よりみち文化財

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屋久島 楠川城跡

2008年05月06日 | Weblog
楠川城は大永4(1524)年種子島氏第12代忠尭が築城したといわれる城で、城の東側にあたる海岸線に沿っては険しい断崖となり、西側には空堀を掘って背後と隔絶した丘陵となっています。

写真は見づらいですが、畑の向こうに見える、山林がそうです。

曲輪には野面積みの石垣が残り、それがかなりの高さまで積まれている部分もあって、曲輪から眺めると・・・実は樹木が生い茂るっていてよくは見えないのですが、海に面した、三方を睨む要衝の城といった印象です。
南島航路や倭こうを監視する場所であった、と言われるのも頷けます。
ただ、石垣は築城から後の年代に築かれたもののようです。
種子島氏とねじめ氏の間で、この城を巡って何度も争奪戦がくりひろげられたそうですが、気になるのは案内板にある「日本で初めて実戦に火繩銃が使われたとの説があるる」との記述です
天文12年(1543)の、種子島氏とねじめ氏の戦、所謂「ねじめ戦争」において、ということでしょう。
織田信長が長篠の合戦で火繩銃を使って武田氏を破ったことは有名ですが、その火繩銃が初めて戦に使われたのは何時なのか?というと、それは岩剣城(今の鹿児島県姶良町)においてである、という説もあるのです

前回訪れたときはここで、いつの間にか猿(ヤクザル)に囲まれてしまい、そのうちに猿達は木の枝を揺すって、そろそろここを立ち去れとでもいう様な雰囲気になりはじめたものですから、包囲の輪がせばまってこないうちにと慌てて林を抜け出てきたのでした。

ヤクザルは九州本土の日本猿とはすこし毛の色が違うのですが、その時の光の加減からか、淡いグレーの混じった銀色の毛並みが、やや薄暗くなってきた林の中でぼうっと浮き上がって光り、猿達がとても神秘的な動物に見えていたことを覚えています。

いま屋久島の宮之浦港近くに居ます。
実は昨日こちらでチャリティーコンサートがあり、それを聴きに屋久島の安房まで来たところ、帰りの船の都合がつかず7日の出発となりました。
屋久杉の森をずいぶんと歩き回り、体力は要りましたが、確かに「癒し」の一日でした。

明日は鹿児島市内から、国道10号を東へ、加治木まち方面に向かいます。
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