KAMATA CYCLE

子供の時から自転車に乗り続けて現在でもMTBを中心に活動しています。

熊野古道・紀伊路編 岩代~田辺

2010年09月26日 20時04分34秒 | OUTDOOR
今日で紀伊路は田辺まで歩くことになる。
酷暑の中をよく頑張って歩いたよ。


新今宮駅から紀伊田辺行きの電車に揺らされて2時間半で岩代駅に到着。
二週間前は夏だった気候はいつの間にか彼岸花が似合う秋へと移っていた。
先ずは千里王子社を目指す。しかし、道が判らなくなり地元の人に尋ねて無事に千里浜と言う海岸に出る。
熊野古道唯一の海岸を歩いて千里王子社へ向かった。


 千里浜の海岸はウミガメの産卵地らしく保護していた。
この浜からたくさんのウミガメが旅立っていったのだろう。


そして私は紀伊路最大の混迷に教われた。
千里王子社から本には「千里観音から谷間を進み線路の下をくぐって右折、南部峠へ向かう。」と書いていた。
ところが千里王子社に三鍋王子社の道標があったのでそちらに向かった。
そして二岐の分岐で道標が下って行く方の道にあったのでそちらに向かった。
道は線路にぶち当たって二岐に分かれていた。
一方は施設へもう一方は段々細くなり消えた。
ここで頭の中が混乱した、道が無いどうしようか。
一応線路まで登って確認。向こう側に道は無し。ならあの道標が間違いか?
もう一方を歩く事にした。ぐんぐん高度を上げるので心配したが実はこちらが正解でした。
ただ線路の下はくぐらなかったので本文と道標の両方が間違えている。


 道に不安を覚えながら何Km歩いただろう。
もはや国道に出る事だけを考えて歩いていたので熊野古道を歩いていると知った時はビックリした。
南部峠からの山道でスズメバチの歓迎を受けながら三鍋王子社に着く。
南部市街を抜け鹿島神社を参拝する。鹿島神社の本殿は三鍋王子社の本殿を移築したと記載していた。
 ここから旧国道を歩き芳養大神社に着く。
いやぁ、海が綺麗だったので途中の海岸で昼飯がてら眺めてた。


 昼飯の後、一時間程歩くと田辺市街に入り車も人も多くなった。
潮垢離浜の記念碑は此処から中辺路を歩く人が内地へ向かう前に海で穢を落として中辺路に向かったそうだ。


出立王子を経て、いよいよ、道分け石のある場所まで来た。
よく歩いたなぁ。と自分を褒め称えたいよ。
紀伊路もこれで完歩した。来週からは中辺路に入る予定。

第一回カヌースクール?

2010年09月20日 20時32分57秒 | OUTDOOR
19日と20日で第一回カヌースクールを開催した。
場所は熊野川の道の駅前から桧杖までの約10キロを下った。



 19日は移動とカヌー組み立てのみでU氏にはアルピナ2の組み立て方をレクチャーした。
19日はそのまま道の駅前の川原でキャンプをした。
日も落ち月明かりのキャンプは楽しかった。


 U氏のスタート・・・実は乗りコケしてました。
久しぶりのカヌーとはいえ・・・


 右往左往して進むU氏。
浅瀬ではバックしての指示に前に漕ぐU氏。
前半はこんな調子で沈も期待出来たがカヌーのエアーを抜いて扱いやすくなったみたいで残念だ。



 久しぶりにノーティレイの出撃だ。
んーやはりこの艇は美しいなぁ。

にしても後半のU氏の上達振りは・・・
面白くないから沈させようと瀬の途中でカヌーに立ってみてと要求してもやらず
こんなんではブリュッケに行っても盛り上がりが無いやんか。と言っても普通に漕艇する始末。

 U氏は自然の川では初めてのカヌーとなるので一応は色々とレクチャーした。
無事に何事も無くゴールしU氏に帰りの車内でカヌー購入についてのレクチャーが始まった。

熊野街道・紀伊路編 山之口~天満

2010年09月12日 16時56分28秒 | OUTDOOR
 昨日深夜にNHKの「街道てくてく旅 熊野古道をゆく 総集編」を見ていたら歩きたくなり今日は梅田に行く予定だったから天満まで歩くことにした。


 早朝は目覚ましでh起きれず慌てて山之口橋に向かう。
この土居川は昔の堺の町を囲むような堀になっており城塞都市のようになっている。
仁徳天皇陵を経てあの第八学区?だったかなぁ?トップの三国ヶ丘高校前を通る。
以前数学の先生に「お前は数学だけは三国ヶ丘で通用する。」と言われたのを思い出した。
ほんまに数学だけ得意やったなぁ。


