KAMATA CYCLE

子供の時から自転車に乗り続けて現在でもMTBを中心に活動しています。

和佐又山登山口~洞川トレッキング・一日目

2011年04月30日 20時57分32秒 | OUTDOOR

 4月29日、記念すべき大峯奥駆道の第一歩を刻む為、こっしーと共に和佐又山登山口~大普賢岳~行者還岳~弥山を登頂し天川へと抜けるルートで出発した。

このルートを企画したこっしーは私が大峯奥駆道を怖がっているのを見て、

「このルートなら以前歩いたからクサリ場や梯子は数箇所だから大丈夫!」の一言で

歩いてみてルートの感じを掴み、これから挑戦するか決めることにした。

  電車とバスを乗り継いで和佐又山登山口から歩き出したのは9:45分。

最初に200M程高度を上げ尾根の少し下を尾根に沿って歩く。

高度的に金剛山と同じなんだが風がやたらと冷たい・・・

  10:45 最初の東屋は杉林に囲まれていたのでパスしたが中は広くまぁまぁきれいだった。

  11:20 左手には和佐又山ヒュッテが見え、その先には和佐又山が見える。

和佐又山ヒュッテでキャンプの手続きをすると、「山へ登りますか?」と聞いてくるので

「和佐又山へ登ります。」と言うと登山届けは要らないらしく「気をつけてね。」とだけ言われ続けた。

自分には和佐又山で十分だと思っていたのだが、その和佐又山が水平に見える・・・

この先5分程で二つ目の東屋があり時間も11:20となっていたので寒風の中で昼食をとった。

  昼食を食べ山腹を回りこむと風がおさまり、先ほど抜かれたカップルが昼食をしていた・・・こっちの方が風が無く良かったかなぁ。

ここで「大台ドライブウェイ」方向へ行き尾根に出ると日本岳に向けて尾根をひたすら歩く。

ルートを外れているのかどうかも判断出来ず、ルートはこっしーに任せる。

しかしトレイルは激登坂となり行く手を阻む。

こんな直登なんか経験が無いぞ

12:10 山肌に白い物が残っていた。思わず記念写真を撮ったが・・・

 12:45 日本岳の巻道に行者が修行をする場に出た。

朝日窟をはじめ付近には4箇所ほどのこういう場所があり大峰山に来たんだと実感した。

 12:47 巨大な岩盤に見上げるこっしーを撮影していたら突然ほら貝の音が聞こえてきた。

窟の中を見ると行者がほら貝を吹いて経を唱えていた。

  13:16 クサリ場を登り日本岳のコルに出て梯子を登り小普賢岳に取り付き

何個かの梯子を登り終えると現れたのがトレイルを覆う雪・・・

無理や!落ちたら死ぬやん

大体、数箇所の梯子とかと聞いていたのに・・・もう何本の梯子を登ったんやろ

無我夢中で無事に小普賢岳に到着したら前方には大普賢岳が見えた。

小普賢岳山頂からでも大普賢岳の高さがわかるのにその間にはコルがあり

激下りには雪があり絶望感とはこのことかと思った。

  こっしーが足場を作って歩いているのでなんとか滑落せずコルを通過出来て

大普賢岳に取り付き休憩している時にこっしーがあっと驚くことを私に告げた。

「あっ和佐又から天川ルートの時は大普賢岳は通らずヒュッテから七曜岳に出て行ったわ。」

って大普賢岳を直ぐ前にして仰天発言・・・

とりあえず尾根に出てからどうするか考えようとして13:52に大峯奥駆道に出た

「大普賢岳を通った時は山上ヶ岳から洞川へ降りた。」とこっしーが言ったので地図を見て

所有時間等を見れば予定の行者還岳の非難小屋まで16:30頃に着くので当初のルートも

可能だったが尾根に出るまで一度ルートを外れたり雪や梯子でかなり無理して歩いたので気力

も体力も消耗し翌日天川まで歩けないやろうからの理由で洞川へ降りる事にした。

  大普賢岳が目と鼻の先にあるが登頂をあきらめて、なんちゃって大普賢岳登頂写真を捏造。

北に進路をとると今度は雪面がトレイルを隠しあっているのか不安だったし

