代までクセになる(?)ちょっとヤバい世界
それがこの、うる星やつらなのです。

うる星やつらコミックスは持っていたのですが、いつの間にか紛失
っちゅうか、実家に置いといて、親がきれいに捨てたのでしょう。
最近MXテレビか何かでアニメ版が再々再々…放送されているのを見まして
久々漫画も読みたくなってしまいました。
で、北海道から戻ってすぐ北海道の古本屋さんより購入。
届いたーっ!って塩梅です。

こんなに一気に読めんので
とりあえずパラパラとページをめくってみます。
懐かしさがブワーッと、本から溢れ出します。
非常にバカバカしい!とっても良いっす!
当時の記憶が蘇ります。

この独特な間の取り方は
アニメじゃ出せない必殺だな
なんてあらためて思ったりして
再び漫画という媒体を見直したりしました。

コマ使いの無駄の無さ
かと思えば逆に、無駄だらけな回もあったり
こちらに落ち着きを与えません。
キャラの描きかたと、細かな描写はもう脱帽です。
暴力的なものも非常にコミカルに仕上がって
トータルで見れば良い意味でまるで子供の悪ふざけ
そこには愛があり、すっごく健全で楽しい。
キャラクターが紙の上で活き活きしているのが分かります。
うる星やつら、とっても素敵な漫画です!

漫画の良さは
時代をなんなく行き来する事が出来るパスポート・通行手形の様な部分にあるようにも感じます。
いつでもどこでも、皆が楽しめるカタチの1つです。
それは音楽や映画や演劇や絵画やゲーム等等
全ての芸術や娯楽に同じです。
選択するのは人それぞれ。
間違いをおこさなければ
決して楽しみは害を与えません。

自分に影響を与えてくれた
そんな漫画、ありますか?
それはなんですか?
「そういえば、ああ、懐かしいな~」
なんて漫画
今だからこそ、読み返してみては
いかがでしょう。
忘れていた何かを、思い出すかもしれません。

めけめけ~。

写真。コミックスタワー。

『しょんぼり温泉』読む!

2011年01月28日 17時13分02秒 | 漫画・アニメシリーズ
大好きな漫画ん中でも5本の指に入るくらい好きな漫画
小学館ビッグコミックスピリッツで連載されている『団地ともお』
作者『小田扉』氏の世界観は最強に堪らなく愉快だ。

先日、『ともお』以外の小田扉漫画をたまたま発見し購入した。
集英社ジャンプスクエア連載『しょんぼり温泉』1巻である。

うっかり油断していた。
まさか集英社でこのような漫画が連載されているなんて。
ジャンプスクエアて、まったくのノーマークだった。

買って帰って直ぐ読んだ。
これが得てしておもろ過ぎ!
笑いまくりの、心にジ~ンと響きまくりの、ハマりまくりだった!

舞台はさびれた温泉街『諸堀温泉』
これといってデカイ事件が起こる訳でもなく
ただただ時が流れ、っちゅうかコマが流れ
住民達が、各々の暮らしの中で悩みに直面し
その悩みと真剣に向き合いどうにかしようと切磋琢磨する様を
何とな~く描いたほのぼのストーリーである。

『ともお』が団地なら『しょんぼり』は温泉街。
舞台が変わっただけで内容的には何となく似たり寄ったりな感はある
と、思いきや
やっぱ設定が変われば物語の深みも変わってくるわけであり
テイストが微妙に違いをみせている。

ただどちらも
「ほのぼのと、読み手にこちょこちょくすぐりかけてくる」
ような漫画という点では
小田扉ワールドに広がりをみせたカタチか。
『しょんぼり』にゃ『しょんぼり』のくすぐり所がある訳だ。

温泉街がさびれている
悩みはとどのつまりそこでは終わらない。
その温泉街でこちょこちょ悩み暮らす人々がいるからこそ
この漫画が楽しく進んでいけるのである。

悩みは些細な程面白い。
些細な程、他人からしたら軽く
本人は重く受け止めもがくからだ。

些細な悩みとは、他人からみたら下らなかったりするものである。
さびれた街の気持ちなど、都会にゃ分からんものだったりする。
他所から見たら「しょーもない事」にひたむきになる人々が
この漫画ん中にはたくさんいる。
そうなると、これはもはや「しょーもない事」ではなくなってくる。
そこん所のさじ加減がこの漫画の面白いトコだ。

