香飄

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2010-12-10 | 題詠2009好きな歌鑑賞
読みのこしたお歌も気がかり。

・・・といっても、返歌はしんどいので、あまり課題的にはせず、気の向くまま
好きなお歌とりあげさせてもらうだけにしました。

題が歯抜けになったり、作者さんにお知らせにあがれなかったりするかもしれませんが、ゆるゆると、気ままに楽しませていただくことにします。

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056:アドレス

2010-03-20 | 題詠2009好きな歌鑑賞

おずおずとアドレスを訊く君である携帯を出す指の細くて    内田かおり




                    


以前に作者さんのブログにおじゃまして、拝読し、すでに勝手解釈でインプットされてるお歌です。


歌の鑑賞に、たとえ作者さんを知っていても、けして投影しないで、必ず、歌は歌のみ、として読ませていただいてます。


そうして読んでも、なぜか、この「君」と私の関係は、友人や、恋人になりかけ、の二人が浮かんでこない。


おずおずと訊く君・・・・絶対こちらが男性。

というか、少年のような気がする。

訊かれている作者さんのゆうゆうと構えた視点が、うんと年上の女性を思わせる。


だから、たとえば、女の教師と、内気な男子生徒 ・・そんな関係を想像してしまった。


「聞く」でなく「訊く」  

「ねえ、アドレス教えてもらっていい?」なんて軽い会話口調なら「聞く」。

この「君」はおずおずとながらも、「おしえて下さい」と真剣に訊ねたんだろう。


「君である」という断定的三句切れ。

こんなところにも、「君」は男女間の「君」ではなく、「○○君」の「君」を感じてしまうし、作者さん(女性)の、シャイな子に対する包容力が偲ばれる。


そして、やはり、下の句では、そんな彼の指先までを温かい目線で観察している。見守るように。


「君である」・・ここが好きだなあ。「君って、そういうところが君らしくて、いいんだよ」と、内気な彼に無言のエールを送っているようで。







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055:式

2010-01-07 | 題詠2009好きな歌鑑賞
つまらない理由で挙式が延びてゆき、私はつまらなくなりました。   天野ねい




                      



「結婚」が八割がたはもののはずみだということを思い出させてくれるようなお歌。


下の句の

私はつまらなくなりました。


が、上の句の「つまらない」の意味とは完全に異なりますね。

挙式延期が不満という意味の「つまらなくなった」ではありません。



結婚そのものがつまんなくなっちゃった、熱さめちゃった、やめちゃおかな・・という

そんな意味にどう読んでも読めてしまうのですが、それがなぜなのかは、自分ながら分析できてません。(汗)

そしてそこがミソ、の面白いお歌だとおもいます。


新郎のほうの事情、たとえば急な海外出張とか(挙式のドレスや新居のインテリアなどの事で頭がいっぱいの花嫁には、仕事だってつまらない理由・・なのです)

式に出るはずの親類の事情とか・・・


新郎が、挙式を新婦ほどには重視せず、いいかげんに考えてる、
ということが見えてきて、価値観の相違、みたいなものが今になって気にかかりだした・・というような、理由の明確な拒否、でないところも ミソ、かと思います。


なんだかテンション下がっちゃったな~ お嫁に行くこと自体。


そんな心理に読めるのです。


そもそも、重要な将来設計として「結婚」を考えてるのでないなら、この心理は肯けましょう。

この若い女性がはじめちょっと乗り気になったものはあくまで
挙式だったのかも。


そしてそれは別に特別無責任な心理ではありません。

いっちゃおかな、いっちゃえ!
あるいは
やっぱ、やーんぴ。

これで縁のあるなしが決まるのではないでしょうか。

だれだって、この先どう変わるかわからない相手、ジャンプ台にするものがなければ、永遠の誓い、なんて成り立つはずありません。


これから結婚なさりたい方がた。ゆめゆめ、きっかけとタイミングだけははずされますな。


それにしても、どうしてただの「つまらなくなりました」でこれだけの心理が詠みだせるのか・・口語短歌作者さんに、ただ脱帽です。






















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054:首

2009-12-16 | 題詠2009好きな歌鑑賞
春の首さらさら寒しタートルを思い出のように脱いでしまえば   行方祐美



                          



