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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

1984年のUWF

2018-01-21 17:49:44 | 読んだ本
柳澤健 2017年 文藝春秋
去年の秋に、書店でなんだかUWF関係とみられる本がたくさん並んでて。
けっこう興味あって、どれがどんなんだか、ちょっと見にはわかりそうもないし。
しばし検討した結果、読めるだけ読んでみるか、って勢いで、そのちょっと後に何冊かまとめて買ってみた。
暮れ正月の休みにでも読めば退屈するまいと、しばらく積んでおいたんだが、なかなか読まなくて、いまごろになってボツボツとりかかっている。
なるべく出た順に読んでみるかと思って、最初にとりかかったのがこれ。
1984年のUWF創設とその前段、そのあとの佐山が抜けたり新日のリングに戻ったり、また新生UWF起ち上げたけど、バラバラになっていく、そんな時代の詳しい解説。
当時は何が起きてんのかわかんなかったけど、なるほどいろいろあったのね。
結局、UWFはプロレスだったと。
>佐山聡が新格闘技づくりに邁進したこと。藤原がゴッチの関節技を学ぶためにフロリダに行ったこと。前田と高田が藤原との厳しいスパーリングに挑み続けたこと。
>それらすべては「プロレスが真剣勝負ではない」ということへのコンプレックスから始まっている。(p.138)
というところに、UWFのホントのとこが言い表されてるような気がするなあ。
キーマンは佐山で。佐山だけが、ルールがあって、打・投・極のミックスされた格闘技をつくって、選手を育てて試合してこうと考えていて、UWFを最初はプロレスでも将来には格闘技の場にしようというプランを持ってたんだが、それは実現できなかったと。
1981年にむりやりタイガーマスクにさせられて、人気絶頂だったけど、6月に猪木がホーガンにKO負けした1983年の8月に契約解除通告書をつきつけて新日を離れる。
契約を無視してもうけは猪木の関連会社に流用するし、結婚式は海外で新日幹部だけが出席してやれとか言われるしで、ブチ切れた。
詳しいことは知らなかったんだけど、プロレスラーって社員ぢゃなくて、契約している個人事業主だったのね、それでプライベートの一大行事の指図されたら腹立つわな。
かくして新日はスター失って役員退陣してガタガタになるが、そこからややこしいことに、佐山とトラブったはずのフロントの仕掛け人が、佐山をニューヨークのリングで復活させようとプランをすすめる。
ところがテレビ局との契約も巻き込んだゴタゴタに発展して、結局、佐山は参加せず。UWFとしての日本での旗揚げ公演日も決まってたが、エース不在。
そこで表舞台に立てられたのが、猪木も佐山も来るからと言われて参加してた前田。急遽MSGのリングで無名の選手と試合して、勝ってチャンピオンベルトを手にしてしまって、日本に帰ったらメインイベンターになることが決定。
前田の初戦の相手は、なんとジャイアント馬場からテリー・ファンクつながりで、このギャラで来られるならと誰でもいい状態で呼ばれた外国人、ロサンジェルスから成田に午後着いてその夜に試合だって、いいかげんだなあ。
前田の試合は当時の観客にもあんまりウケなかったらしいし、ときにデンジャラスな技炸裂してしまうんで相手のプロレスラーにも不評。でも、
>前田は甘いマスクと立派な体格の持ち主だが、アントニオ猪木のような天性のショーマンシップも、佐山聡のような天才的な運動神経も持ちあわせていなかった。
>しかし、前田日明は心に響く言葉を持っていた。
>率直で温かい心の持ち主は、いま自分が置かれている状況を客観的に見ることのできる知性をも兼ね備えていた。(p.113)
ってのは言えてると思うねえ。
で、興行的に不振で、早くも新日本に帰るかみたいな方向でUWFは無くすプランが持ち上がるんだけど、そういうこと言う選手から信頼のない仕掛け人を退場させて、新たなブレインを加えて、週刊プロレスを味方につけて、存続してく。
その段階で加わったのが、藤原と高田。1984年6月の記者会見で初めての晴れ舞台の主役になった藤原は、ウィスキーをラッパ飲みしてアルコールの力で乗りきったらしい、おいおい。
さらに、そこへ、新格闘技に向けてジムをつくって活動していた佐山が合流。
>佐山にとってのUWFは、新格闘技を実験するための研究室であり、新格闘技を運営するための収入源であり、新格闘技を宣伝するためのメディアであった。(p.153)
っていうんだけど、それはしかたない。
かくして、「真剣勝負に見えるプロレス」で、ものすごく盛り上がる。
しかし、佐山の元マネージャーとのゴタゴタから社長が逮捕とか、スポンサーとしてついてくれたのが豊田商事の子会社だったりとか、よろしくない状況に陥ってメジャーになりきれない。
一方で、UWF起ち上げの苦しいときからがんばってて、道場で皆と汗を流して慕われる前田と、道場には来なくて新格闘技がいちばん大事な佐山のあいだで、溝が生まれ始めたらしい。
結局、シューティング・ルールという画期的なものつくった直後に、佐山は退団、プロレス界から去る。
そのあと、UWFは経営危機になり、前田たちは新日本プロレスのリングに復帰。
>結局のところ、彼らは、プロレスラー以外の何者でもなかった。
>UWFの思想は、佐山聡ひとりの中だけに存在したのだ。(p.242)
ってことになるらしいけど、厳しいね。
そのあとにも、新日で暴れすぎて解雇されちゃった前田を中心にして、新生UWFが起ちあがるんだが、その試合のスタイルは、佐山が作ってったシューティング・ルールと、レガースとシューズを着用って、前回自分たちが否定したはずのものになったことについて、
>「新生UWFのレスラーたちに思想などなかった」
>と語るのはターザン山本である。
>「前田たちは典型的なプロレスラー。金と女とクルマにしか興味のない人間。UWFとは何か、UWFがどうあるべきか、UWFはどうあらねばならないか。そんなことを真剣に考えている人間は、新生UWFにはひとりもいなかった。(略)
>ファンはUWFの幻想を心から信じている。UWFのレスラーは誰も何も信じていないのに。ギャグですよ」(ターザン山本)(p.283)
と手厳しい内容を、元は味方にたってくれてたひとの言葉として語らせているんだが。
ま、思想はなかったかもしれないけど、そのあとの総合格闘技のムーブメントのなかに、いろんな人材を生み出していったプロレスってのは、悪いもんぢゃなかったんぢゃないかと。
章立ては以下のとおり。最初と最後に、中井祐樹さんがとりあげられてるのが、なんともいい。
序章  北海道の少年
第1章 リアルワン
第2章 佐山聡
第3章 タイガーマスク
第4章 ユニバーサル
第5章 無限大記念日
第6章 シューティング
第7章 訣別
第8章 新・格闘王
第9章 新生UWF
第10章 分裂
終章  バーリ・トゥード
あとがきにかえて~VTJ95以後の中井祐樹
[特別付録]1981年のタイガーマスク
コメント
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