「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

かーちゃんが来たらエビとパクチーがたっぷりのガパオライス@鎌倉七里ガ浜

2024-03-18 12:00:53 | 食べ物・飲み物
間もなくお客さん(ひとり)がやって来る。

ちょっと緊張している。私はガパオ・ライスを作るから。

私はいつもは夫婦2人分の料理しか普段作らないから、我々夫婦 + お客さんひとりの合計3人分の食事となると、食材や調味料の分量がわからなくなるのだ。


ドガティ君は昼寝。


ニンニク、唐辛子、スイートバジル、ピーマン、パプリカ、パクチー。


エビと豚ひき肉。


そのお客さんは名前をかーちゃん(仮名・女性)と言う。

かーちゃんはエビとパクチーが大好きなのだが、そのオットさんはエビもパクチーも食べないらしい。

そこで、我が家ではかーちゃんをお招きし、エビとパクチーだらけのガパオ・ライスを食べて頂こうという企画を考えたのだった。

ピーマンとパプリカ。


パクチー、スイートバジル、エビを適度に刻む。


砂糖、酒、ナンプラー、オイスターソース。


調味料はこれがすべて。

タイ産ジャスミンライスを炊く。


唐辛子たくさん。


ニンニクを擦る。


ここまでで一旦休憩。

あとはかーちゃんが来る直前に再度準備する。


かーちゃんが来る20分前から再開。

油、ニンニク、唐辛子を加熱し、挽肉を炒め、ピーマンとパプリカを炒め、そこに調味料を入れて、さらにスイートバジルを入れる。


いそげ、いそげ。

目玉焼き。


黄色くね。

トロトロにね。


お客様到着。近所の方なので、時間に極めて精確に到着された。

誤差なし。

ほら出来た。

ビールもつぎましょう。


ドガティ君が「ボクもほしい」と言っている。


はいはい、みなさん、いつまでもしゃべってないで、席に座ってくださいね。


はい、食べましょう。

かんぱーーい。とまずはビールを飲む。

なんと簡単なお客様の迎え方。この簡単なガパオライスの歓迎に対して、我々はかーちゃんからスパークリングワインを頂いてしまった。

まさに海老鯛だね。

申し訳ありませんm(_ _)m

途中で申し訳ないが、最近生田ちゃんのテレビCMを観てたら、彼女がウェストサイド・ストーリーの中の曲、 I Feel Prettyを歌っている。

アサヒ食彩 CM 「あけるってステキ」篇 30秒 生田絵梨花

この曲は、私にとっては思い出の曲なのだ。高校生の頃私はジュリー・アンドリュース・ファン・クラブ会員であり、彼女の熱心なファンだった。

その頃入手することが難しかったジュリー・アンドリュースのLPレコードの輸入盤を私はどこかのセール会場で見つけて買ったのだが、その中にこの曲が入ってたんですねえ。

I Feel Pretty (From West Side Story)

懐かしいわぁ~♪ 40年ぶりくらいで聴いたかな。

最近Netflixでレナード・バーンスタインのことが映画化され人気だから、それにつれてウェストサイド・ストーリーもの話もよく出て来るね。

これがその映画でMaestroだ。

Maestro | Official Trailer | Netflix

ウェストサイド・ストーリーつながりで言うと、先日葉加瀬太郎がTV番組で「ノリノリになれるクラシック音楽を紹介してほしい」という視聴者からのリクエストに対して、同ミュージカルの中のバーンスタインの作品のひとつMamboを紹介していた。

葉加瀬太郎がウェストサイド・ストーリーの曲を紹介したことって、この視聴者のリクエストに応えたことになるのかよくわからない。しかしとにかくこの大指揮者デュダメル(↓)も、Mamboをよく演奏曲目に加えるね~。

Gustavo Dudamel & Simon Bolivar Symphony Orchestra – Bernstein: West Side Story: Mambo

米国人がラテン音楽を念頭にオーケストラ向けの作曲・編曲するとこうなるのか?

やはりちょっとしたバーンスタイン・ブーム?

しかしその後のバーンスタインはウェストサイド・ストーリーのような仕事を好まなかったとどこかで読んだことがある。

話を食事に戻す。寄り道し過ぎだ。

サラダは妻が作ってくれた。


そこからはしゃべるしゃべる。

ビールを飲む、ワインを飲む。

夕方までしゃべり続け、おやつも食べて、紅茶も飲んで腹いっぱい。

ヴィオニエのワインって、いいね。



晩御飯はいりませーーん。もう食えない。

モバイルバッテリーを購入した。



終日外出している時にスマホを酷使すると、バッテリーが切れてしまう。

そんな時のためのものだ。


私のiPhoneとほぼ同じ大きさのモバイルバッテリー。


これで外出時も安心だね。

また話が飛ぶ。34年前のことになるが、レナード・バーンスタインが日本のログハウス雑誌で何度か取り上げられたことがある。その頃私はログハウスに凝っていた(笑)。今では想像できないかもしれないが、直径30cmはありそうな丸太のログハウスが大流行中だったのだ。

来日時にどういう背景があったのかわからないが、レナード・バーンスタインが北海道に出かけ、現地でオーケストラを指揮していた。その時彼は苫小牧から近いホテル・二ドムのログハウスのコテージに宿泊した。

久しぶりに調べたらそこは今もバーンスタインの記念館として残されているらしい。

こんなところだ(↓)。

浴衣を着たバーンスタインの写真があるね。

ログハウスのコテージの壁に、竣工時にはおそらく存在せず、後付けのように見受けられるエアコンの室内機が見えるね。二ドムの森も途中から夏は暑くなって来たのかもしれない。

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乾正雄著「夜は暗くてはいけないか」を再読する@鎌倉七里ガ浜