「春の首」 この直截な表現がのっけから私にはおもしろい。

゜春になると首は゛の意味ながら、

あたかも虚空に「首」が浮いているような感覚。


いい思い出、イヤな思い出、なべてぞっくりと過去とは脱ぐがよきもの。

爽快感と、どこか薄ら寒い不安の混ざった、ひとつの季が変わるときの気分を詠われたのでしょう。


「さらさら」は春風が首を撫ぜていく爽やかなオノマトペであるとともに、

「さらにさらに」のような意味も思わせて、

過去を脱ぐことは、新たな一歩への希望であるけれど、やはり「今までよりもさらにもっと寒い思いをするんだよ」と言っているようで・・。



ひとつ、このお歌に一目で惹かれた理由がわかりました。


「タートルを脱ぐように思い出を脱ぐ」という平凡な比喩ではなく



「思い出を脱ぐようにタートルを脱ぐ」という、逆の比喩であること。


最終的に同じWミーニングとなるのでしょうけれど



すっと、こういう口ずさみはなかなか出てきません。


歌いぶりも、内容にふさわしく、春の空気のように、淡くさりげない


シンプルで綺麗なお歌だとおもいました。







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052: 縄

2009-12-10 | 題詠2009好きな歌鑑賞
人混みの中のひとりの足取りに小さく作る縄張りがある   内田かおり





師走 繁華街 駅 喧騒 大音響・・・

なんだか、もうそれだけで、人に酔ってしまいそうでだんだんとそういう場所には足を運ぶのは億劫になってきました。


そんなところでは、たいていこちらも意味なく急ぎ足、人にぶつからないように 階段ふみはずさないように、なんだか、妙に気もそぞろ・・になってしまいます。


でも、この作者さんは、そういうところで、さりげなく、人の歩みを観察している。

といって、ご自分はどこかに腰掛けて、往きかうひとの流れを傍観している、というのではなさそうです。

自分もその人混みに混じって、「縄張り」を小さく主張している一人なのでしょう。

歩くだけで、人はバリアをつくる。

それをよしとも悪しともとらえず、そんな縄張りのなかで己を守っている、自分をも含めたいじらしい人間存在に対する、大きく包容感のあるクールなまなざし。

そうそう、そういうところが、内田かおりさんのお歌の身上でしたっけ。

この人混みには、不思議と騒音がありません。


どこにいても、心のありようひとつで、ひとは静謐を保てるものなんでしょうね。

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二周目リタイア

2009-12-02 | 題詠2009 鑑賞と二周目
題詠イベントも終わりました。

鑑賞はまだまだつづけて出来るわけですが、やはり、このへんでおひらきにしようか、と思います。

ちょうど半分いけましたので、自分ではまずまずの健闘でした。





たくさんの素敵なお歌に出会えて、楽しませていただきました。


ありがとうございました。
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好きなお歌とコラボ

2009-12-01 | 題詠2009 鑑賞と二周目
まだ参加されていないかたも、されていてもまだスタートされていない方もいて、
これからもどんどん好きなお歌が見つかるとは思いますが、いちおう、今出ているお歌の中から、「あ、これ好き」と直感で掬い取ったお歌を掲載させていただきます。


好き

という意味はいろいろあります。

◇思いがけない面白さを提供してくれるもの

◇目の前でパッと手を叩かれたようなはっとする感性を見せてくれるもの

◇歌のもつ「音」「調べ」要素を大事にしているもの 

自分には作れないなあ・・と感心しつつも、やはり好きな歌は、まったく対極というのでなく、自分の歌とどこか同質の何かがあるようで、刺激をもらって、ハモれてはいないかもしれませんが、セッションのつもりでできるところまで二周め、いきたいと思います。