雪面を踏み外し太ももまで雪に埋まったりしながらもGPSを見ながら進んだ。

  14:50 以前はここにテントを張ったという脇ノ宿跡周辺にテントを張った。

確かにロケーションは抜群だったがその分、風が通り寒い。

気温は16時で4度・・・日が沈んだらどうなるんやろ。

こうなると、やることは一つ日が沈む前に飯を食べて寝袋に入り暖まる。

鍋で身体を温めテンチョの中でこっしーと明日の予定を確認し

なぜか妙高高原の地図を見せられ「どう?ここ」と言われたのは火打山。

ひょんな事から山を登り始めたが熊野古道が終われば山登りを辞めるかもしれないのに

辞めないとこっしーは思っているみたいだ。

そうなんかなぁ。現時点では辞めるつもりなのになぁ。

 

 

 


今年二度目の高野山町石道

2011年04月16日 21時41分53秒 | OUTDOOR

 前日の雨が気にはなるが今日も練習の為に高野山町石道を歩きに来た。

そして今日はこっしーも一緒だ。

久しぶりのトレッキングだったみたいで前夜からメールが多々あり不安たっぷりなこっしーが目に映る。

今日も荷物を12Kg程背負い24Kmほど歩いた。

いやー長かったなぁ。6時間半・・・距離はあるが歩きやすいコースとはいえ荷物が重く身体に来る。

こっしーも久しぶりなので慎重な足取りだったが高野山の大門を見た時には、やりとげた感があったと思う。

大門から大伽藍を経て金剛峯寺を歩きバスに乗って特急こうや号で帰路に着いた。

今回は大峯奥駆道の打ち合わせも行い、いよいよ奥駆へのチャレンジが見えて来た。


熊野古道・中辺路 赤木越えと大日越えの派生ルート

2011年04月16日 17時31分39秒 | OUTDOOR

 早朝6時に起きると共に朝食の準備をし食べた後は早くも撤収を開始し8時には、ふじや前のバス停でバスを待っていた。

バスで発心門王子まで乗って赤木越えルートとの分岐まで近露方向へ歩いた。

 赤木越えへの入り口の橋を渡ると登り口広場があり「おっ!ここでキャンプしたら便利やなぁ。」と思っていたがキャンプ禁止の看板があって断念した。

広場は綺麗なトイレと何故か和船が展示されている。

ここから尾根に出るまで急な登りが続きへこむ・・・

尾根に出ると所々で視界が開け見晴らしが良い。

 尾根のアップダウンを続け湯峯の手前で急な下りが続く。

浮石も多いので転倒には十分警戒したが一度だけだが足が滑った・・・荷物が多いと衝撃も激しくて危なかったなぁ。

眼下に湯峯が見えた時はホッとしたよ。

 これから大日越えで本宮を目指すので温泉には入らず湯峰王子に参拝して先を急いだ。

しかしここからも急な登りが続き、前日の方が楽だったなぁ。と思った。

何時もは標準歩行時間が私の標準所要時間となるが今日は時間をオーバーしそうだ。

やはりこの荷物で階段は辛いぞぉ。

 「反則な登りやなぁ。」と文句を言いながらも一歩一歩、歩を進めると鼻欠け地蔵に到着。

この辺からは下ってるので楽かと思ったが急な下りで疲労困憊の身体にはきつかった。

 急な斜面を無事に降りて国道168号線に出て本宮を目指す。

昨日に次いでの参拝だが今日もしっかりと一日も早い安息の日々が訪れるように祈願した。


熊野古道・中辺路 小雲取越

2011年04月12日 22時22分11秒 | OUTDOOR

  朝2時半に目覚め一路熊野本宮を目指し愛車を飛ばす。

何度かの仮眠をして何とか新宮行きのバスに乗り込んで神丸で降りて小口行きに乗り換えて小和瀬バス停で下車した。

  同じく小和瀬のバス停で下車したのは私の他に男性一人と女性二人組みで共に小雲取越をする人達だった。

意外と寒さを感じる朝だったのでトイレの後は併設の東屋でストレッチ。

ストレッチしていると男性が先に歩き出し、そして女性二人組みが出発しても未だストレッチ。

若い時は勢いで歩けたがストレッチしないと次の日がきついからなぁ・・・

 