特に主人公を特定しているわけでもない。
何らかのカタチでこの温泉街に関わる生き物が時と場合で主人公だ。
生き物、ほとんど人だが
その数だけ悩みとストーリーがあったりする。

事実は小説より奇なり
ノンフィクションはフィクションより深くおもろい
実際の事件にゃ勝てないよなぁ
などとよく言ったり言われたりするが
小田扉ワールドはそのどちらをも行ったり来たりしているような世界であろう。

漫画の中に現実が見える。
それも、あり得そうでちょっとやっぱりおかしい作り話。
とても不思議な世界である。

僕も仕事で温泉街へ行くことがよくある。
草津やら伊豆やら伊東やら箱根やら由布院やら道後やら
東北や北海道なんかはあらゆる場所で温泉があったりするもんで
例えばもろ温泉宿が立ち並ぶ所へ売り込みに行ったりした事もある。

実際、現実の温泉街もかなりさびれたトコが多い。
ほとんど、と言ってしまっても
それは過言じゃないだろう。

土地土地の方々とお話してみれば
やはり各々の悩みは尽きなかったりするもんだ。
ただ、現実でも、みんな悩みに真剣に向き合っている。
もがいたり、時に舌をペロリと出してお茶目に吹っ切れたり解決したりしている。
そんな姿が実際とっても面白かったりするのだ。
だから僕も営業として夢中で向き合ったりもできるのだろう。

そう、温泉街に限らず
現代社会に生きる人間たるもの
少なからずそんなもんだったりするような気がしてならない。

小田扉の漫画を読んで
人間の面白味と、悩みってものの面白味を
自分と自分を取り巻く世界と繋げて再確認し
大笑いしたり、ジ~ンとしたり、だよね~とか言ったりして
モウレツに楽しんじゃったりするのだ。

っちゅうわけで
この漫画、ちょー面白いっす!

めけめけ~。

写真。しょんぼり温泉。

しごとはじめとまんが。

2011年01月04日 17時59分50秒 | 漫画・アニメシリーズ
正月が終わった。
あっけなかった。
人間に関わる全ての事というのは
あっけなく、はかない。
まるで貧乏性な大酒飲みで食いしん坊野郎の暴飲暴食みたいだ。
あっけなくペロリと食って飲んで、苦しいけどもったいないと頑なに吐かない!みたいな。
なんじゃそれ。

今日からお仕事。
まだお休みの方も多いのだろう、こころなしか電車が空いていたように思う。

休みが終わったといっても未だ1月の4日だ。
世間はまだまだ正月ムードぷんぷんだ。
休みのお店もあろうし、それに巷はセールの真っ最中。
当然当社にゃ注文も少なくかなり落ち着いてしまっていた。

4日から、やる事が無いのに、無理矢理やる事を探して
見つからなきゃ作って、頑固に働いちゃうバカどもである。
こんなんなら思い切って4日まで休みにすりゃ~良いじゃん!と強く思う訳だ。

こういうのを“要領が悪い”というのだ。
やるべき時に多少休みを返上してもとことんガッツリやる!
そのかわり休む時はとことん休む!
だって、本当に仕事ってさ、やる事無い時ゃ無いもんなんだもの。
雑用ならいっぱいあるけどさ、それは特に今日でなきゃいけないものじゃ無し。
効率の良い労働をしたいものである。
とかなんとか言っても方針てものがあり
…仕方ないのはわかっとるのだが。

そうそう、年末、久々に漫画を買った。
12月は忙しすぎて漫画を買う暇さえなかった。
少し落ち着いた年末の休みに、ようやっと本屋さんへ行く事が出来た。
ってな具合で
買った漫画をご紹介シリーズ!

まずはこちら

『月刊IKKI』
今号から『松本大洋』氏の新連載『Sunny』がはじまった。
久々だな~松本大洋。
昔、結構はまったっけな~。
なんて懐かしみつつ購入。
『月刊IKKI』は、毎月買ってます。

で次はこちら

『団地ともお17巻』
大好きな『小田扉』氏の大好きな『ともお』!
スピリッツではまりにはまってもう数年?
初回からずーっと読んでます。
たまらん面白さ!たまらん懐かしさ!もう、もう、ほんと、たまらんわ!