とらせていただいた作者さんにはお知らせに上がります。
解釈は手前勝手であることをことをお許しください。

また、作者様、およびこの記事の読者様へおことわりとして、

作者さん=作中主体 ではない

それを大前提にした解釈であることも、おふくみおきください。


敬称も略させていただきました。


返歌は、五分以内の即詠・・を課しております。
凡歌 ひらにご容赦。

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好きなお歌とコラボ 051:言い訳

2009-11-20 | 題詠2009 鑑賞と二周目

二時間も言い訳すれば絶対にシェークスピアの語彙は越えてる    龍庵  




あははは・・

「言い訳」をしている心理、されている心理

その坩堝にはまり込んでいない作品を選びました。


シェークスピアって、訳本で、ごく有名なものしか読んでませんけど、
ハムレットにしても、ロミオにしても、とてつもなく饒舌なんですよね。

それは、戯曲だからそうなのかしれないけど、近松でもそうか・・

虚飾過多。まあ、そんな台詞を味わうのが面白いのかもしれないが。



二時間「言い訳」し続ける・・たぶん男?
(なんだか、女って、男に対してくどくど言いわけしない気がする。・・・するならたぶん開き直りのほう)



二時間の一幕独り芝居だよね。聴いてみたい、きいてみたい!!



前もって考えてたかもしれないけど、オリジナル。しかも、アドリブも多発だろう。相当エネルギー要りますよ。

すでに、無実の男になりきって自己陶酔の境地かも。


それを唖然としながら、なにかの片手間に(まさか二時間もこのお芝居だけを相手にはしていないでしょう)観客になってる女性?の醒めた眼が愉快ですね~


でも、ふっと、こうも読んでみました。

作者さん、男性なら。



自分の必死の言い訳が延々二時間も続いてることにはたと気付き、そして相手ももう自分の言葉になんら無関心であることに気付き

「俺って、すげー、こんなに立て板に水みたいな言葉の才能、あったっけ・・シェークスピアも真っ青なんじゃねえか?」


なんて、自嘲、いや、自賛すらしちゃってる図かもしれない・・と。

それでも、やはり愉快




                        



言い訳がそろそろ帰って来る時刻 お帰り・・おっと ほらフライング   迦里迦   


          















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好きなお歌とコラボ 050:災

2009-11-11 | 題詠2009 鑑賞と二周目

被災者のような顔して逃げまどう彼を許せない わたしが火事か   岡本雅哉 




あるんですよ、卑怯な男にはよく。
自分の胸にやましいものがあるから 逃げ惑っているんだのに、まるで自分を被害者のように錯覚して、あるいは、装って、可愛そうな相手の怒りを「加害」のように位置づけてしまう 男。


ここでは被害者どころか、「被災者」ですから、男は自分が天災に翻弄されてでもいるような小さな憐れな生き物だと思っている、・・それを見せるパフォーマンスですね。


女だって、呆れて 私って、「火事」なの?

と、本心はシラけてるんだけど、そこまでするなら、いっそ私はお望み通り火事そのものになって怒りと瞋恚の炎、もっと燃やし、貴方の被災者願望と演技を完璧にしてあげましょうか・・・みたいな、心理に傾くとしたら哀しいものです。


しかししかし。


私がこのお歌に目を引かれたのは、作者さんが男性というところです。


たぶんそうでしょう。そしてたぶんまだお若いでしょう。



ならば・・・・・

これほど男女心理に通暁している歌をつくれる想像力と人間心理観察力に感服いたします。


私はこの年になっても、まだ己が性をひっくり返した歌を第三者の目で、物語のように詠うことはなかなかできません。

こういう男性(歌の中の彼ではないですよ、作者さんです)に・・巡り合ってじっくりと語ってみたいものです。





災いはなかった なにもなかったよね かあさんボクは自分で転んだ    迦里迦 










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好きなお歌とコラボ 049:ソムリエ

2009-11-01 | 題詠2009 鑑賞と二周目

大袈裟なままごとみたいソムリエに似た葬儀屋が凜と佇む   花夢






ソムリエのお題で、テーブルシーンでないところに惹かれました。

葬式のお歌、なんですね。

うんうん、恰好ばかりじゃなく、あの無駄口やそつのない仕切りかたとエキスパート意識は・・似てますね。

葬儀屋さんとソムリエ。


あつかうもの(失礼)も年代物ほどめでたく値打ちあり・・でしょうか。


建前だけでも、粛然としていなければならない葬式を「大袈裟なままごと」とのっけに言い切る切り口も好み。


花、花 花に囲まれて、みな前の人の伏し目がち演技を真似て焼香してるなか、凛と立っているソムリエ・・もとい、葬儀屋さんも、この「ままごと」に溶け込んだ必須アイテムですね。