  歩き始めて直ぐに尾切り地蔵にまで来る。

「昔は尾にあたる土地は栄えないというので、尾の部分であるこの地に地蔵を奉納して、この場所で尾は切れたとした。それで尾切り地蔵という。」

 尾根に取り付くまで急な登りが続くが最初の30分はスローペースを守りのんびりと歩く。

少し高度が上がると、たまに視界が開け古道沿いの生き生きとしたシダと桜と赤木川の流れが素晴らしい。

尾根に出ても登りは続くが緩やかになり春の訪れを感じながら歩が進む。

  熊野古道全般に感じるが休憩する箇所が少ないように思う。

ここも例に違わず桜茶屋跡に着くまで無い。

横にある東屋は日当たりが良くこれからの季節は暑かろう。

その東屋で昼食・・・ってまだ9時10分やん

  尾根道は歩きやすく足取りも軽やかに進む。

もう一つの東屋のある石堂茶屋休憩所を過ぎて少し歩くと「賽の河原地蔵」に着く。

伝説によると、このあたりで年若い僧が狼に襲われて亡くなり、その霊を弔う目的で作られたそうだが、震災で無くなった子供達が救われるようにお祈りをした。

  賽の河原地蔵から少しあるくと林道と交差し林道を300mほど進むと綺麗なトイレがある。

林道交差から少し登り少し歩くと百間ぐらに着く。

いやぁ。凄い絶景やなぁ。天気も良く快晴だったので更に感動だ。思わず佇んでしまった。

  百間ぐらからは下る下る

万才峠の分岐点からは緩やかな下りになって歩きやすいのでグングン歩く。

請川に14時前の到着予想を大きく上回り11時40分に請川へと着いてしまった。

これからキャンプ場に行くには勿体無いので熊野本宮まで足を伸ばすことにした。

  なんやろ国道沿いを歩くといきなり初夏を感じるぞ。

途中、大峯奥駆道への入り口を見ながら、「ここから吉野まで歩くんかぁ。」

大峯奥駆道は本宮から吉野へ歩くのが本来の歩き方らしい。

そうこうしていると大斎原が見えて来た。

  熊野本宮は本来はこの熊野川の中州に置かれていたのだが洪水で流され現在の位置へと移った。

昔から中州にあったのが明治になり洪水の被害にあったのは山が杉山へと変化した影響だろう。

  今年初めての本宮参拝は桜舞う快晴の元での参拝となり、

これで大阪の天満橋から新宮の速玉までの一筆歩きが出来上がった。

その記念に社殿修復の奉賛金を奉納した。

その後、請川までバスで行きキャンプ場へと向った。

  今回というか熊野古道歩きの為に緊急時にビバーク出来るように購入したファイントラックのツェルトを初めて設営してみた。

初めての設営でもあり悪戦苦闘しながら設営したが問題点も色々と見つかった。

山岳で使用するまでには対策しておこう。

 

  設営も終わり地酒を呑みながら管理人が来るのを待った。

酔うまでに徴収しに来て欲しいところだが一本目が呑み終わる頃にようやく来た。

キャンプ代を払って焚き火をしたいので薪が欲しかったが受付からテン場まで運ぶ自信がもはや無く・・・

その事を管理人に訴え車で運んでもらった。

しかしなんであんな遠くにテントを張ったのかなぁ。

早い時間に着たのでもう少しキャンプする人がいるだろうと思い奥に張ったが全然だった・・・

芝生に3張りとキャンピンカーが一台と私。

震災で仕事も無い私だが・・・みんな仕事あるのかな?

  夜は焚き火を焚いたが杉は持ちが悪くてあっちゅう間に終わった・・・

しかたない寝るか

とツェルトに初潜り、狭いなぁ・・・これで二人用なんだ。

夜中に鼻が詰まり目が覚めた、花粉症の症状だった。

日中は鼻の中の内側に塗る薬のおかげで花粉症の症状が出なかったし4時間置きの再塗布もしたので平気だったが寝ていると当然塗れずに症状が出てきたが、これは良い塗布薬だなぁ。この薬を開発した会社に感謝するよ。