2024-03-17 01:03:43 | 内装・インテリア
建築の先生、乾正雄さんの本を再読した。

照明や色彩に関する著書が多数。絵画や音楽にも詳しい方だ。

夜は暗くてはいけないかというタイトルからもわかるとおり、なんでも全部を明るく照らし過ぎる日本の現状への批判が込められているように思う。


私も明る過ぎると思うことが、日本のオフィス内の照明、街の照明、住宅の室内照明について多々ある。

家の中の照明は、基本を壁付け照明にしてその周囲を照らすのみというのが、私の好みだ。


居室の場合、天井付けの照明は要らない。


だから、天井はこんな具合。


洗面所も似たようなものかな。


自宅の洗面所は鏡の上と、天井に小さなダウンライトがあるだけだ。

海外の住宅もそうだよね。日本国内でも最近のホテルはみんなそう。

こちらは米国ジョージア州アトランタのインターコンチネンタル。

かつて私が泊まった時の画像だ。


室外の廊下はこんなつくりで、多少は天井の照明がある。


それでも落ち着いた明りだ。

こちら(↓)は再び私が泊まった部屋の画像だ。


照明はすべてその近くの限られた場所だけを照らすためにある。


天井に取り付けられ、それだけで全体を隈なく明るく照らす蛍光灯というものは存在しない。

話は違うがアトランタのインターコンチでは、トイレにウォシュレットや温便座なんてものはなかった。



シンガポールのリッツ・カールトンもなかったな。



普通はないよねぇ~(笑)。

照明もトイレも、日本ってやっぱり力の入れどころや考え方が、どこかちょっと変わっているのだろうね。

しかしアジア諸国では日本のTOTOその他に追随して安価なウォシュレットを生産・販売するメーカーが続々出て来ている。

我が家もさすがにダイニングテーブルの真上には照明がある。


まぶしすぎるので点灯しないで撮影。


これを灯して食事するのである。

照明とは無関係な話だけれど、我が家は掃き出しの窓はない。上下上げ式で縦長の小さな窓があるだけで、採光はかなり絞ってある。

部屋の中に直射日光があまり入らないようにしてあるのだ。したがって昼間で外が晴れていても、屋内は暗めである。


こちら(上下の画像)は玄関回り。


玄関の外(↓)。夜はこれくらいの暗さが好みだ。


でも玄関灯や門灯はあった方がいいと思うな。以前住んでいた逗子の住宅地に比べると、今住んでいる七里ガ浜住宅地ってそれらが少ない。警察から聞いた話からすると、防犯上もまずいと思うわ。

名著の陰翳礼讃。言わずと知れた谷崎潤一郎の著書だ。設計や照明に関して必ず引用される本だ。多く人がタイトルを知っているが、実際に読んだ人は少ないので、谷崎が言いたかった内容を正確に知っている人は意外に少ない。谷崎は単に陰翳を礼讃したということではない。未読の方はぜひご一読を。一度も洋行したことがない谷崎潤一郎が「欧米と比べて日本の住宅内は暗い。しかし日本の住宅のつくりや、日本人の肌や髪の色や、お椀の塗りや畳の色まで含めて、その内部の暗さが合っているのだ」と日本に特殊な陰翳、屋内の暗さを評価したものである。


しかし谷崎が生きた時代の途中から、日本の住宅内の照度は急速に明るくなり、やがて欧米のうち少なくとも欧州のそれを抜き始める。

乾先生の著書によると、日本の照明の進化は、欧米のそれに比べて同じプロセスをあまりに早く通り抜けてしまっているようだ。

その他の分野同様に、照明の分野においても、それに親しみそれを理解してそれを上手く使いこなせるようになる前に、次の新しい変化をまた経験してしまうという後発国日本特有のプロセスを経たのだろう。


直接的な炎に始まり、蝋燭⇒オイルランプ⇒石油ランプ⇒ガス灯⇒白熱電灯⇒蛍光灯。

これらの本来はとても長い時間がかかる変化を、後発の日本は後から入って瞬く間に経験してしまう。近代的照明の使い方を以前のそれと関係づけることなく、まるで断絶させたかのような使い方の変化を経る。

戦後の蛍光灯の普及はそれを加速する。「明るいことは良いことだ」とばかりに、天井に蛍光灯を配置し、それひとつで部屋を隅々まで白く明るくするという照明のほぼ一択になってしまう(近年は少し変わって来ている)。

白熱灯でその周囲のみを照らし、食卓やキッチンなど作業を必要とするスポットだけは上から下にしっかり広く照らすというやり方は、日本ではほぼ取り入れられなかったのだ。

そのあたりを乾正雄先生のこの著書は、ゆっくりと解説してくれる。



住宅建築の変化でも似たようなことが見られた。


日本の武家屋敷などはご覧のとおりだった(↓)。

柱があっても、障子を開ければ柱と柱の間は広い開口部。それが日本の建築だ。しかしガラスサッシなんてものもなかったので、雨が降れば障子や畳が濡れるがそれでは困るから、外側に幅広い「縁側」があり、それを上から覆ってもっと先まで軒が出ていたわけだ。


こんな風にね(↓)。だからサッシなんてなくても真夏の降雨時に開口部を開けたまま涼しくしていられた。開口部は大きいが、開けっ放しで障子も畳も濡れずに済んだ。

しかしだからこそ、昼間太陽が高い位置にある時に室内にまで直射日光が差し込むことはなかった。屋内に陰が生まれた。夜も蛍光灯なんてなく、せいぜい行燈。

それが正に谷崎潤一郎が礼讃した陰翳だ。彼の著書の陰翳礼讃なのである。


ところが戦後は密閉度の高いサッシが生まれてしまった。

窓さえ閉めれば雨は入らないから住宅から軒までなくしてしまい、日中は屋内まで直射日光が差し込む家が生まれ、蒸し暑くなるのでエアコンで屋内を冷やすがとにかく眩しいくらいに明るい。夜は天井に配置した蛍光灯で屋内を全面的に照らすので、とにかく朝から夜まで世界的に屋内照度が高い国となり「文明的」になった。

しかし世界は温暖化し、蒸し暑い日本の住宅は夏に屋内を敢えて温める住宅になっているという皮肉。何かが便利になれば何かが困ったことになるという、いつもの図式。人間のすることはだいたいそういうことが多い。

照明だけではなく住宅設計も、日本はどこか歴史的に断絶的な変化を経ているようだ。
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ジョージア料理として人気のシュクメルリ、ただしスズキヤさんのうさぎ肉(笑)@鎌倉七里ガ浜

2024-03-15 13:27:36 | 食べ物・飲み物
ブルックナーの交響曲第八番。



ヴァントの指揮で♪

Symphony No. 8 in C Minor, WAB 108: IV. Finale. Feierlich, nicht schnell (Live)

妻がまた江戸の実家に出かけるので、クルマでJR藤沢駅に送る。


七里ガ浜住宅地を抜ける。


国道134号線を西へ。


藤沢市内中心部へ。


鎌倉から来たら大都会。

JR藤沢駅前。


川名の交差点からバイパスへ。


藤沢市柄沢のオートバックスへ。


クルマ用品を調べに行った。

まだ買ってないけどね。

オートバックスって最近はクルマを販売している。

買い取りも盛んなんだろうねえ。

レンジローバーも。


高そうだわぁ~。


クラウンも売っている。


名車がずらり。

そこからすぐ近くの業務スーパーへ。


買い物いっぱい。

いつもの豆乳も。


初めてみたカップ麺も買ってしまった。


大黒ってごぞんじですか?

私は知りませんでした。

小動の交差点まで帰って来た。


自宅駐車場に戻った。


さて、本日の料理を開始しましょ。

最近日本で人気のジョージア料理シュクメルリ。



チェーン店の松屋が定食で販売して一挙に有名になった。



それにしても日本のレシピって、ジョージアのオリジナルとは異なり、ホワイトシチューの素を使い、サツマイモを入れ、チーズを振りかける。

日本らしい工夫があるね。それで似たようなものができるからおもしろい。

ジョージアでは一般的に鶏肉でつくるらしいが、私は長野県飯田市の肉店スズキヤさんのうさぎ肉で作る。


骨付きだよ。

スペイン産のニンニクを購入した。


大量にみじん切り。


スパイスはこの3つを使うといいらしい。



フェヌグリーク、パプリカ、コリアンダーの各パウダー。

こちらがうさぎの骨付き肉。


玉葱のみじん切り。


先ほどのスパイス三種はこちら。


塩はモルドンを使う。


いや別にモルドンでなくてもいいけど(^^;;

この塩はおいしいのだ。

.

