モノーキー

悪いのは医者と軍隊だよ。鈴がうたう日。

※俺が書いた部分は著作権放棄してるけど誰も使わないか。

天使のいない12月にみるエロゲの他者性と観賞の印象

2006-04-11 19:20:19 | メモ
 ※タイトルは変わってますが中身はそんなに変わってないです。

 天使のいない12月 - Wikipedia
>本作品はアダルトゲームのユーザーからは概ね「鬱ゲー」として認知されている (ただしスタッフはPUSH!!(晋遊舎)2003年9月号に掲載されたインタヴューにおいて「鬱ゲーではない」と語っており、またプレイヤーの中では鬱ゲーとは違うと認識しているものも少なくない)。

 モノーキー:身も心も丸裸にされた女性を見るのがエロゲの楽しみ。
 ↑で書いたけど女性の気持ちがわかってないと、(非モテな)男の子というのは、どう対応すべきかどう接したら良いかはっきり決定できなくて困っちゃったり不快に感じたりするわけだ。
 これだと楽しく女の子を観賞できない。
 現実の女の子の気持ちはわかんないから落ち着かない、でもセカイ系の子もなんとなく、今の状況につらそうにしてるってキモチが伝わってくるから、精神的にもしくは肉体的に守ってあげたくなる。
 エロゲのヒロインも自分を好いてくれるって判ってるから安心できる。

 だから、エロゲは女の子の気持ちが透けてないといけない。
(これは文学と反するかもしれない、でもラノベには適用されるかも知れない)

 女性ってのは相互理解に対してあんまりこだわりが無くて、思い込みでも良いからわかり合ってると思えたら幸せになっちゃう、だからボーイズゲーは雰囲気重視なのかもってのが俺の解釈。
 天使のいない12月は相手の気持ちが透けてないって事以外はふつーのギャルゲだったけど、鬱だって文句がきたのはそういう理由ってわけ。

 たとえば



もしかしたら、ふたりは同じ想いを抱いていたのかもしれない。
だけど、それはなんの慰めにもならなかった。
同じ想いであっても、心はべつべつだったから。

 

 とか



触れ合えないふたりの心。
伝えたい想いがあるのに、知りたい想いがあるのに、いつもたどり着けず、立ち尽くしていた。
俺たちはきっと永遠に一つになれないのだろう。ひとは生まれてから死ぬまで、ずっとひとりっきりなんだ……。



 とか



俺は本当は俺のことしか想ってない。俺は心の弱さを覆い隠そうと、明日菜さんを抱き締めようとしている。
彼女が喜ぶ顔さえあれば、俺の心は痛まずに済むのだから。



 とか



「一緒に居られるのは、きっと地面までよ」
「……そうだったかもな」



 とか


わかり合えない。わかり合うこともない。
俺たちは永遠に2番目の存在なのだから。
ただ、そこにいるだけのふたり。わかりあえないまま、
生きていくしかない。
 
それでも……。
それでも、その無意味な関係が今は必要だった。


 と、天使のいない12月の文章を片っ端から引用してみたけど。
 ここでこんな文章が全部『どうにかわかり合えたから、これからの長い道を手を繋いで歩いていける』みたいな文章だったらふつーのエロゲで終わってたわけですよ。
 主人公が悲観的つーか現実的だったから、プチ鬱ゲーに見えただけでお話そのものはただの恋愛ゲーだった。だって学園で男の子と女の子がくっつくだけなんだし。

 つまり、主人公の考えや思想一つで同じゲームでも印象がガラリと変わっちゃうってことなんだよね。
 女の子の気持ちがわからないとエロゲに物語性が帯びてくるというか、純愛じゃなくて鬱だのメロドラマな分野のゲームになる。
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