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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

表層批評宣言

2009-10-07 19:21:45 | 読んだ本
蓮實重彦 1985年ちくま文庫版
えーと、カテゴリー「読んだ本」にしてますが、ウソです。
正しくは「読めない本」です。買ったはいいけど、難しくて、とても最後まで読み進めない本。
何日か前に『日本語練習帳』をとりあげて、それを読み返してたときに、
>100字をこえたセンテンスは内容がよほど単純でないと分かりにくいのが一般です
なんてことが書いてあって、「あー、長いといえば、アレ(表層批評宣言)だよなー」って唐突に思い出したもので。
ちなみに、中学んときの英語の先生に、「長いのが難しいなら、ウドンや蛇は難しいってことになってしまう」と根気よく英語の構文を分析して英文和訳するように教わりましたが。
表層批評宣言は、ケタが違うんです。冒頭の一文を引用してみましょうか。
> たとえば「批評」をめぐって書きつがれようとしながらいまだ言葉たることができず、ほの暗く湿った欲望としての自分を持てあましていただけのものが、その環境としてある湿原一帯にみなぎる前言語的地熱の高揚を共有しつつようやくおのれを外気にさらす覚悟をきめ、すでに書かれてしまったおびただしい数の言葉たちが境を接しあって揺れている「文学」と呼ばれる圏域に自分をまぎれこまそうと決意する瞬間、あらかじめ捏造されてあるあてがいぶちの疑問符がいくつもわれがちに立ち騒いでその行く手をはばみ、そればかりか、いままさに言葉たろうとしているもののまだ乾ききってもいない表層に重くまつわりついて垂れさがってしまうので、だから声として響く以前に人目に触れる契機を奪われてしまうその生まれたての言葉たちは、つい先刻まで、自分が言葉とは無縁の領域に住まっていたという事態を途方もない虚構として忘却し、すでに醜く乾涸びたおのれの姿をもはや郷愁すら宿ってはいない視線で撫でてみるのがせいぜいなのだが、そんなできごとが何の驚きもなく反復されているいま、言葉たるために耐えねばならぬ屈辱的な試練の嘆かわしい蔓延ぶりにもかかわらず、なお「批評」をめぐって書きつがれる言葉でありたいと願う湿った欲望を欲望たらしめているものが、言葉そのものの孕む不条理な夢の磁力といったものであり、しかも、その夢の目指すところのものが、言葉自身による「批評」の廃棄というか、「批評」からそれが批評たりうる条件をことごとく奪いつくすことで「批評」を抹殺し、無効とされた「批評」が自分自身を支えきれずに崩壊しようとするとき、かりに一瞬であるにせよ、どことも知れぬ暗闇の一劃に、人があっさり「文学」と呼んでしまいながら究めたこともないものの限界、つまりはその境界線を投影し、かくして「批評」の消滅と「文学」の瞬間的な自己顕示とが同時的に進行すべく言葉を鍛えておきたいという書くことの背理の確認であるとすれば、誰しも、おのれ自身の言葉の幾重にも奪われているさまに改めて目覚め、書き、そして読むことの不条理に意気阻喪するのもまた当然といわねばならぬ。
と、ここまでザッと890字。
ぢゃあ、一体全体なんだって、そんな読めないような本にチャレンジしようと思ったかって? それは、他の多くの難しい本同様、やっぱり「EV.Cafe」つながりなんです。
EV.Cafe読んで、いろんな本に手を出したなかに含まれています。しかし、これはホント読めないなー。

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