バターとニンニクのみじん切りを加熱する。


これがソースの素となるよ。

他方でうさぎ肉を焼く。塩だけ。


蓋して弱火でじっくりと焼きましょう。


ソースづくりとして豆乳を入れる。


本来は牛乳らしい。

こちらにも少し塩を入れる。

そこに先ほどのスパイスを入れる。


フェヌグリークがスパイス香のしっかりした骨格をつくる。

これはいい香りだ。


肉がじっくり焼けて来たね。


そこへ玉葱のみじん切りを入れる。


それが十分に焼けたなら、ソースの鍋へ投入する。


絡めただけで、その後盛り付けへ。

出来ましたよ。



ブラックペパーを加えてみた。

これは美味しそうだ。


これはシチューではない。でもちょっとシチューみたいだ。

仮にシュクメルリのルゥなんてあったとしても使う必要がないね。

牛乳(または豆乳)、ニンニク、塩、スパイス、バターなんてものがあれば、似たようなものができちゃう。

これはおいしいわ。


バゲットを浸してしまう。


ジョージア大好き。

いい国だね。

SNS発信が上手な駐日ジョージア大使のご婦人およびそのお母様がつくるシュクメルリの本格的レシピはこちらですよ♪

【 ジョージア編】大使夫人直伝簡単「シュクメルリ」ソースは煮込まず絡めるだけ|Chkmeruli

自分で食べたことがない料理って文章と画像から想像して作るのが面白いけれど、それで合っているのかどうかわからないので、不安になるね。

話は変わるが、私はこの人に民主党の大統領候補に出てもらいたかった。

明るいし、聡明だし、なによりユーモアのセンスがあって、チャーミング。

こんな大統領夫人って他にいないよね。政治家としてはまったくの未知数だけど。

First Lady Michelle Obama Carpool Karaoke

スティーヴィー・ワンダーをノリノリで歌いまくってるよ。 

本人は候補になることを固辞したらしい。残念。
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日高屋の人気メニュー野菜たっぷりタンメンに挑む@鎌倉七里ガ浜自宅厨房

2024-03-14 15:11:31 | 食べ物・飲み物
ハスキーで声量たっぷりなマイケル・ボルトン。

好きなんですよね~。


昔は突っ張ったロックだったが、ずいぶん丸くなった。

そしてそこから何年も経って、今はどうしておられるのかな?

If I Could ♪


聴いていただきましょう。美しいぃぃ・・・・。


本日のテーマは庶民の味方、日高屋。

埼玉県が本拠地だ。

町中華のチェーン店。


そこの人気メニューに野菜たっぷりタンメンってのがある。

「野菜不足だわ」と思いつつも、がっつり食べたいと思う若いお兄ちゃんがよくオーダーするメニュー。


妻がピラティス教室に出て行った。


私は留守番してランチ当番。

三井の森からはゴルフ場会員のお誘いがよく来る。


そりゃいいスポーツだとは思いますよ。

でもいろいろ誘い合ってゴルフするのが面倒。

だからゴルフはしない。

最近は大手不動産会社から持ち家の人にDMが多いよね。


家を売ってくれというお願いだ。

なぜ住所と名前を知っているのか?と思ったが、登記簿謄本で簡単に調べられるらしい。

考えたら当たり前か。

でもそれをひとつひとつ調べるのも結構コストがかかるよね。

ストロング系チューハイが数社で販売中止になる中、サントリーのこれはどうなるのか?


しかし、よくわからんねえ。

ワイン、日本酒、ウィスキーなんて、それよりはるかにアルコール度数が高いけど。。。

それは置いておいて・・・

本日は日高屋の野菜たっぷりタンメンに挑むのであるから、野菜と鶏ガラだしを用意。


味の主体はこの鶏ガラだしだけ。

胡椒を利かせる。最後にね。


醤油、オイスターソース、辣油なんてのはなしだ。

しかし豚バラをよく炒めてそこからの脂を味わう。


さらに野菜を煮るしね。

肉と野菜を煮れば、それでかなりダシがあっさりと出るから。

加えてニンニクとショウガ。


これらを擦って、スープに入れる。

まずは豚バラ肉を炒める。


麺はマルちゃんの味噌ラーメンの麺を使いましょう。


こういうのね。変哲のない麺。


使うのは麺だけね。スープは自作するから。

マルちゃんの麺を買うほうが、麺だけを買うより安いので、この麺を使うというだけのこと。

白湯スープ的情景。


鶏ガラだしスープの素に豚バラ肉からでた脂、ショウガ、ニンニク。

それをちょっと飲んでみる。


十分旨いよ。

まだ野菜は投入しない。これは最後に数分煮ればいいのでね。


さてあとは妻の帰りを待つだけ。


「か」がmessengerで来た。


帰るって意味だ。

ここからはあと10~15分で妻が家に戻る。

それを見計らい、野菜を投入。煮るだけ。


外を眺める。


お~、無事帰って来たね。


スープが最高の状態よ。

だしも出てる。


麺をサッとゆでて、どうぞ!


これ(↑)が自作の野菜たっぷりタンメン。

これ(↓)が日高屋の野菜たっぷりタンメン。


遜色ないよ。

これ、おいしいぞ。胡椒たっぷりね。


旨いわ。

ズルズルっと麺をすすろう。


透明度の高いスープのタンメン。

塩味でね。


面白くてチャレンジングなランチでした。
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シェリーさんからもらった北雪Blackout、その他と親子丼のランチ

2024-03-13 12:02:47 | 食べ物・飲み物
シェリーさんって人がいる。

直接お会いしたことはないが、何年も前からやりとりしている(私にはそういう人が多い(笑))。

そのシェリーさんから頂きものあり。


ペペロンチーノ・ガーリックおかき。

こりゃー中毒性があるわ。危ない(笑)