続いてこちら

『3月のライオン5巻』
『ハチクロ』も大好きです!『羽海野チカ』さんの将棋漫画。
はじめ読んだ衝撃からもう5巻まで来たのか~と。
この世界観がたまらなく切ない。
本当、人間模様の描き方がちょー上手いよな~。
かわいいし。

そして最後はこちら

『パーマネント ーまんがの詰め合わせー』
こちらも僕の大好きな『岩岡ヒサエ』さんの短編集。
この方の描くものってのは摩訶不思議。
日常のはずなんだけど、非日常を感じさせてしまう面白さがある気がします。
1コマ1コマの切り取り方にキャラの人生と、岩岡さんの人生を感じます。
読んでいてニヤニヤしてしまう、そんな漫画です。

ああ、またたくさん読まねば!
仕事なんてやってる場合じゃないぞ!なんてな。
そりゃダメ!お仕事あっての漫画である。

学生時代やなんかは日常から脱出して
漫画や小説にハマリ過ぎて堕落したり、情緒不安定になったりした事もあり。
楽し過ぎちゃった事だってある。
深いとこまでイッちゃったのね、勝手に。
あぶねーなー、よくぬけられたもんだ。
ぬける?
ぬけちゃいない。
読み方が変わったんだな、多分。
昔ほど、ゲームをやらなくなった、みたいに。

こういう「楽しい」に囲まれて
また今日も明日も頑張れるわけです。
本日仕事はじめも終わり
また明日は、当然ながら今年仕事2日目。
1年なんて「あ」っちゅう間。
うかうかしてられん!
でも、やっぱり楽しくゆきたいよね。
とりあえず、お疲れ様でした!

めけめけ~。

写真。漫画。

『東京怪童』読む、見る、想う。

2010年10月10日 13時18分54秒 | 漫画・アニメシリーズ
またしても楽しい漫画が(コミックスとして)完結してしもた。
望月ミネタロウ『東京怪童』だ。
最近じゃ少ない、ずば抜けたインパクトを感じる漫画の1つである。
僕の中ではマストな漫画だ。

望月氏のコミックスは『バタアシ金魚』からこの『東京怪童』まで全て読んでいる。
その作品1つ1つに独特な世界観と様々な素敵さが詰まっていると感じているが
同氏の漫画ん中じゃやっぱしこの最新作のタイトルが僕ん中では最高傑作だ。

はじめて第1巻を読んだ時の衝撃といったらなかった。
「これは、これで、いいのか。。。
いいのかもしれないが、このまんがの、ゆくえがしんぱいでならない」
そんな感じ。
ハラハラとも違う“モンッ”とした感覚が僕の胸をいっぱいにさせていた。

チクチクと刺されるような、感情と情景と根本的センスのオシャレさ。
劇場で体感しているかのような錯覚に陥りそうになる物語の緻密さと
反面のんめりとした、のどかさが共存共栄していて常に僕をくすぐり続けていた。

その行為に耐え切れず、止める事を求めるも、やっぱりおかわりが欲しくなり
丁度良いところで話が次ぎへと展開してゆく。
その加減が内容とマッチしていてとても心地良いのだ。

当初はあまりの面白さに
同氏の作品『ドラゴンヘッド』のような肩透かし的終わらせ方にならんかと
内心ちょっぴりドキドキ勝手に心配モードだったものだが
そんな不安も打ち消すような納得ゆく終わり方だったように思う。
あまりにすんなり行き過ぎて少し拍子抜けしているくらいだ。

舞台はとある医院。
そこでは脳に問題を持った少年少女達の治療とケアを目的に日々研究が行われている。
患者の1人19歳の「ハシ」は事故で小さな破片が脳に残存してしまい
それが原因で、感じた事思った事を何でも全て口外してしまう症状をもつ。
21歳の「ハナ」は大脳疾患が原因で
時所かまわず人前でも勝手にオーガズムが来てしまう症状をもつ。
6歳の「マリ」は他人を脳が認識しない故、自分以外の人間が誰1人いない世界にすんでいる。
10歳の「英雄」は自分にスーパーパワーがあり、自分は神や宇宙人とコンタクトがとれる
スーパーマンであると信じやまないでいる。
そんな彼ら彼女らを見続けているのがスーパードクターの「玉木」。
医院を舞台にその内と外を、そして人間の内と外と
物語の内と外とに至る屈折した世界の歪みと修復と終わりと始まりを描いた
救いある作品的パラノイアである。
…と勝手に思い評価している。

