私の記憶を辿りながら

私にとって、今年は一つの区切りになると考え
過去から現在までを辿りながら、自分史として綴るブログです。

面接の難しさ

2017-08-10 18:03:53 | 日記

母が入院してから三ヶ月が過ぎようとしていました。胆嚢の炎症は治まり、今度は心臓の方をどう治療するかでした。実際の所、今日明日にも手術しなければならないほど切羽詰まった事では無かったので、取り敢えずは退院と云う形を取って貰いました。

それからまた母はじっとしているより体を動かしていたいと言い出して、仕方なくなるべく体に負担が掛からないような仕事なら認める事にしたのです。そして、某デパ地下の総菜屋で働く事になりました。

さて、私の方はと言うと、順調に仕事の依頼は途切れる事がありませんでした。そんな中で二人面接を行う事になり、一人は年齢が三十五歳、私より年上だけれど学歴と経験を申し分ないけれど、果たして年下の人間の言う事を聞けるかどうか心配でした。

もう一人は、二十歳になったばかりで、高校を卒業して某電力会社に勤めていたらしいのですけれど、仕事が合わないと言う理由で辞めたとの事でした。だから私達の職種である制御機の経験は全く無いと云う事になります。人柄は良さそうでしたが、ただ現状で育てながら仕事をするだけの余裕が自分達に有るのか、それが採用するか否かが一番の心配でした。

その三日後、職安の紹介で一人面接を行う事にしました。年齢は二十三歳で、高校を卒業して制御機の製作会社にいたらしく経験は田中君並にあり、制御機ならどんな物でも作れるし図面も読めて検査も出来ると云う、正に私達が求めていた条件にぴったりと当てはまったのです。

こうして三人の面接を終えてどうするか私と田中君と佐藤さんで、居酒屋で誰を採用するか相談し合いました。喧々諤々とまではいきませんけれど、それなりに議論をし合いながら何とか意見の一致を目指しました。そして、出した答えは三人とも採用する事にしました。取り敢えず私を含めた四人が経験者なので、二十歳の子は育てる余裕は出来ると踏みました。

三十五歳の立木さん、二十三歳の酒井君、そして採用に頭を悩ませた二十歳の三浦君(三人全て仮名です)この三人を加えた私の事業所は一気に賑わう事となったのです。

それから、一番年上となった立木さんに対して、一応主任級の田中君が仕事を仕切るけれど、それは割り切れるかどうか確認だけすると、立木さんは問題は無いと答えてくれました。

人数も増えた事で経理担当の佐藤さんの助言もあり、有限会社に格上げする事になりました。これで私は本格的に社長の座に着き、佐藤さんが専務に、田中君は主任として現場を一手に治める事となったのです。昭和60年の出来事でした。

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