ぽりぽり食べる。

辛いね。ニンニクの香りもある。いくらでも食べられるよ。

こちらはルイボスティだ。


シェリーさんのお宅で飲み続けている銘柄らしい。

ルイボスティにもいろいろとあるんだね。

私もルイボスティは好きだ。

いろいろ買っては飲んでいる。


これも有難くいただきましょう。

まだある。

しかも次はお酒だ。

それも北雪。


新潟県の佐渡島産のお酒だ。

私が大好きなお酒で、シェリーさんはそれをご存じで、私に送ってくださった。

どうもありがとうございます。

真っ黒なラベルだ。


不思議でしょ。

年初いきなりの能登地震。この北雪の酒蔵も被害を受けた。

揺れで原酒がこぼれた。

また停電が続いたが、それは現代の製造・保存プロセスでは致命的なことだったらしい。

しかしながら昔ながらの知恵を終結してなんとか製造、販売にこぎつけた酒がある。

だからラベルが真っ黒なものに。名前はBlackout。


最も一般的な北雪純米はアルコール度15度だが、並行して13度もある。

これは後者だ。


とても爽やかだよ。

しっかりとおいしいお酒だ。ありがとうございます。

シェリーさんや酒蔵に感謝して飲みましょう。

シェリーさんから頂いたおかき(ペペロンチーノ味)を先に食べちゃう。


お酒は翌日にしましょう。

************************************

翌日の話。

サラダを作りましょう。


私はこの日、ランチ当番だった。

つくるものを考えつかない。

そんな時は親子丼だ。

三つ葉と鶏もも肉を用意する。


鶏もも肉は小さめに切る。


味をしみ込ませるのには、小さめに切った方がいい。

味のベースはヤマサの昆布つゆ。甘味があっていいね。


あとは水、酒、砂糖。

こちらはサラダ・ドレッシング。


では北雪を飲みましょう。


鶏肉を煮ているからね。


実はですね、この親子丼の鶏肉がつまみとしておいしい。

砂糖や醤油の味があって、それがじわりとしみ込んで。

つくりながら味見と称してこれを食べ、日本酒を飲むという不思議な楽しみ方があるんよ。おほほほ。

そして味見が終了して同時に北雪で酔い始めた頃に、親子丼が出来上がるというすばらしい調理プロセス。


おぉ~、うまそうだ。


玉葱を加えましょう。


卵はかき混ぜちゃいかん。サッと崩すだけ。


フライパンに入れ替えて、強火で煮る。


卵を加えて火を止める。

もうほとんどそのままどんぶりに入れればいい。


みつばに七味。

三と七だね。


おいしいわ。

ドレッシングも和風にうまくできた。サラダをバリバリたべましょう。


つゆだく親子丼。


あぁ~、全部おいしい。

シェリーさん

改めて、誠にありがとうございました m(_ _)m
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古い切手のコレクション、ミルワード著「変わり者の天国イギリス」、豚汁@鎌倉七里ガ浜

2024-03-12 00:26:16 | いろいろ
小学校高学年だった時、私は切手を集めていた。1960年代の終わりから1970年代の初めにかけてだ。その頃の男の子で切手収集が趣味だって子は多かったはずだ。

この画像(↓)の左上端の切手は、ビードロを吹く娘と言ってかなり有名なもの。


いったい今いくらするのだろう?と思って調べてみると、1,990円ですって。


「たかがそれっぽっち」と思われるかもしれないけれど、私が小学生の頃、すでに数百円して、それは切手の本来の価値である10円の数十倍もしたのだから、大変なものだったわけですよ。

こちらはお魚シリーズ。


こちらはありきたりの切手なんだが、時代がだんだん古くなる。


戦中、戦前のものも出て来るね。


横書きでも右から読むものだらけ。

こういうのは今、価値があるのだろうか?


貴重な第二次世界大戦の切手コレクションをまとめて私に譲ってくれた人がいたのだ。

戦前のものは私が買い集めたものではない。

得した人生だったなあ(笑)。

こちらはグッと時代が新しくなる。私が自分でお小遣いで切手専門店から購入したものだったように思う。名神高速道路とか、関門トンネルとかね。


こちらは平成天皇のご成婚記念切手。


美智子様だ。

今の天皇陛下は私と同じ学年なのだ。私が1959年8月の生まれで、陛下は1960年2月の生まれ。だから私が小学校に入ると、陛下も小学校に入るという、私の意識にはいつも陛下があったのよねー。陛下は私なんて意識していないけど(笑)

東海道新幹線開通は1964年。南極やら富士山やら。


この新幹線の切手は穴が開くほど見つめていたので、東海道新幹線が開通した年が1964年であることは、いつも記憶にあった。

東海道新幹線というと、思い出すのはいつもこの形の新幹線だ。

国立公園シリーズ。古いねえ。



5円と10円が混じる。

国定公園シリーズになると新しい。色もきれいだ。


全部見ているとキリがないので、海外の切手に飛びましょう。

デザインの美しさや色使いでは、外国産のが優れていた。

発展途上国なんて外国のイベントを題材にした切手を量産して、国家収入の足しにしていたもんね。


袋に入れて使用済みのきれいな切手がたくさん安く売られていた。

今もそうなのかな。

いや、今は切手収集なんて、だれもしないのか?

だいたい郵便を出さないもんな。私だって年賀状を停止したくらいだ。

もはや切手というものに私は縁がなくなりつつある。


そんなデジタル時代に、切手を眺める。

米国の切手。おそらくはすごい枚数が生産されたでしょう。

FIRST MAN ON THE MOON! ワォ!! 10セントだよ。


1969年にアポロ11号が月に到着。

ニール・アームストロング船長が人類として初めて月面に降り立った。

月の石は持ち帰られ、翌年の大阪の万国博覧会のアメリカ館に飾られた。私も見たな。。。

で、この10セントの切手が今いくらするのかな?

と思って調べてみたら、あるウェブサイトでは5ドル75セントとのこと。

57.5倍ね。まあ、こんなもんね。


でもこういうのを2~3枚ずつ毎日売ってたら、その日の晩御飯のおかずくらいはしばらく買えるわ(笑)。

下の画像の左上の切手はベルギーがアポロ11号のことを扱った切手で、私は寝屋川市の切手専門店で買ったと記憶しているんだけど、面白いのはその右下の切手だ。


これは当時よくわからず手に入れた切手で、今改めて調べてみると、帝政ロシア・・・つまり今のロシアの前のソビエト連邦の前、革命が起こる前の帝政ロシア時代の切手なのだね。

1914年つまり第一次世界大戦の頃のものらしい。

上の画像の帝政ロシアの切手は、下の画像の左端のものと同じだ。


調べ始めるとやめられない昔の私の切手コレクション見学。

インターネットがある現代の方が、海外の情報が簡単に集めやすい。

切手屋さんは困るだろうね。海外と収集家が直接取引してしまうから。

でもそもそも収集家が減っているんだろうんなあ。

コレクションって人それぞれだねえ。

人により違う趣味、嗜好や考え方を面白がると言うか、尊重すると言うのかね。

英国人にはそういう人が多い。

この本は面白い。面白いほど退屈というか、なんとも言い難い内容だが。


ご関心ある方は古書で見つけてみてください。


私が英国へまた行くチャンスはあるんだろうか??