とてつもなく“感じがしっくりくる”モノと出会うと
同時に自分で自分を見つめる機会が出来て一石二鳥で丁度良い。
3巻完結、1巻から3巻まで読みなおす。
ここのところの自分のおかしさと、自分をとりまく周りの刺々しさや少々の屈折と
そこに生きる自分のあまえや願望とその儚さ、ならびにこの世界の自分の立ち位置
みたいなものが
この『東京怪童』っちゅう物語と、そん中に生きる彼ら彼女らととってもダブって
すこし救われた気になれて嬉しかった。
掴みきれぬが、何らかの糸口みたいなモノを
指先程度でも触れられた様な気がした。

そんな感覚的なモノを得て欲しいなどと作者は読者に求めちゃいないだろう。
解釈はまるでちんぷんかんぷんかもしれない。
事感情は自分の価値観で自由に好き勝手に動いたり止まったりするモノで
そんな緩さが許された不確かなものなんじゃねーのなんて思う。
そこに揺さぶりをかけるきっかけを得るも自分、自分の価値観、自分が選んだ他人の価値観との合致だったりする。
そんなきっかけ1つ1つがたまたま僕にとっては漫画だったり演劇だったり音楽だったり
お笑いだったり小説だったりテレビ番組だったり雑貨だったり等々するワケで。
そして時には人のトークが自分の中に響いたり、鈍く波打って嫌な思いをしたりもする。

会社や組織で、そこの世界観を大人な感じで押し付けられた時に
目の前でぺちゃくちゃ話している人間の口から放たれる世界観は自分にとったらただの“洗脳トーク”に感じてしまい
めいっぱいの抵抗感が僕の心の中でめきめきと生まれてきてしまう。
自分達の都合で平気な嘘をついたり真実をねじ曲げてこちらへグイグイ来られると
こちらの感覚や価値観はかなり混乱してしまう。
そんなブラック感覚を押し付けられる事によって子供な僕の悪い子供感がデーンと居座って動かなくなるのだ。
それってどうかと問われたら、社会の理屈では「ダメ」なんだろう。
時にクールでいる事が正解で損は無いものである。
僕にだってそれくらいは分かる。
でも、屁理屈が感情に訴えかけてしまって、悪い僕が言っちまえとささやいてくるのだ。
「うるせーバーカ、てめーのケツでもなめて寝ていろ」と。

自分にとって良いものは響くが都合悪いと判断されるものは嗚咽が響く。
これも自分の価値観にとどまってしまっている僕の悪い>(大なり)良い点なのかもしれない。
解釈で良い影響を受け続けていたい、それだけではいけない事もよ~く分かっているのだ。
だから自分の理想と本当の理想とぶっ壊れた理想と、現実との間でもがくのである。

会社や組織では、そこにいる以上、そこの価値観に統一化される事がもっともな流れだ。
管理する側もされる側も、それが1番楽だ。
僕みたいなヤツは、明らかに面倒臭いヤツなのだ。
もがかねば!もっと、もがかねば!と考える。

わざとであれ、あえてであれ、天然であれ
自分のはみ出し加減が『東京怪童』の「ハシ」とかなりシンクロしている様に思え
読んでいて複雑だった。
深く読むと、「ハシ」だけじゃない、この漫画自体かなりなシンクロ度である事に気付く。

僕はこの漫画で色んな自分を見た。
そして色んな自分の解決法をも知る事となる。
それを実行できるか否かは別な話だが
ダメな自分が大人的対応「折れる」って事を阻止したとしても
「信じる」って事や「解放する」って事を失敗したとしても
自分がダメな事とその解決法を知っているのとそうでないのとでは
まるで内容が違うとも思うし結果も変わってくるだろう。
なんてなんて、これまた好き勝手に言っているが
とにかく『東京怪童』は僕にとって感謝湧き出る“狂宴漫画”だった。
大切に保存したい3冊である。

