千代田法律・会計事務所 弁護士上條義昭

千代田法律・会計事務所 弁護士上條義昭日記

「裁判官による事実誤認が起きる原因」と対策について

2014-09-27 10:20:55 | 政治・行政
1、弁護士実務歴が早いもので間もなく42年になるが、これまで常に気になっていることとして、「事実に尖鋭な争い」がある事件(真実は何なのか)における事実の認定において「担当裁判官の事実(本質)を見る目の浅さ」から、事実誤認をしている判決が多いといえることである。

経験的に見れば、10人裁判官が居て、そのうち本当に真実(ことの本質)を見る能力ある裁判官は2人か3人ではないかということである。

例えば、「私文書による遺言書」が残されているときに、その遺言書が「遺言者の意思のより作成された」のか「遺言書が偽造されたのか」が争点になっているとき、真相を見抜ける裁判官は、10人に2人か3人であるということである。
遺言書が偽造されたのか、真実遺言者が書いたものかについて、物的証拠が限られる上に、筆跡鑑定も科学性に欠ける点があることから、鑑定する人により正反対の鑑定が出るケースがある。

証拠調べでも、遺言書作成の真実を知っている側は、絶対の偽造でないと述べ続ける。このような場合に、証拠である遺言書が完璧に近く偽造されているほど、表面的には偽造は見抜くこと困難である。例えば「精巧に偽造された紙幣」と同じである。

その場合に、証人尋問を目撃した裁判官で、証人尋問調書(文書記録)には残せない証言者の態度、答え方の不自然さ、表情の不自然さ等々から、事の真相(本質)を見抜くことが出来る裁判官もいる。
しかしこれは割合的には少数派であり、これまでの実務経験から見ても「眼光紙背に徹する」能力ある「真相を見抜ける裁判官」は、残念ながら少数である。
そのために「事実の誤認」が頻繁に起きてしまうのであると考える。

2、事実誤認が起きる構造的な原因の一つとして、キャリアシステムがあるのではないかとも思う。裁判官として事件ごとに判断する職責の重要さよりも、公務員として長く身分を保つことを優先するいわばリスクテイクをしないことである。

裁判官として全エネルギーを一つ一つ事件の注ぐ姿勢(勇気)を持たず、キャリアシステムの元に、定年までの安定した身分の維持を優先して「事なかれ主義」で事件処理をする「職人型裁判官」あるいは「官僚型裁判官」の姿勢になってしまう問題点である。

その典型例が、鑑定書依存の裁判官タイプである。
例えば、地代家賃の増減に関する争いで問題となる適正賃料について、鑑定書が出ると、いわば鑑定書に責任転嫁する形で、鑑定書どおりの判決で済ましてしまう裁判官である。
鑑定書のおかしい点を如何に指摘しても、「聴く耳を持たず」という姿勢で、勇気を持って判決を書く姿勢が無いことである。

裁判所の選ぶ不動産鑑定士に支払う鑑定料は著しく高い面があり、例えば「適正賃料の鑑定」をするにも、当事者が「複数鑑定」など期待することは、争いとなっている賃料月額の金額からしたらナンセンスといえる。

このような場合、鑑定書についておかしい点を幾ら指摘しても、裁判官において鑑定書を批判的な目で見て独自に判断する姿勢(勇気)が無いために、100パーセント鑑定書どおりの判決(いわば、「裁判官の判断抜きの結論」と同じもの)にしてしまう。裁判官に高い給与を支払う必要ない結論である。

3、ところで、事実誤認の弊害としては、裁判不信者が増えるほか、とばっちりとして弁護士不信も起きる。

日本人の裁判への期待は、「裁判所が真実を見抜いてくれる所である」との期待感が強い。ゲームでの勝ち負けを決める所ではない。野球の球審(審判)が、ピッチャーの投げたボールがストライクゾーンに入っているのに、ボールと判定したら、審判不信が起きるのと同じである。
誤審は、司法に対して、弱者の権利、利益を守る最後の砦として期待できないことになる。

事実誤認は、弁護士不信にも連なる。 弁護士としては事件ごとに集めることが出来る証拠に限界があるところ、弁護士としては証拠を充分に出しているのに、裁判官が「事実を見る能力において劣っていること」が原因で事実誤認がなされているのに、弁護士の努力不足で有ると思われて、弁護士不信に連なる。

4、「眼光紙背に徹する」能力ある「真相(本質)を見抜ける裁判官」になるためには、裁判官が「謙虚さ」を持っていないと無理であると言える。人間として事実を見る目を養い続ける努力を如何に続けるか否かで違いが出るように思われる。

  司法試験は法律解釈の能力を見る試験であるが、法律解釈能力の優劣と、事実を見る目の優劣とは異質のものである。事実を見る目は法律解釈と異質のものであるのに、同一的なものと勘違いである。

  「自分は頭が良い」と自信過剰の(ある意味で傲慢といえる)人物(裁判官)に事実誤認が多いように見える。その欠陥を補完する意味では、法律に関する素人が「事実の認定」に参加する制度自体は、職業裁判官が事実の誤認を避ける意味ではプラスになる要素があるように認められる。

5、死刑判決が確定している刑事事件で、何十年して漸く冤罪が晴れるケースがマスコミで報じられてきているが、その根本原因は、「最初の裁判に関与した裁判官」が事実誤認をしたからである。

 冤罪事件で事実誤認をした裁判官たちは、いわば「加害者」であるが、全くお咎め無しで平穏無事に人生を全うできるのに対し、冤罪被害者は人生の大部分を狂わされて、悲惨な一生を送る理不尽さが消えないままに終わる。

 これは重大事件の典型例であるが、「事実誤認」自体の持つ著しい理不尽さを考えると、裁判官に「国民対する責任を直接持つ緊張感ある姿勢」を保たせ続けるためには、「キャリアシステム」を止めて、裁判官になる有資格者の中から、国会なり地方議会の選挙で選ぶシステムの方が、「裁判官の職責に就いたもの」に全エネルギーを一つ一つ事件の注ぐ姿勢(勇気)を持たせるモチベーションとして優れているように考える。
 この場合、憲法を改正する必要性の問題点はあるが。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。