さて、奥様が出かけている間に豚汁づくり。


こんな具材で作るよ。


たっぷり豚バラ。


たくさん切ったねぇ~~。



ごま油でこんにゃくを炒める。


ゴボウとニンジンも入れて炒める。


水を加える。


味噌に本かつお。


醤油にみりん。


なぜかコチュジャンと鶏ガラだし。


調味料の日中韓。

難しい関係だが、なんとか仲良く。

大根に長ねぎを加える。



そこで豚バラ肉。


ほぼ出来上がりだよ。


美味しいだしが出てくるね。

水からだしの要素を滲み出して、同時に外から味の要素を吸い込む具材たちだ。

厚揚げ。


最後にかけるネギ。


おぉ~~~、完成だ。


あ、えのきを忘れてた。


食卓を準備。

きむちとおから。なぜ、おから?(笑)


あとはこれを盛り付けるだけ。


ドガティ君はおかーさんが帰って来たらしいことを察知した。


おかーさん、車庫入れで苦労中。


はい、できましたよ。

好きなだけお食べください。

私特性の豚汁だ。


楽しいお昼ご飯。

奥様の分だ。


おぉ~、おいしいねえ。


温まるねえ。

大福もちとコーヒーをデザートに。


ごちそうさまでした。

昼寝でもしましょう。

そうだ、そうだ。6年前にドガティ君が我が家にやって来て、初めて自宅の周囲を散歩した時の画像が出て来た。

幼いねえ。



しかもこの頃はまだ足が短い。

ジャックラッセルテリアとしては普通なのだろうが、ドガティ君は現在この犬種としては足が長めになっている。


もう6年。

早いねえ。
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ありきたりのもので庶民派パエリア@鎌倉七里ガ浜自宅厨房

2024-03-10 11:54:17 | 食べ物・飲み物
Hispania, Spanish Fantasy♪

Hispania (Spanish Fantasy for Symphony Orchestra)  

本日の投稿は短いよ。

すばらしいオーケストラ演奏を聴いて、さっと見てみてね。

この日は雨だった。

私の体調は最悪で、鼻水がじゅるじゅる。


ご近所の章平クリニックへ行き処方箋をもらい、その足でマンボウ薬局に行った。

どちらも七里ガ浜東にあるので、自宅からは徒歩圏内だ。

さらにそこから西友七里ヶ浜店に行って買い物も。

雨に降られて帰って来た。


医者に行ったというのに、却って体調が悪くなりそうな天気だ(笑)。

傘を干しておきましょう。


本日私は鼻水と戦いながらパエリアをつくるのである。

まずはパエリア鍋を出して来る。

パエリア鍋はそんなに頻繁には使わないので、高いところに収納してあり、それを出して来るのはちょっと面倒なんだな。


オーストラリアのマクラレン・ベールってところにある巨大ワイナリー、ダーレンバーグ。

そこが昔から作っているオリーブ・グローブ(シャルドネ)を飲みましょうね。


このワイナリーは非常にビジネスが上手。

あれこれやってはお客を呼び込む。

生産するワインも多種多様。

本日のパエリアは大変庶民的なものだ。

まず味のベースはマギーブイヨン。そこからして庶民的でしょ。お手軽。


それ以外も小さな西友七里ヶ浜店で買えるもの・・・

ベトナム産バナメイエビ
缶入りグリーンピース
静岡県産しらす
赤いパプリカ

にんにくをみじん切りして、オリーブオイルの中で加熱する。


たまねぎのみじん切りを加えてじっくり炒める。

たまねぎが柔らかくなったら米を生のまま入れて、さらに炒める。


米はしっかりよぉ~く炒めましょう。

熱湯を用意し、マギーブイヨンを溶く。


ここでマギーブイヨン入り熱湯をパエリア鍋に注ぐ。

そして強めの火で加熱する。


ぐつぐつしてたらだんだん水分が減って来る。

ここで材料をそろえる。


米の上にバランスよく並べる。

多過ぎず、少な過ぎず。

米が見えないくらい具材を置いてしまっては面白くないからね。


アルミホイルで蓋をしてあとはぐるぐる回す。

弱めの火を端っこに当てながら、鍋をぐるぐる回し続けないといけない。

小さな炎が集中的に真ん中ばかりに当たっては、真ん中ばかりが焦げてしまうから。


ダーレンバーグのシャルドネを飲んで休憩。


15分ほど火を当てたら、ちょっと食べてみる。

それで硬さがわずかに残るくらいなら出来上がりだ。

そこからはおこげづくり。

強火にして、さっさと鍋を回し満遍なく底に炎を当てて、底にある米をちょっと焦がす。

アルミホイルって熱に弱いね。

ボロボロになる。炎になるわけではないが。


ほらできた。

おいしいよ。ワインとともに楽しみましょう。


これでも十分でしょう。

有頭エビ(よく売っているのはアルゼンチン産赤エビ)を使ったパエリアが一般的だが、あれって恰好はいいんだけど、そのわりに美味しくない。しかも高め。

ベトナム産バナメイエビはむきエビだし簡単で、結構おいしいしね。しかも安い。



サラダも食べようね。


おこげをこそげる。


このちょっと焦げた米がおいしいんよ。


少し芯が残るくらいがちょうどいい。

楽しいパエリアでした。
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鎌倉五山や他の臨済宗のお寺と広田弘毅

2024-03-08 16:00:12 | 本/音楽/映画
臨済宗のお寺って、鎌倉市内にはいっぱいある。



建長寺を第一位とする鎌倉五山も全部臨済宗なのだけれど、五山以外にもたくさん臨済宗のお寺があるからね。



海蔵寺や瑞泉寺や報国寺なんてのもそうだよ。

五山トップ、第一位は建長寺ね。


鎌倉幕府執権の北条時頼が、当時常楽寺(北鎌倉と大船の中間あたりにあるお寺)にいた蘭渓道隆(宋から日本に来た臨済宗の高僧)を開山として迎えて、北条時頼が開基となり1253年に建てたお寺が建長寺だ。

日本から宋へ来た留学僧たちから、日本で臨済宗がなかなか定着拡大しないことを聞いた蘭渓道隆は、その状態を何とか改善しようとして日本にやって来た。

その彼の宗教的野心と、何か新たなもので人心を捉えたかった北条時頼の政治的野心がコラボして、見事に出来上がったのが建長寺。日本で最初の専門的な禅の道場になる。だから建築物全体の並び方からして直線的で極めて大陸的禅宗様式を踏襲し、今もそれは変わらない。

第二位が円覚寺。



第三位が寿福寺。


第四位が浄智寺。


第五位が浄妙寺。でもこのあたりは、住所表示は鎌倉市浄明寺ね。


海岸や岬を表す名前としての書き方は昔からそして今も七里ヶ浜、由比ヶ浜、稲村ヶ崎だけれど、それを利用した現在の住所区分では、七里ガ浜、由比ガ浜、稲村ガ埼と書くね。

なぜそうしたのだろうね? ださいよねぇ(笑)