今日、録画していた『ミュージックフェア』と『ボクらの時代』を見た。
ミュージックフェアは大好きな『YO-KING』氏出演の回
ボクらの時代はこれまた大好きな『シティボーイズ』出演の回だ。
画面から流れる両番組は僕をとても心地よい気分にさせた。

JUJUとYO-KINGが2人で歌ったドリカムの『サンキュ』に自然と微笑む。
YO-KINGのナチュラルなたたずまいに
悶々としたマイナスな日常を超越したスマートさを感じて何だか救われた。
ボクらの時代のおっさん3人のトークは
世代や性別や感覚での個々の世界観を全く決め付けない優しい定義と
その答えの安定感、そして話の流れのドキドキ感をつねに感じる事ができ
それによって、やっぱり何だか救われた気になる。

自分にとっての良いモノってヤツは唯一無二の感覚を共有できる救いの逸品なのである。
と、思うワケで。
そんなモノに包まれて、時には叱咤激励されながら
もまれ、ぶっとばされて、ツバかけられたり、罵られたり。
自分の中ではそのカッコイイ世界観に自分が認められたいと強く思っているから
だから頑張れるのかもしれない。

自分の世界観は
「これは、これで、いいのか。。。
いいのかもしれないが、このせかいの、ゆくえがしんぱいでならない」
だから面白い。
まだまだ、だいじょぶだぁ!
と、勝手な事をほざきつつ今日もゆくワケだ。

めけめけ~。

写真。『東京怪童』

「お別れのときが、きたんだ。」

2010年03月23日 19時25分43秒 | 漫画・アニメシリーズ
「かつて誰もが憧れた
生活を共にし、日常をユカイに演出してくれる
愛すべき異分子。
そんな『居候キャラ』が
世間にあふれかえる時代の話―」

そんなセリフではじまり
そんなセリフで終わる
『原一雄』氏のマンガ『のらみみ』が
単行本8巻にしてついに完結した。

最終回は『月刊IKKI』にて先に読んではいたが
ファンとしては残念でもありしかし感謝の気持ちもあり
複雑な心境である。

子供のいる家庭に居候するキャラ達と主人公キャラ『のらみみ』くんを中心に
『のらみみ』くんの居候するキャラ紹介所『ハローキッズ』で働く人々や街の人々
それとキャラそのものの関係性をコミカルに
そしてあたたかく描いたマンガ『のらみみ』。
『ドラえもん』世代の方々にとってはすんなり受け入れやすい内容で
素直に毎月毎月感動しながら夢中で読み漁っていた。

日々仕事に追われ、たまの休みは家でゴロゴロ。
単調に毎日が過ぎてゆく錯覚に陥り
気付けばまた1つまた1つと歳をとっていたり。
社会にモミモミされて
その間楽しかったあんな事やくやしかったこんな事
うれしかったそんな事や臨んでいたどんな事まで
みんな何となくどこかへ置いてきちゃった気がしていたり
そんな気がする“気”すら忘れていたり。
そういうイッサイガッサイ忘れ物を思い出させてくれて
もう1度昔の自分に立ち返してくれるようなマンガが
この『のらみみ』だったように思う。

はじめてこのマンガを読んだ時の衝撃は忘れられない。
知らず知らずのうちに心躍らされていた。
忘れていた感情が再び湧きあがって来るのを感じた。
良い事ばかりじゃないのよ
ちょっと邪悪な感情もね
ごっちゃ混ぜで自分の“感情模様”が自分で楽しいのだ。

主人公『のらみみ』くんに自分を置き換えているとか?
いやいやこの物語自体に自分を投影していたのだろう。
どこか懐かしい世界。
そこにはいるハズのない僕がいるように感じた。
読んでいて熱いものが込み上げて
とめどなく溢れて
「おえおえ」
言ってた僕がいた。

色んな“切なさ”があるわりに決して説教臭くない。
押し付けがましくもない。
盛り込み過ぎてもいないし
薄すぎてもない。
常に中身はかわいくて
物語は身近だ。
そんなマンガってそうやたらにあるもんじゃないだろう。

