神の御心のままに

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カケラの詩『巡る十三』

2016年10月18日 | 日記
《巡る十三 出合う十一。

十三、一三〇、一三〇〇、
時は季節は 幾度も繰り返し 十三を重ねる。

巡る最果て 再び出会う 約束の縁。
一と一が出合うとき 繋がる世界に幻鳥は現れる。

時過ぎて 歳月経て なお甦る愛しき心。
カラダ朽ちても 生き続けるタマシイは時空を超える。

終わり有りとは 見せかけの偽り世界と誰もが気づく日、
我がタマシイの十三巡る旅 悦びに昇華する。》



13と11の意味の解釈。
13とは、「現象的な輪廻(業)の繰返し」を現したもの。
それに対して、11は「今此処の始まり」を現している。
13の「現象的繰返し」は、「業の流転」であって、本来無いもの。
その「現象的業の流転を求めている間は、真の「自己(神)」を知ることはできない。


しかし、それらの13の業の流転を繰返すことによって、
《終わり有りとは 見せかけの偽り世界と誰もが気づく日》がやって来る。
その時《我がタマシイの十三巡る旅 悦びに昇華する》ことになる。


つまり
《時過ぎて 歳月経て なお甦る愛しき心。
カラダ朽ちても 生き続けるタマシイは時空を超える》
と書いてある様に、現象人間として歳月を経て移り変わっても、「愛しき心」を発見し、「生き続けるタマシイ」を発見し得た時、真の「自分(神)」を見出す事となる。


それ即ち、
《巡る最果て 再び出会う 約束の縁。
一と一が出合うとき 繋がる世界に幻鳥は現れる》。
「一と一が出合うとき」というのは、「一つなる命」=「一切者(神人)」と神人との出会いの自覚に達した時という意味。
その時にその象徴として「幻鳥」が現れる。



「13の暦」を作った「マヤ」の文明というのは、「現象宇宙」の原理を高度に理解し得た文明と言えるかもしれない。
つまり、「マヤの13の暦」は飽く迄現象世界(現象宇宙)の原理を指し示したものであって、「実相世界」の原理には穿ち入っていない可能性があるのかもしれない。


それに対して「バビロニア起源」の「12・60」の数字文化は、「人工的現象世界の原理」の象徴だと考えられる。
「マヤの13・20」の数字文化は、「大自然の現象世界の原理」ということになるだろうか。
これからの時代は、さらにそれらを越えた「1」の数字文化というか、「中心帰一の原理」「今此処の実相顕現の原理」に穿ち入る時代に入って行くのだろう。


「911」事件も「311」大震災も、「11」だから、これからの新しい時代に入る為の「禊祓い」の意味があるのかもしれない。



「巡る十三」の詩の中の「幻鳥」は「巡る最果て 再び出会う 約束の縁。
一と一が出合うとき 繋がる世界に幻鳥は現れる」とある。
つまり、13の輪廻転生(業の流転)の最果ての時に、一と一が出会い、幻鳥が現れるとある。


「13の輪廻転生(業の流転)の最果ての時」とは、「迷いの自壊作用が完成した時」という意味だろう。
現在、住吉大神の宇宙浄化の最終段階。
この浄化が終わらなければ、「一と一が出会い」即ち、「中心帰一の実相顕現の世界」が現れることはない。


しかし、浄化が終了したら、「実相顕現の世界は現れる」ことになる。
その象徴が「幻鳥」だろう。
それらがはっきりと出て来るには、「迷いの自壊作用」を経なければならないということだろう。



ドイツ東西統一と、朝鮮分裂による建国の記念日が10月3日。
共に「迷いの破壊」の象徴。
ドイツと朝鮮、両方共に、今さらに「迷いが自壊」して、大変な事になっている。
ドイツ銀行は破綻寸前らしいし、移民問題の破綻等々、ドイツは泥沼化しているし、朝鮮南北両国ももっと酷い状況だ。

ここに来て急激にドイツ、朝鮮が世界的に破綻状態が深刻化してきた。
この両国は、東西分裂の象徴的国家として、様々な業の自壊が繰返されて来た。
その自壊作用がさらにはっきりと現れている。


東西ドイツ統一も、韓国建国も、民団設立も、「分裂・統一」の現象世界の繰返しの象徴。
そういう意味では13に秘められた「現象的繰返し」は、ドイツと朝鮮の分裂、統一の繰返しで象徴的に現されている。

ドイツと朝鮮は共に、現象的な分裂と統一の繰返しが続いている国家と言える。
ドイツは西欧的であって、第一次大戦、第二次大戦共にドイツが切っ掛けとなって大戦がはじまり、両大戦共にドイツは敗れた。
ドイツは西欧文化の悪い意味での典型とも言える。

朝鮮は東洋にあって、極めて消極的国家として、常に周囲の大国のご機嫌を伺って、流されて来た国家の典型と言える。
そういう意味では東洋文明の悪い意味での典型のようだ。

それら両国が結果的に東西に分断され、東西陣営の代理戦争の象徴となった。
それらは「現象世界」の繰返し的継続を象徴している。
即ちそこからは何も「幸福」は生まれて来ないことを、人類は体感的に知るに到った。


結局は、世界中に「桜(日本精神)」が浸透する必要があるのだと思う。
ウズベキスタンのように。

(「日本に必ず帰ってもう一度桜を見よう」が合い言葉だった。
海外に日本精神をきちっと残して、使命を果たして逝った日本人たち。
そうやって、体験を通して「精神」は伝わって行く。)


<2016/10/03 メール・カケラの詩・解釈>
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