蘭渓道隆を開山とする建長寺は日本で最初の禅の道場となった。そして往時は修行僧が1,000人くらいはいたらしい。

しかし話を混ぜ返すようだが、臨済宗を日本に最初に持ち込んだのは蘭渓道隆ってわけじゃない。

臨済宗も古くから細々と日本に伝わっていたと思われるが、最初にそれを広く伝えたのは栄西(ようさい、えいさい)である。



栄西は宋で学んだ日本の僧だ。

とても立派な人だったらしい。「寺の建物など流されてもかまわない」と言っているね(↓)。



既存の権威など興味を持たない、ただ禅の修行があれば良いという気持ちだったのでしょう。

栄西によるこうした臨済宗(あるいは禅宗)の普及の努力は、比叡山などの仏教的な巨大既得権益からすれば余計な新興勢力であり、その筋からは相当横やりが入った。

それでも栄西はまずは最初に、福岡県に臨済宗の寺として聖福寺を建てた。頼朝から頂いた土地に1195年に建てたらしい。

聖福寺といえば、我が家から至近距離(鎌倉市稲村ガ崎5丁目)にも、聖福寺跡がある(↓)。



我が家の近くの聖福寺はのちに北条時頼が建てたもので、それと福岡県に栄西が建てた最初の禅寺である聖福寺は何か関係があるのだろう・・・なんて私は以前思っていたが、この二つの同名のお寺はお互いまったく無関係。

我が家の近所の聖福寺の聖と福の字は、北条時頼の二人の息子のそれぞれの名前からとったもので、それら息子が無事に成長することを時頼が願ってつけた名前だ。権力者のなんとも個人的な動機が名前になっている寺なのである。

それに対して、福岡県の聖福寺は、仏教界の既存勢力にたてつくくらいの死に物狂いの気持ちで、栄西が建てた臨済宗最初の禅寺。鎌倉幕府のバックアップはあったものの全面的なものではなく、その時点で栄西は比叡山を恐れる必要があった。

その後栄西は東へ進み、臨済宗の寺として京都に建仁寺そして鎌倉に寿福寺(↓)を建てる。政子のバックアップもあった。


しかしこれも比叡山に遠慮しながらのことだったらしい。堂々と臨済宗が活動できるのは北条時頼の全面的バックアップを得て、中国僧の蘭渓道隆を開山とする建長寺が1253年に開かれてからだ。

ということで、建長寺に先立ち栄西が建てた鎌倉五山第三位の寿福寺が鎌倉五山の中では一番古いのだ・・・と思ったらそれも正しくない。

鎌倉五山で一番古いのは、意外にも第五位の浄妙寺である。当初は臨済宗の寺ではなかったのだけれどね。

鎌倉幕府の全面的バックアップを得た建長寺の開山、蘭渓道隆のポジションは極めて安定的だったのかというと、これまたまったくそうではない。

北条時頼が建長寺開山に据えた蘭渓道隆は中国僧だが、彼はたまたまその時に日本(建長寺から近い常楽寺)にいたに過ぎない。時頼が蘭渓道隆をわざわざ中国から招いたわけではないのだ。

やがて建長寺が成功し禅寺として隆盛を極めることが確実になった時、時頼は宋から高僧、兀庵普寧 を建長寺に招いて管長に据えている。蘭渓道隆に続き、その兀庵普寧 が建長寺二世だ。そのあたりの細かい事情は、この冊子(↓)に数名の専門家が書いておられる。



蘭渓道隆としては建長寺をいったんは去る。またあとでまた建長寺に戻るらしいが。

蘭渓道隆も苦労しているんだね。権力者に翻弄される。しかし蘭渓道隆も兀庵普寧も穏やかな中国僧だったらしく、それほどのトラブルにもなっていない。またそのころには開山蘭渓道隆のもとで修業した僧の数も相当な数になっており、蘭渓道隆を支持する一大勢力になっていたようだ。

話が変わるが、私は最近城山三郎著の歴史小説「落日燃ゆ」を読んだ。二度目、約40年ぶりの読書だな。 

感動的なもんだ。福岡県の石屋の息子として生まれた広田(旧字は廣田)弘毅の物語である。

その後外交官になり、外務大臣や首相を務め、第二次大戦へ日本が巻き込まれることを阻止しようと苦闘したものの結局かなわず、文官として唯一A級戦犯となり絞首刑。


弘毅は改名後の名前だ。親がつけた名前は丈太郎。

彼は幼いころから菩提寺である禅寺で座禅を学んでいた。

のちには改名が許されるよう、その菩提寺の禅僧に相談し、僧籍に入れてもらい丈太郎から弘毅へと改名した(それ以外に改名する手段がなかった)。

その菩提寺が、先にご紹介した福岡県の聖福寺である。

栄西が日本に初めて作った禅寺だ。鎌倉五山と同じく臨済宗の寺である。弘毅や弘毅の妻や両親の墓も、そこにある。


【聖福寺(福岡県)のホームページより】

くどいうようだが(笑)、この聖福寺は、北条時頼が建てた我が家からすぐ近くにある聖福寺(↓)とは何の関係もない。



墓はこの福岡県の聖福寺にあるものの、広田弘毅の遺灰は遺族の手に移っていない。なぜなら当初A級戦犯はそれが許されなかったからだ。

弘毅が生前巣鴨プリズンに収監されている間に、その頭髪や爪が家族に渡されていたので、それが福岡の墓に収められている。

弘毅は鵠沼の松林の中に別荘を持っていたらしい。一時期はそこが本宅になる。弘毅の妻である静子は弘毅の収監中にそこで服毒自殺している。

1955年5月7日の産経新聞の記事だ。



資料/フロム・ザ・モルグ
から、クレジットを記入すれば頂けるということなので、頂いた。

政府は戦後10年経った時点で、他の戦犯の遺灰と混じってしまっているがそれを「弘毅の遺灰」として遺族に渡そうとしたらしいが、広田弘毅の遺族はそれを拒否している。


怒ってすらいる。私は遺族がそれを拒否することもわかるような気がする。

「他人様の骨をいただけません」という表向きの理由とは別に、政府が遺族に引き渡そうとした遺灰のほとんどは、広田弘毅が何とか止めようとして止められなかった第二次世界大戦に、日本を引きずり込んだ人たちのものであるからだ。「一緒にされるのは困る」というのが遺族の本音なのだろう。



広田弘毅の長男である広雄さんは、日本の貿易振興のために設立された外国為替専門銀行である横浜正金銀行に第二次世界大戦前から勤め、戦後それが解体され東京銀行に改組されてからもそこへ勤めていたらしい(↓の画像の左端)



なんと、私の大先輩にあたるわけだわ(私はその東京銀行に1983年に入行したから)。

こちらは横浜馬車道に今も残る旧横浜正金銀行本店である(今は神奈川県立歴史博物館になっている)。


「他人の遺骨なんて要らない」と怒る長男の弘雄さん。



そこからさらに何十年かの時が過ぎ、近年になって米国のある公文書が発見された。これまでもそう伝えられて来ていたが、広田弘毅を含む7人のA級戦犯の遺灰は米軍によって太平洋に散骨されたことが確認されたのだ。