 堺市北部の熊野街道は不明瞭で定まっておらず道標が無い
境王子跡も大体この辺りみたいな感じ、石碑の石は熊野本宮大社のある本宮町からの寄贈だそうだ。


 堺市と大阪市の間に流れる大和川は以前に比べて少しは綺麗になった。
汚川の代表だったからなぁ。大腸菌O-157も検出したもんなぁ。
綺麗になっんは上流の奈良県民の頑張りやろなぁ。たぶん・・・


 少し街道から離れるが住吉大社に参拝した。初詣の人混みが嘘のようだ。
大社の近くに住乃江味噌池田屋本舗という趣のある建物がある。(表紙の写真です。)
しばらく歩いていると救急車がサイレンを鳴らしながら走っていた。
なんとなく車のナンバーを見ると9980・・・きゅうきゅうしゃ・・・まさかな。


 天王寺を目指しているとまたもや救急車のサイレンが聞こえてきた。
また、なんとなくナンバーを見ると9980・・・あれ?さっきの救急車?
それとも違う9980か。
そんなことを思いながら阿倍王子神社と安倍晴明神社を経て天王寺に着く。
天王寺で喜多方ラーメンを食べたが、疲れでうっかり忘れてた・・・
元々口内炎が出来やすいのだが、5つも今口内に出来ている。
原因は定かではないが先週のトレッキングの疲れなのかなぁ?
足をジタバタさせながらラーメンを食したのは久しぶりだ。


 四天王寺を通り谷町筋から東に二本行った筋を北上する。
昼までは夏やなぁ、と思ったが昼から曇ってきたし風も心地よい。
やはり秋は直ぐそこまできてるんや。
土佐堀通りを越えて直ぐの道を左折し直木三十五の碑で右折する、あれ
どこかで見た景色だと思って考えていたら思い出した。
あの向こう側は少し前まで、みぃやんをが居を構えていたところやんか。
なるほど見覚えあるわな。


 後はこの筋を30分程歩いたら天満に着いた。
現在は永田屋昆布本店の軒下に八軒家船着場跡の碑がある。
江戸時代は三十石船で京都と大坂を往復して繁盛したのだろう。
ここからは電車で梅田へ向かうがその前にコンビニでビールを買って飲んじゃった。

今日は20Kmで30300歩でした。

熊野古道・紀伊路編 岩内~岩代

2010年09月07日 21時22分35秒 | OUTDOOR
 ホテルで朝食を食べて7時過ぎに歩き始めた。今日も夏だなぁ。
今日は岩代まで行きたいがこの身体ではたして行けるのか?不安一杯だ。


 海沿いの古い町並みが続く塩屋の集落を少し歩くと塩屋王子神社に着く、
この辺りは塩の精製が盛んに行われ地名にもなっている。
そして海沿いで自販機も随所にあって困らない。
縦長の塩屋の集落を抜けて国道と並走する熊野古道を歩く。
実に暑い、直射日光をまともに浴びる海沿いは地獄だ。
自販機で水分は摂っているので心配ないがそれにしてもこの暑さ、もう9月ですよ。
余りの暑さに下ばかり見ながら歩いていたら上野王子跡をスルーしてしまった。
御坊市は熊野古道の道標がしっかりしていたが印南町に入ると道標が無くなった。
もっとしっかりと道標を設置してもらいたいなぁ。


 路面からの照り返しで灼熱地獄の国道を頑張って歩くけれど気力が失っても行く、
津井王子跡を経て斑鳩王子社に詣でる。
斑鳩王子社で休憩しながら今日は暑いし疲れたから切目で帰ろうと決めた。
そう決めて少し歩くと本日最初のコンビニ登場・・・
岩代まで歩くならここで昼飯を買うつもりだったが店内でクールダウンと水を買って歩き始めた。


 五体王子の一つ切目王子社から切目駅に向かう途上、後日、田辺まで歩く時のことを考え岩代まで歩いた方が良いのでは?と思いはじめた。
切目駅には11時20分頃に着いた。時刻表をみると後5分で電車が来る、なんとベストなタイミングだ。しかし、私は後日の為に岩代まで向かう事にした。
一つには岩代まで約6Km60分で歩け12時半の電車に間に合うのでは?と思った。
歩くと決まれば気力も出てくるって・・・昼飯まだやんか。
しかし時間も無いので水を買って進むことにした。


 足速に中山王子神社を目指すが意外な登りにへこむ。
峠を越えて下りになるとスピードを上げる。
山間を抜け視界が開けると眼下には太平洋の海原が出迎えた。


 急いで岩代に向かって歩くが駅を確認した時には向こうから電車がやって来た・・・
岩代王子社を詣で目の前の海岸で一休みをして駅に向かったが無人駅で周辺には食堂は無かった。
結局、今日の昼飯はカロリーメイト2本だけになった。