「葬務離会」と呼んでもいいかもしれない





                             


ソムリエに徹した男よ妻逝く夜(よ)もまろき肌へを傾けをらむ   迦里迦














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好きなお歌とコラボ 048:逢

2009-10-23 | 題詠2009 鑑賞と二周目
鉛筆で白い女を描いていたたぶんあなたは君が逢うひと      nnote




                                 



描かれた女を「あなた」と呼びかけてる・・・びっくりしてしまいました。

しかも、白い女って・・・?


こうこられると、黒い紙に白鉛筆で描かれた、という単純な意味にはとれませんね。


彼が描いた絵

さらさらっと
スケッチではなく、ただ浮かぶままに、という感じで描いたものでしょう。

「わたし」は横からそれを眺めていて、あとから一人で、置いて行った絵に真向かってみた。

これ誰?

ではなく、すでに「あなた」と、色も実体もない女を、即座に実在化させている「わたし」の心理に怖いものさえ感じます。



実を言うとわからないのは、三角関係でどうして相手の女に嫉妬してしまうのか。
ということ。

心移りしたのが男なら、男をこそ恨む対象とするところでは?と。


まあ、しかし、これは理屈じゃない、世にありふれた心理なんですね。

嫉妬というより、相手への羨みと、疎外された悲しみ・・なんでしょうか。


彼が描いた、私じゃない誰か、他の女。
それを「彼女」と呼ばず「あなた」と呼んだところに、なんだか、身うちを呼びかけるような、あるいは、白い女に成りかわった鏡の中の自分に呼びかけるような「私」の倒錯した感情が見られなくもないです。

俵万智さんの歌に、不倫相手の妻に「連帯していく心」とか、「台所にたつ不倫相手の妻に後ろから抱きつきたい」というようなことを詠った歌がありました。


不肖迦里迦にはよくわからない心理ですが、下の句の諦めのような吐露がやさしくせつないですね。




逢いにゆく目をしたあなたに逢ってあげるため寄りかかる夜毎の車窓   迦里迦





























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好きなお歌とコラボ 047:警

2009-09-11 | 題詠2009 鑑賞と二周目

会えません今日の心は昨日から洪水警報出たままなので     ひいらぎ  



洪水警報・・大雨警報ではないから、すでに大雨は降っちゃってるんですよね。

泣いて泣いて、目だけでなく心まで腫れ上がっちゃって、もうあとは溢れた涙が怒涛となって、なにもかもを覆い尽くしてしまいそうだから。


わが袖は潮干にみえぬ沖の石のひとこそしらね乾くまもなし

などに代表されるように

古来から和歌の相聞では、女性はわが涙をかなりおおげさに何かに譬えて、相手の気を引くとか不実をなじって拗ねて見せるとか、それが恋のかけひきの常套手段でしたけれど、このお歌は、それの現代口語版で、なんだか妙に奥ゆかしく、しかも初々しく、そして現代短歌としてはかえって新鮮な感じがしました。








                           

ドライアイ ドライハートに警報を出してゐました 聞えてました?    迦里迦 

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好きなお歌とコラボ 046:常識

2009-09-07 | 題詠2009 鑑賞と二周目
非常識、と数えて昇る階段で「き」を唱えたら転げて落ちた         井出蜂子  





「常識」というお題はそれはそれはむずかしい。

それこそこの言葉は、そのまんま四角ばっちゃって、あるいはにこにこしながらでんと腰据えて、動じない構え。


べつに切り崩す必要もないのだけど、歌までが「常識的」にならないように皆さん頭ひねって、けっく、「常識」という言葉をどう料理しようかと意識しまくった似たような歌になってしまってる観。


こちらのお歌はわりとさらりと「常識」という題を手放したつくりになっていて、目をひかれました。


「パイナツプル」「チヨコレート」・・のあの遊びですね。

駅の階段を「ヒジヨウシキ」と小さくつぶやきながら上る。

なぜ、ヒジョウシキ?

