オリンピック、都民ファースト? アスリートファースト?

小池知事が、膨大な費用にかかると言われる2020年の東京オリンピックの会場をめぐって苦労しているようだ。これに関連して、都民ファーストとかアスリートファーストなどが二者択一的に言われる。前者であれば、極力費用を軽くすることだし、後者であれば費用を安くすることを至上命題とする以前に選手たちがベストの力を出せるように競技の条件を整えることがテーマになる。
2013年、安倍首相が20年オリンピックを誘致する際のアピールが忘れられない。

福島原発の汚染水漏れについては状況は制御されており何のダメージもないと。しかしこれは完全なウソだった。汚染水は今にいたるまで漏れている。
また費用について、施設の総工事費は4,554億円と計算していたと思う。そしてオリンピックに伴う経済効果は3兆円とふんでいた。これについては、この額をはるかに超える効果があるようにもいわれたように思う。かかる費用については小池知事ががんばっているようだが、初期の予算など今や問題の外になっているのではないか。
2024年オリンピックの立候補が心配されている。東京オリンピックが開催費用がかさむことが報道されると立候補する国、都市がなくなるかも知れない。そうなるとアスリートファーストもないだろう。
 
そもそもオリンピックは、ギリシャの昔、オリンポスの神のための行事だった。神をたたえるためにアスリートたちが総決起した。今的に言えば昔の神は「都民・国民」である。都民・国民を困らせてオリンピックもないものだと言える。オリンポスの神が困るような大会なら趣旨がまったく違う。
 
東京で会場が不便だとか、施設が不十分でアスリートが不満だ、とか難点をいう人がいるが、そもそものオリンピックの意義を再確認して欲しいものだ。多少会場が遠くとも、またどこか不十分なところがあってもそこでベストを尽くすのがアスリートの本分であり、そこでダメなら、そんなアスリートなら来なくともいいと言いたい。
 
めちゃくちゃにカネがかかるようなオリンピックなら、終わってから財政破綻したと困っているどこかの国のようなことが起きないウチに「返上する」ということはありえない?
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