 今日は18Km進んで紀伊路も後一日歩けば走破するが、
いまだにハイカーには合っていない・・・
家に帰り体重を量ると61Kgと二日前とおんなじだ。

熊野古道・紀伊路編 湯浅~岩内

2010年09月06日 21時14分09秒 | OUTDOOR
 まったく9月やっちゅうのになんつー暑さなんや!湯浅駅を降りた時にそうおもた。


 へぇー紀伊国屋文左衛門は湯浅出身やったんや。
市街地を歩く時は熊野古道の道標が頼りだ。しかし分岐に必ず在るとは限らない。
新広橋手前を曲がってすぐの分かれ道も道標が無かった。不安をいだき進むと30分たった頃に道標が在って一安心。
そんな事を繰り返し鹿ケ瀬峠の山道に入った。
右手に国道42号線を見上げながら徐々に高度を上げて行くと真新しい小さな橋が現れた。
ここでおかしいなぁ。と思ったが認めたくない・・・
少し進んだら道は行き止まり・・・後は獣道が二本・・・
何処で間違えたのかは何となく判っている。あのゲートのあった道だろうと思い地図を見るとちゃんと記載してるやん。
峠までの道のりは石畳の急登で峠に近付くに連れ更に角度を増した。
先程は見上げていた国道を今は遥か下方に見下ろしている。
物凄い汗が吹き出し身体が水分の補給を欲しがってるのでアクエリアスを飲んだが全然効かない。残りはアクエリアス半分とお茶半分、合わせて500ml位だ。
やばいなぁ、次の自販機はどこなんやろ?
喉が渇いたと思って飲むのは実はもう遅くてその前に飲んで行くのが脱水症状を防ぐ方法だが峠にすらついていないのにどうすんの?


 汗まみれになりながら峠に到着した。
気温は35度を越えており、あまりの辛さに階段に座ったまま30分が過ぎた・・・
これを打破したのは反対側から登って来た初老の女性だった。
その女性は来た道を引き返していったが、その女性がきっかけとなって動き出す事が出来た。
残りのアクエリアスを全部飲んだが脱水症状の初期症状は収まる気配無し。


 下りとはいえ早く水分を摂らないと危険にかわりない。しかし、意外と早く金魚茶屋跡を少し下ったところで自販機を発見しアクエリアス500ml缶を一気に飲むことが出来た。
里に降りたし、もう自販機に困らないだろうと思って追加の飲み物を買わずに出発した。
原谷の集落でも二カ所に自販機はあった。身体はまだ水分を欲しがってるが胃には先程のアクエリアスが残っていたので買わずに歩く。
しばらく歩くとまた、脱水症状が現れた。
しかし、自販機は無く夏空のもとアスファルトの照り返しに耐えながらの行進が続く。
内ノ畑王子跡を過ぎて残りのお茶を全部飲む。最悪でもニキロ歩けば駅がある確実に補給が出来ると読んでの行動だが辛い。


 内原王子神社はそんな状態の時に訪れた。
明治の神仏合祀で熊野古道の王子は殆どが合祀されたが新たに分祀されたりして社が復活している王子もある。
どうせなら他の王子跡も復活してほしいもんだ。
神社を後に少し歩くと待望の自販機を発見!しかもコカコーラ、キリン、サントリー、大塚製薬と豪勢だ。悩んだあげくポカリスエットを飲む。
流石に御坊も近いから今度こそ大丈夫だろうと歩き出した。
しかし二度あることはなんとやら・・・
善童子王子跡を過ぎて次の目印の富安橋を探すと橋の近くに自販機を見つけ一安心する。
でが橋まで来ると自販機が無い?辺りを捜すがやはり・・・意気消沈しながら進み愛徳山王子跡を過ぎて、やっと自販機があった。
補給はしたが少し遅かったのか意識が朦朧とするなか歩く。朦朧としていたので海士王子跡には気が付かずスルーしてしまった。


 線路を渡り御坊市街を歩き途中のスーパーでアミノサプリと水とビールを買って重くなったザックを背負い日高川を渡り岩内王子跡を今日の最後にして予約したホテルに向かった。
チェックインを済ませ部屋のユニットバスに水を張ってクールダウンしながらビールを飲んだ。
最高に美味しいビールだ。
その後は大浴場で風呂に入って疲れを癒し体重計に乗ってビックリ58Kgと昨日と2Kg以上軽いも。夕御飯前を考慮しても1500ml位は少ないと思う。
水分を摂るためジュースや水を飲みまくった、その為ビールは二本で我慢我慢。

今日は41377歩の24km歩いた。