それとは別に当時こっそり日本人によって一部持ち出されたらしい7人の遺灰が伊豆と愛知県に眠っているらしいが。後者の話は米国の公文書にはもちろん掲載されていない。

弘雄さんの息子であり、弘毅の孫にあたる広太郎さんはかつて三菱商事に勤務されていたらしい。昨年お亡くなりになられた。その少し前に動画が撮影されている。

A級戦犯 遺骨の行方に遺族は【news23】

これが広田家遺族の気持ちということなのだろう。

もっと詳しい動画はこちらだ。

 太平洋に撒かれたA級戦犯の遺骨 【報道特集】  

私も最近鎌倉市内で偶然広田弘毅に関するある事実を発見したが、その内容はここには書けない。

あちこちに迷惑がかかるだろうからね。

それに気づいた時はかなり驚いた。



調べているといろいろとあるものだと思うわー。

歴史は面白いねぇ。
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パシフィック・ベーカリー@鎌倉市七里ガ浜東のパンでランチ

2024-03-06 17:42:46 | モノ・お金
神戸ポートピア博覧会があった頃(1981年)、私はそれが開催された場所である神戸市に住んでいた。

私の自宅の前には松蔭女子大学があった。綺麗なおねえさんがいっぱい💛

その学園祭にデビューしてすぐのチャゲ&飛鳥がやって来たりした。

その時点では私はまだチャゲアスを知らず「なんじゃそりゃ?」と思ったものだ。



阪急六甲駅から坂道をガンガン上ったところにある自宅(↑の画像の黄色い☆印)からは、双眼鏡を使うと、ポートピア会場(黄色い〇印)が詳しく覗けたんだなぁ。もう43年前のことだ。

ポートピア♪

ゴダイゴのこの曲、覚えていますか?

この曲に明るい未来を感じたものでした。

そういう時代だったのよ。

当時私が住んでいた自宅横の坂道は強烈なもので、阪神間の山側特有の斜面。

毎日足腰が鍛えられるのでした。

しかし振り返ると神戸港が一望できたね。こんな坂道ですよ。



画像はGoogleのストリート・ビュー。

教会が多かったわ。加えてパン屋さんが多かった。

教会の鐘がしょちゅう鳴ってたな。神戸っていい街ですよ。

コレクターズ・ストック・ブックとは何ぞや?


見てはいけないものでも入っているのか?(笑)

そんなことはないよ。

私の子供の頃のコレクションが入っているだけだ。

経済的価値はないよ。

例えばポートピア博覧会の入場券。


今やまぼろしみたいなポートピア博覧会。

その入場券だからね、私にとっては貴重だ。

さらにその11年前の1970年の日本万国博覧会の入場券もあるよ。


私はまだ小学生だったから、小人料金400円で入れた。

しかしこの時代の400円は、小学生であった私には結構高いものだった。

その会場に入っただけで、私は国際人にでもなった気分だった。

ケニア館とカナダ館の職員さんとお話したのを覚えている。



三波春夫さんが歌っていたねえ。

このレコードのコレクション(↑)はもはや失ってしまった。

画像はテイチクからの借り物だ。

こんにちはぁ~♪ こんにちはぁ~♪ 西ぃのぉ~国からぁ~♪

ほかにも記念切手+記念はがきがコレクションに入ってるねえ。


陸軍の偉いさんたち。乃木将軍もいますなあ。

右から三人目が乃木さんだ。

はがきを送りもしないのに、切手を貼って記念のスタンプを押してもらってある。

函館の郵便局で発行されているね。


明治39年4月30日。1906年だ。

これはある程度経済的価値があるかな?

明治天皇の記念はがきもあるなあ。


私はいろいろと集めていたのでした。

ほかにも切手やはがきなど古いのがありますよ。

その紹介はまた今度。

うちの住宅街の中のパシフィック・ベーカリーへ。


パンを二個買った。


バジルチーズフランスという名前のパンらしい。


ここのはたいていおいしいからねえ。

簡単極まりないランチをつくる。軽いランチね。

ニンニク、粒マスタード、ローズマリーで味と香りをつける。


あとは塩と胡椒だけだ。

ジャガイモを小さく切る。


シャウエッセンがたくさんあるので、それを使いましょう。


スモーキーなソーセージなら何でもいい。

小さく切る。


サラダも作る。


ドレッシングもつくる。


もう準備完了だ。

オリーブオイルたっぷりにニンニク。


軽く加熱したら、ジャガイモを入れる。


ジャガイモをしっかり炒めて、シャウエッセンを加える。


そして粒マスタード。


加えて塩と胡椒。ローズマリー。



よく炒める。これでおしまい。


あとは盛り付け。

簡単ではありますが、それなりにバランスはとれて、絶対おいしく香ばしいランチ。


あ、いけない、ローズマリーを忘れた。

慌てて振りかける。

以上、簡単なランチでした。

ジャガイモとベーコンとかジャガイモとソーセージって絶対おいしいね。

ソーセージと粒マスタードって合うしね。

よろしかったら、こちらもどうぞ♪

54年前の明るい日本の歌だ。

三波春夫「世界の国からこんにちは」 [Official Audio]

あ、そういえば本日いいことがあった。

私の国内株35銘柄の小さなポートフォリオの中の問題児のひとつ、コカ・コーラ・ボトラーズ・ジャパンだ。

冴えない動きが続いていたが、本日は前日比で+9.22%上昇。



やったねぇ!! 万歳!!
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平塚市総合公園にドガティ君を連れて行く

2024-03-05 00:00:11 | あちこち見て歩く
朝です!

まだ暗いけど(^^;;   

4時半くらいかな。


それからバタバタと用意して、ドガティ君をクルマに載せる。



こんな感じ(↓)。


ドガティ君は期待に満ち満ちている。

ケージに入ってクルマに乗ったら、いつもやがてどこか楽しいところにたどり着くからね。

さて、今日はどこへ行くのでしょう。

国道134号線を西へ行く。


藤沢市を抜ける。

まだ西へ。

さらに茅ヶ崎市を抜ける。


まだ西へ。

平塚市だ。

今度は平塚市を北上する。

平塚市内の六本という変わった名前の交差点で右折する。

後ろに木はつかないよ。ただの六本。


六本木もかなり変わった地名だが、六本ってもっと変わっている。

私が子供の頃に住んでいた近所には五本松ってバス停があったな。

今回の目的地である平塚市総合公園に到着した。

早過ぎて、まだ誰もいない駐車場へクルマを停める。


平塚市総合公園の駐車場は合計で1,000台近いキャパシティがあり、ここはその中の体育館駐車場というところ。

2時間までなら無料だ。すばらしいね、平塚市って。

平塚市と言えば七夕まつり、そして日産車体。昔仕事でよく行ったなあ。

優しくて丁寧な社員さんが多い会社だった。

メタセコイア並木が続く。


その下で記念撮影。


ドガティ君は先を急ぐ。


初めてのところではドガティ君は興奮する。

いろんなにおいがするんでしょうね。

あっち見て、こっち見て、喜んで歩き回る。

私は桜の種類に詳しくないが、これは何て種類?


みんな下向いて、恥ずかしがりなタイプ?