人はそれぞれに生まれ
それぞれに全く違った環境で育ち大人になってゆく。
だからして同じなんてあり得ないが
この『のらみみ』は
それぞれが背負うものを
それぞれの形で上手く引き出してくれるマンガのような気がする。

『のらみみ』全8巻
良かったら読んでみてくださいな。
楽しいよ!
なんて僕は小学館の人間じゃありましぇんが。
宣伝かこれはっ!
あははは。

なんでもはじまりがあれば終わりがあるのよね。
終わらなきゃウソ。
終われなきゃキツイ。
入学もあれば卒業もあり
入社もあれば退社、転職もあり。
そしてまた入学、入社し卒業・退社・転職をする。
そうそう、三連休も土曜にはじまり月曜に終わりまして
また再び火曜の今日は仕事がはじまり
もうじき今日の仕事が終わろうとしております。

今日は出張帰りで久々の会社出勤。
相変わらず当社社長はガミガミ!グチグチ!
この“うるささ”だってはじまりがあり終わりもある訳で
ん?年中うるせー気もするが?
終わるなら終わってくれー!

この『のらみみ』最終巻の帯
「お別れのときが、きたんだ。」
っての見てなんかしみじみしちゃいました。
営業っちゅう仕事はたくさんの出会いがありたくさんの別れがある。
今年に入ってからのわずか約3ヶ月でも
たくさんの出会いと別れがありました。
そうこうして人は流れていくんでしょうかね。
時々そんな事を考えて
何だか不思議な気分になります。

時々、そう時々ですが
自分が死んでしまう夢をみます。
その時夢ん中の自分は死に直面していつもこう思うのです。
「これで友人達とは永遠のお別れか。
永遠の―」
そんなしみったれた事を思ったら一瞬友人らがグンっと身近に感じ
すぐさま遠のいて
ものすごい切なくどうしようもない感情が溢れてくるのです。
目覚めたらまたいつもの日常。
出勤したり帰ったり
食べたり排泄したり
怒られたり褒められたり
出合ったり別れたり
そんないつもの日常です。

で、そんな夢なんかは忘れてしまい日々が流れ
また良い頃合いで再び自分が死んでしまう夢をみる。
そこで色んな感情に気付く。
そんな繰り返し。
「反省」と「感謝」との出会いとお別れ。
繰り返しで成長はありましぇん。
情けなや~。

そうそう、マンガ『のらみみ』は形になって残っているのだからして
いつでもまた読み返す事が出来る!
お別れしても自分の都合でいつでも再び出会えちゃう!
終わってもお別れしても手元に“いてくれる”のです。
自分自身が変わっておかしくならない限りは
変わらず手元の『のらみみ』は“ある”訳で。
『のらみみ』くんはいてくれる訳で
なんちゅーかそういうのってのも良いもんであります。

仕事がはじまった今日も社長にどやされて
「このバカタレがっ!」
なんつって。
それを受けて
そうそう、『のらみみ』くんが最終回の最後の最後に言ってたセリフと同じ言葉を
『のらみみ』くんの口癖でもある言葉を
僕もおもわず漏らしたのでありました。

「チェッ」

僕の「お別れ」はまだまだ遠い。
がんばるぞー!
と言ってみたりして。

めけめけ~。

写真。『のらみみ』8巻。

ザ・結露!

2009年12月06日 13時42分33秒 | 漫画・アニメシリーズ
あ~あ。
再びこの季節がやってまいりましたか。
びっちゃびちゃ!びっちゃびちゃ!
冬の定番、結露です。

毎日毎日こりもせず朝目覚めると窓やら玄関のドアやら
びっちゃびちゃ!びっちゃびちゃ!
建物が泣いている?
部屋が泣いている?
泣きたいのはこっちだい!
泣いてるとするならば号泣も良いところ。
もうびっちゃびちゃ!
放っておいたらカビが発生するし大変な騒ぎです。

それにしても生活空間の湿度の高さって凄いなぁ。
半端ねー!
人がいるってだけで湿度アゲアゲだし
普通に生活しているだけで常に湿気を生産しちゃっている。
誰も住まなきゃそんな事はないんだろうから
やっぱり住居って人が暮らしてこその生き物なんだな~って思ったり。
快適に暮らせるように必死こいてたたずんでいるから汗かいてんじゃねーの?
冬なのに大汗!
それが結露!
だとしたら住居ごくろうさんだが
汗かき過ぎ!
結露過ぎ!
なんつって。
家の汗かい!気味悪いな!

