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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

みみずく偏書記

2016-10-12 19:24:08 | 読んだ本
由良君美 2012年 ちくま文庫版
四方田犬彦の『先生とわたし』を読んだら、その先生こと由良君美教授の本をなんか読んでみなくちゃ、って気になったんで。
とはいうものの専門的な英文学に関するのなんか読めそうにないので、すこしでも簡単そうな文庫を手にとってみた。
「書き散らしてきた文章を拾い集め」(←これは四方田の表現)て単行本として出版されたのが1983年、四方田によれば「書物論」なので、とっかかりとして選んだんだが。
なんせ著者は、
>結婚して最初に越した家は、二階に書物をすべて置いたのが災いして、八年すぎたころ、家が傾いてきた(p.191「水平の量」)
という人なので、とてもかなわない。
古本屋での掘り出し物との出会いにしても、
>ある日、棚の本がほぼ先週のままなのに落胆し、帰りかけたところ、わたしの背筋に妙な悪寒が走った。これはたいてい、本がわたしを読んでいるコール・サインである。(p.107「イギリスの超ナチ謀略放送家」)
という霊感がはたらいて、五十円均一のなかに何かを見つけたりするんだから凄い。
『先生とわたし』においても、その博識なことは存分に披露されてるが、それはやっぱ著者の読書量とその方法からきてる。
>わたしは読書に情報獲得的側面があることを否定しないが、わたし個人は、読書はもう少し、全人間的な興味から行う。(略)だから、わたしの読書法は、著しく反能率的である。知識として大脳を富ませてくれるというより、知識以前の漠たる形で意識下に沈む事柄の方が多い。(p.269「反能率的読書法」)
ということで、都合のよい知識を仕入れるために本読むのは邪道、読書そのものを楽しんで、何でもどしどし身体に取り込んでって、いつかそれが醸成されて他の何かとも結びついてくればよしとしたもんのようだ、スケール大きいというか、自由というか。
そういうわけだから、書店の本の扱い方なんかについても、
>大体、書店の分類棚など、所詮は流通機構が指定した貧しい指定――在来の固定的思考に立って、ふるい分けた無理な分類にすぎない。
>その上、昨今は、大手の指示で、大量に安価に売ろうとする本は、マスコミであらかじめ大宣伝をしておいて、さて小売店では分類を明瞭にして、いわゆる〈平積み〉にして、装幀の表紙の派手さと、積み上げの高さとで、他人眼をひこうとするものが多い。(p.24「本の囁き」)
って具合にきびしい、売らんがための陳列にまどわされるなっていうんだけど、80年代前半でも既にそうだったかなあ、本屋って。
それはいいんだけど。
具体的な本の名前とか、多く挙げられてるものの分野は、私にはなじみがないので、ピンとこないし、興味ももてない。たとえば、
>ノイラートやパレートやコージブスキーをマンフォードと一緒に読む仕方を、方法的に教えてくれたのも、この本だったし、ニーバーとティーリヒとマキーバーの重ね方を示してくれたのもこの本だった。(p.224「ニュー・スクール、バーク、スロチャワー」)
なんて言われても、なんのことだかわからない。
ま、こんなブログやってる私も、もうすこし反省したほうがいいのかも。
好きな本のこと書いても、たいがいのひとには興味ない関係ないことだし。
ひとは知らない固有名詞の並んでるのを見ると多かれ少なかれ引くものだあね、それはわかっちゃいるけれど。
大まかな章立ては以下のとおり。ちなみに、みみずくは著者の好きな鳥ということらしい。
「読書狂言綺語抄」
「みみずく偏書記」
「書志渉猟」
「わたしの読書遍歴」
「反能率的読書法」
「辞書とのつきあい」
「書物についての書物」
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