べつに意味はないのかもしれない。

あるいは、人混みを逆行して降りて来てひとの肩にぶつかったまま知らぬ顔で駆け込み乗車してった奴がいたのかもしれない。

「マナーイハン」「スミマセン」と続くのかも・・とおもいきや。

あはは、それじゃ「常識売り」のおばさんになっちゃいますよね。

「ヒジヨウシキ」の最後の「き」で転落。


そ、非常識という、人への批判。、
そういうことを言ってると、自分の足元が危ないよ、という意味か。


いやいや、べつに意味はないのか。


たぶん重心は後者でしょう。


ヒジヨウシキ・・・
ヒミツ
ヒカゲモノ



なんて、ただの、ヒのつく言葉をつなげて階段昇るひとり遊びだったり。

いずれにしても、転げ落ちないように。



                               


過干渉 過常識なるお役目を終えて腰上げ母さんは さて    迦里迦
















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好きなお歌とコラボ 045:幕

2009-09-01 | 題詠2009 鑑賞と二周目

幕間にオケピ覗けば金管がものも言わずに見つめ返した
                                     庭鳥



オケピって、幕間にはどうしてるんでしょう・・。

客席から覗けるのかしら。楽団員もいなくなる?

観たことがないのでわかりません。

「金管が見つめ返した」ってのは、椅子の上にでも置かれてある金管楽器たとえばトランペット、ホルン・・とかが光って人間の目の光に射られたのように思えた、ということかしら。

演奏家も、その楽器も、オケピというところは、それこそ縁の下のなくてはならない存在。

「ステージの上に今まで夢中になってたくせに、幕間になって、なんだよ、俺たちだってずーっと頑張ってんだぜ」と、無言で睨んだ感じがいいなあ。


三谷幸喜の「オケピ」思い出しました。
客に気付かれないところでのひそかなドラマ。とささやかな自己主張。




幕うちはこんなにもうらぶれてると叫びたかつたカーテンコールに  迦里迦    












   



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好きなお歌とコラボ 044: わさび

2009-08-31 | 題詠2009 鑑賞と二周目
きもちよくなければきっと永遠だったかなしくないわさびしいけもの
                               石畑 由紀子





「わさび」を分割する手、はいくつか見られましたが。

この状況設定に惹かれました。
たまたま、「蜜月」(小池真理子)という小説を読んだところで、天才画家で今光源氏ともいえるような、女性遍歴を繰り返す男の話が脳裡にあったから、という身勝手な動機です。

まさに「さびしいけもの」である男女の一期一会を描いた連作でした。

もともと性愛短歌というものを(このお歌が違うなら、作者さんごめんなさい)
毛嫌いしていた私にはとても珍しい現象です。

性愛を怜悧に見つめて詠った歌と、性愛の匂いをまきちらす歌とは全く別物だということ今頃気付きました。食わず嫌いはなににおいてもいけませんね。

こちらはもちろん前者。上の句の意味は深いです。

「快」と「永遠」とはどうやら両立しえないもの。
人と人とのつながり、肉体においても精神においても。

ひとはいったいどちらに重きをおくか。


このお歌、特に「性」に限定しなくてもいいようにも思えてきました。

人生は「きもちよく」さえなければ「永遠だった」かもしれない。

逆にいえば、人生は「永遠でない」ゆえに「きもちよい」

かなしくないです。そうです。もともとさびしいけものなんです。生きとし生けるもの。みんな。


こんなに優しく澄んだ性や哲学を詠うことは出来ないので、力づくの「わさび」割でコラボします。





                             

そうくるとわかってたわさびんたの後 髪の毛の数かぞえる愛撫   
                                  迦里迦






















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