ホトトギスの呟き

日常生活を綴っています。
少しでも役に立つヒントを発信できればいいな、と思います。

Xday

2017-05-26 10:09:29 | 日記

 とうとう老母死去。 享年98歳。
実際は、6月21日生まれなので、満96歳。


 先日告別式を終えた。
隣組をお手伝いに頼み、連絡は老母の兄弟の家と私の兄弟「一人」の家と、
カミサンの兄弟「二人」の家のみ、いわゆる家族葬。


 入院した日「3月23日」から、この日の来るのはわかっていたので、覚悟と
準備はしていた。
5月19日の夜間に病院から連絡があり、駆けつけた時には既に別室に移動されていた。


 昨今は、小規模でも自宅で葬儀をする人は少ない。
我が家も葬儀社に頼んだ。
夜中でも24時間待機しているということはわかっていたので、スムーズに
自宅まで亡骸を移動できた。
母屋のかって起居していた部屋に安置した。
この日は、弟夫婦が来てくれて見守ってくれた。


 翌日の午前中は葬儀社と葬儀の相談。
祭壇の花飾りについて、若干の要望を出した。
午後は隣組の人たちに、通夜と告別式のお手伝いをお願いした。
「昔であれば両隣が葬儀委員で全てを仕切ってもらうのである。」
 偶然ではあるが、亡き母の弟の3回忌であり、その流れで自分の
従妹達がお悔みに来てくれた。


 夕刻、御前さんに枕経を頼み、家族のみで仮通夜を営んだ。
夜は3男が見守ってくれた。


 通夜当日、午前中はゆっくりできた。 
午後は、湯灌をお願いしてあり、死化粧してもらった。
初めて、最初から最後まで湯灌を見せてもらい、皆その技に感心した。
終えて、心付けを渡さずにはおれなかった。


 化粧をしてもらった仏様は、葬儀社の車で、葬儀場へ移動。
関係者全員も車で10分とかからず葬儀場に到着。
喜ばしいことに、本日は我が家の通夜のみ。「告別式も我が家のみ」
広い葬儀場が貸し切り状態であった。
祭壇も、花で埋め尽くされて、感心するほど綺麗であった。
写真周りに、花の流れがあるようにとリクエストしてあったが、プロの
ワザで実現してあった。
写真も、88歳の米寿のもので、皆に褒められるほど出来上がりが良かった。
実を言えば、オリジナルはかなり汚れがあり、顔色も黒いので、修正を依頼
してあった。


 通夜は、ほぼ想定どおりの出席者であった。
無論通夜振る舞いの席数もピタリ。
自分と長男と自分の弟が泊まった。


 告別式は、火葬場の都合で11:30からstart。
出席者の顔ぶれは、昨日とほぼ同じ。
ただ、こういう葬儀の時にしか会えない1歳違いの従妹も出席してくれた。
何せ亡母は9人兄弟・姉妹なので、従妹の数も半端ではない。
式は、滞りなく終了。
御前さんが、戒名について親切にその文字の意味について説明してくれた。
無理をいって、対になるように亡父と同じ位にしてもらった。
女なので、男とは違う漢字を使い、且つ、亡父の妻という意味を持たせたなんて
なかなか考えてくれたわいと思った。
ただ、スラスラと口に出して言える語順ではない。


 柩を花で埋めて閉じた。
自分は、亡父の時もそうであったが、涙なんか出ない。
歳から言えば十分であるから。


 この後、レクサスの霊柩車で火葬場に移動。
キンキラキンの飾りのついた車よりこのほうが好みである。
火葬場でも、一段落したらしく、他に一組も居ない。
やはり貸し切り状態で落ち着いた雰囲気であった。
ちょっと遅いが忌中払いとした。
約1時間半で骨上げになった。
最後に、係員が頭蓋骨の骨の説明をしてくれた。
こんなこと今までなかったぞ。


 49日に納骨するので、火葬場にて解散してもらった。
参列者に感謝 !


 帰宅したら、葬儀社が来て、49日までの仮祭壇を作り、
遺影と遺骨と位牌を設置した。
カミサンが、花をたくさん自宅にも運ばせたので、狭い部屋が花で埋まった。
3日間とも快晴であった。

 

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