音楽がほしい方は、ヘンデルをどうぞ♪ 華やかです。

Handel: Water Music Suite No. 2 in D Major, HWV 349 - Hornpipe

開花しているのしてないの、いろんな種類の桜があるね。


人がいないので寂しいくらい。

まだ朝早い。

もう少ししたら、散歩する人も増えて来るのかな。


公園内には河津桜もあって開花しているけれど、このあたりでは玉縄桜が開花中だ。

鎌倉市内の旧鎌倉郡玉縄村に由来する玉縄桜。

大船のフラワーセンターで生まれた歴史的には新しい樹種である。

鎌倉市から譲られた玉縄桜が、この平塚市総合公園に植樹された・・・と昨日私は平塚市在住の方から教えてもらった。

桜をバックに記念撮影中(↓)。


ちなみに大船のフラワーセンターは神奈川県立で地味だった。

これは10年前に私が撮影した画像。


現在は県から委託される形で運営があの日比谷花壇を主体にしたグループに移り、ちょっと華やかになっているらしい。

フラワーセンターの新しいウェブサイトにもHIBIYA-KADANと書いてあるね。



タマナワザクラ日和ってカタカナかつ斬新な字体が、日比谷花壇的だ(笑)

これからまだまだ咲きそうだよー。


これは昨日の撮影。

みなさんも平塚市総合公園にどうぞ。


桜がいっぱい楽しめる平塚市総合公園。

初めて来たけれど、いい公園だわー。


こちらから先は梅林だ。



まだこれから咲くみたい。


今年は例年より梅の開花が全体的に遅めだったように思うな。


よく見ておきましょう。

こちらの梅はすでに盛りを過ぎたように見える。


平塚市総合公園は、旧農林省果樹試験場跡地に造られたものなんだそうな。

1982年に着工し、1991年に全体が完成。 

面積は30.3ヘクタールもあるらしい。


ドガティ君の運動場になりそうな場所に到着した。


やはり誰もいない。


好きなだけ遊びましょう。



「おかーさん、遊んで?」



それでは走ってみましょうか。


ぴょんぴょんぴょん。


ボールを投げて先に走るおかーさんを追うドガティ君。

しかし先にボールに追いついたドガティ君。

ボールをくわえた瞬間、勢いあまって後ろ足が持ち上がる。


さらに別方向に走る。空中のボールをとらえるべくその下に入る。


おかーさんとハイタッチ。


大股で進むおかーさんの下をくぐるのがルール。


右へ、左へ順番にくぐりながら進む。



するといきなりボールが投げてもらえる。

でも予想外の方向へ飛ぶよねー。

ドガティ君、ボールはうしろですよ。


ボールを加える。



「おかーさん、また投げてぇ~」


「遊んで、遊んで」



「もっと投げて」


常緑樹のクスと、葉はまだ出ていない落葉樹のケヤキ(↓)。


どちらも頑丈な木で、自治体好み。

あれってしだれ桜?


幹は桜っぽくないね。


でも枝はとても桜っぽいよ。


まだまだボール遊びがしたいドガティ君。

ただの悪い犬になり切る。


ボールを離さない。

これがまた楽しい。がう~、がう~♪


ボールを人のところに持って来るが、それを人が取ろうとすると「嫌だ」と言って、ボールを離さない。

ヘンな性格。でもそれが楽しいらしい。

それが遊びなんだね。それに我々は付き合わないといけない。


ふれあい動物園ってのがあるよ。


ここはポニー、カピバラ、うさぎなど動物がいますよ。ワンコは入れないけどね。

ラッコがいるね(笑)


わんぱく広場ならドガティ君も遊べる。


見本生垣って何?(笑)


造園業の協会が寄贈したらしいよ。

さすが見本だ。見事に四角い(笑)

この遊具(↓)はドガティ君には複雑すぎるかな?


でも恐竜なら遊べそう。


恐竜の頭部の周りをぐるぐる。


頭部の中に入ってみる。


顎の中へ進む。

噛まれないように気を付けてね。


「ボク、やっぱり怖いから止めとく~」


ドガティ君は恐竜には興味なし。

「おかーさん、あれは怪獣ですか?」


レッドウッド。米国原産だ。


全体はこんなの。


1988年に平塚市の七夕太鼓団が米国カリフォルニア州パロアルト市を訪問し、七夕飾りを寄贈した。七夕が好きな平塚市らしい話だね。その返礼にレッドウッドの苗木がパロアルト市から平塚市に送られた。その種はスペースシャトルとともに1985年に宇宙を旅したものらしい。

しかしストリアス市長が書いたとされる左側の文面からは苗木がスペースシャトルに乗ったようにもとれるし、苗木になる前の種がスペースシャトルに乗ったようにもとれる。右側のアクトン飛行士の文面からは種がスペースシャトルに乗ったととれる。

しかしアクトン飛行士の文章からして、スペースシャトルに乗って地球の上を何周もしたのは種だけなのでしょう。左側の市長が書いた文章の最後から三行目の「これ」はその直前にあるレッドウッドの苗木ではなく、それより前の種を指し、その種が宇宙を飛行した後パロアルト市で苗木になり、その苗木が1988年に平塚市に送られて来たのだろうね。


真剣に読むと疲れる。

英語の和訳で「これ」とか「それ」が出て来た時、これやそれがその前後にある何を指しているかを読み取るのが難しいことがある。

こちら(↓)は飛行士のサイン。


この碑の横にはそのレッドウッドがあり、その向こうでドガティ君が遊んでいる。


レッドウッドの葉はこちら。


レッドウッドは背が高い。


ドガティ君がレッドウッド横を通過する。


こちらはレモンガススタジアム平塚だ。レモンガスは企業名。


湘南ベルマーレ、頑張れぇ~♪


浦和レッズに負けるなよ。

河津桜が満開中。


綺麗でしたわ~。


ふたたびメタセコイヤ並木を通る。



ドガティ君を積み込む。



「おとーさん、平塚市総合公園っていいね!」

彼は楽しかったらしい。

広い公園だったわ。

近所の人は毎日ここをぐるぐる歩くだけで、しっかり運動できちゃう。



しかもこの近所に住んでいたら、自動的に湘南ベルマーレのサポーターになっちゃうね。

気分的にそうなると思うよ。

さて、帰りましょう。


15分も走れば腰越海岸だ。しかしここからが渋滞中。


動きません。

七里まで停まりながらのろのろ。

いつも思うが、この駐車場(↓)って使う人が少ないだろうねえ。

国道134号線沿いにあって、歩道もない。そこで後続のクルマを停めてまで、自分のクルマをここに停車させるのが大変。だって奥行が短過ぎるのだ。134号線上で何度も切り返しながら停めないといけないし、大きなクルマは、134号線にはみ出すんじゃないのかな? よくわからないけど。


鎌倉高校前も渋滞中。


途中西友辻堂店で購入した商品を使い、中国風焼きそばでランチ。


豚バラ、キャベツ、ニラ、ニンニク、極太麺。

老抽王、オイスターソース、砂糖、醤油、中華ペースト。


おいしい。

また近いうちに平塚市総合公園に行ってみよっと。
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