結露って内と外との気温の差で生じるんだろうけど
夏場なんかも常に湿気はあるんだろうから
ある意味この時期はその湿気が目に見えて分かって
かえって良いじゃんなんて思えば気持ちも楽か。
天然湿度計。
いやはや
まあ、何にせよ結露は嫌じゃ!
面倒じゃ!
びっちゃびちゃじゃーっ!

そんな結露まみれな窓を拭き、玄関のドアを拭き、ふきふきで今日が始まった。
久々の休日だった昨日は生憎の雨。
今日は昨日と打って変わった晴天なり。
洗濯して掃除して朝食とってコーヒー飲み飲みこれを書いている。

昨日の雨の土曜日
当ブログの連載小説『らーめん放浪記』を書き終えて外出。
マンションの部屋は結露でびっしゃびしゃ!
僕は雨でびっしゃびしゃ!
濡れ鼠だチュー!

23分に来るはずの市内循環バスがなかなか来ない。
黄色のビニール傘さして馬鹿顔でボーっとつったって
ただただバスを待つ僕。
バス来ない、濡れる、びっしゃびしゃ!
結局15分程遅れでバス到着。
100円支払い乗り込んだ。
雨の土曜日で道も渋滞していたのだろう。

車内前方の座席に座りボーっと外を眺め…
ようとしたらばバスの窓も結露!
びっしゃびしゃで外見えねーっ!
バス停バス停で次々乗り込んで来る人々で車内は相当な湿気だ。
ジメジメと肌にまとわりついて不快感120パーセント。
そこへ来ての大渋滞。
イライラすると頭から湯気が出て
車内の湿度を上げるだけだ。
「はぁ」
ため息ひとつ。
仕方ないやと諦めて携帯をいじくってその場をやり過ごす。

すげー時間かかったが無事に街へ到着。
銭湯行ってサウナに入りすっきり!
帰りに本屋さんに立ち寄り漫画を購入。


まずは月刊『IKKI』
読めずに数ヶ月分溜まっているのだが購入。
いい加減まとめて読まんとな~。


で、『岩岡ヒサエ』さんの『土星マンション』5巻。
地球全域が自然保護区域となった時代の話。
上層中層下層からなる『リングシステム』で人類は暮らしていた。
主人公の少年『ミツ』も同様に。
『ミツ』は亡き父と同じリングシステムの窓を拭く仕事に就く。
日々の暮らしにもまれながら確実に成長してゆく青年『ミツ』
様々な人間関係と自分のポジション、信念から『働く』という事の意義を問うとても良い漫画だ。

そしてこれ。

当ブログでも度々紹介させていただいております漫画
『小田扉』氏の『団地ともお』15巻。
主人公『ともお』の暮らす枝島団地とその周辺をめぐる登場人物達が繰り広げる
脱力系小学生団地マンガである。

大好きで、大好きで、読み続けて早15巻。
小学校の推薦図書に指定していただきたい程おもろいマンガである。
ストーリー、画力、言葉のチョイス、コマ割り
全てが抜群のセンスだ!
凄い!凄くおもしれーっ!
初めて読んだ時からその面白さにやられ、すっかりとりこになってしまった。
このまま15巻16巻17巻とわたしの人生暗かった♪
おいおい藤圭子になっとるわ!
夢は夜ひらく~じゃないが
単行本が出れば出ただけページを開き続けるだろう。
今後も楽しみな漫画だ!
ちなみに『スピリッツ』にて連載中!

さて、明日から再び出張です。
年内最後の出張。
頑張る為にもその前に
またいつもの街へと出かけましょうか。

漫画買ったり、読んだり、銭湯で汗を流したり、買い物したり、何か食べてみたり
心と身体の結露を拭いにぷらぷらとお気に入りの服着て
お気に入りの自転車で。
ぷらぷら~ぷらぷら~。

めけめけ~。

写真。結露の窓と漫画。