昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―24

2017年04月02日 | 日記

宵山の山鉾巡行は、四条烏丸から四条通り、河原町通り、御池通りと曲がって行き、烏丸通りを下る一周コース。前日の夕方にはコースにある市電の架線は外されている。

「市電は動いてへんからな」

前もってカズさんから忠告を受けていた僕たちは、鴨川の堤防を三条大橋まで下っていくことにしていた。

「よろしゅうな~~」

大きな声に振り向くと、販売所前でおばちゃんが手を振っている。

北山橋の向こう、正面から当たる夕日が、風呂で洗い流した肌に熱い。もう汗が滲み出してきている。

賀茂川の堤防の上に着く。

「川べり行かへんか~~?」

とっちゃんの声が弾む。足取りも軽い。

さっさと河川敷に降りていくとっちゃんを4人でゆっくりと追う。賀茂川河畔には、浴衣姿のカップルや数人の女の子のグループが列をなしている。こぞって南に向かう人の影が、夕方の日差しに楽しげに伸びている。いつもより華やかで、化粧の香りさえ漂ってきているような気がする。

深呼吸をして気持ちを引き締める。油断してはならない。他人に迷惑を掛けることだけはあってはならない。まだまだスタート地点に付いたばかりだ。

出雲路橋、葵橋と無難に過ぎ、出町柳で賀茂大橋を渡る。北山橋では全身が巨大な眼になったかのようだったとっちゃんも、やや落ち着きを取り戻している。

「えらい人やろうなあ。川べりであんなんやもんなあ」

河原町通りを歩き始めると、珍しくとっちゃんの弱気が顔を出す。

「人多いと、わし、迷わへんか?」

僕たち4人に、何度も繰り返す。

「絶対離れたらあかんで。迷子になったら、自分で帰りや。とっちゃん、もう大人なんやから、な!」

両肩を掴み、顔を覗き込んで念を押す。

「もう~~。グリグリも、無茶言うなあ」

不満そうに言うが、目は敏捷に動いている。道路の反対側には少女三人。中学生くらいと思われる三人の浴衣姿が、ひと際眩しい。

「とっちゃん!きょろきょろしてると僕ら見失ってまうで!」

桑原君が見咎め、シャツの袖を引っ張り先を急ぐ。

 

御池通りに着く。ここから南の河原町通りは市電の架線が外されている。歩行者天国になっていることもあって、空まで開放的に広がっているように見える。

しかし、目の前は人の波。少しひるみ、立ち止まる。桑原君が気にしていた警官の姿は多くはない。屋台がちらほらと見え始める。

初めての光景に、顔を見合わせる。みんなの顔が上気しているのがわかる。人混みは、それ自体が人を興奮させるものらしい。

とっちゃんは、僕のジーンズのベルトループに指を引っ掛けている。込められた力に、不安が伝わってくる。

「大丈夫だよ、とっちゃん。離れないでね」

父親が子供に使うような標準語で声を掛ける。とっちゃんが、こくんと頷く。

すっかりおとなしくなったとっちゃんを従え、御池通りを越える。河原町通りいっぱいに広がった人波は、まだこの辺りでは肩と肩がぶつかり合うほどではない。

急激に好奇心が湧いてくる。各町内で保存されている山鉾は30以上と聞いている。その一部だけでも見てみたい。何処に何があるかは知らないが、尋ね歩けば出会えるだろう。

ずらりとぶら下げられた道路脇の提灯には灯が入り、これからのさらなる賑わいを予感させている。

冷やし飴売りの声が元気一杯に響いてくる。紙コップ1杯の涼を求めて、歩道の屋台に人が群がっている。

四条通りまで急ぎ、右折。四条通りに入る。人波に押され、遮られ、動きが取りにくい。

烏丸通りに向かう。大丸を過ぎたあたりから、路地を一筋毎に覗き込み、展示されているはずの山鉾を探す。なかなか見つからない。人波の流れに身を任せて進む。

四条烏丸に着いてしまう。道路を横断し四条通り南側を東に引き返すことにする。

「人多すぎてあかんわ」

「人混みを楽しむもんちゃうか~~」

「すごいですね~~。疲れました」

人波に揉まれながら、言葉を交わす。

「あ!とっちゃんは?」

山下君の声に立ち止まる。手を腰に回してみると、ベルトループに摑まっていたはずのとっちゃんの指がない。慌てた。

振り向き、人波に目を凝らして見る。姿は見えない。横向きになり、蟹歩きで人の流れに逆らい、四条通りを引き返した。そして、道路を渡り切った時だった。

「いよったで~~。ほれ」

桑原君が立ち止まり、背伸びをした。指さす方向に首を伸ばす。とっちゃん発見!歩道のガードに腰掛けている。4人で精一杯急いだ。

「とっちゃ~~ん!何してんの!!」

掛ける声がどうしても荒々しくなる。そのまま置いて行きたい気分だ。

「グリグリか~~」

僕を向いた顔は、しかし、想像に反して、心細さに歪んでいるかと思いきや、明るく輝いている。

「とっちゃ……」

もう一度掛けようとしていた言葉が止まってしまう。

行き交う人たちの邪魔にならないよう、前に投げ出したとっちゃんの足を軽く蹴り、横に並んで腰掛ける。とっちゃんが顔を近付けてくる。

「きれいなネエチャンばっかりやなあ」

またそれか!と彼の目を睨みつける。桑原君たちは身を寄せ、素知らぬ顔をしている。

「ええ匂いがするんやなあ、きれいなネエチャンは。なあ、グリグリ~~」

とっちゃんは僕のことなど全く意に介していない。顎を延ばし、鼻先をぴくつかせている。見るに堪えず、顔を逸らす。何か言ってやろうと思うが、言葉が出てこない。

4人の若い女性が通りかかる。いかにも楽しそうで晴れやかだ。一人がふとこちらに目を向け、一言二言仲間に声を掛ける。

4人全員の目が注がれる。僕は、恥ずかしさのあまり、目を足元に落とし、彼女たちが通り過ぎるのを待った。目を上げると、3人は少し離れて横を向いている。

いきなり、とっちゃんが立ち上がった。やいなや、あっという間にびっしりと埋まった人波に消えていく。一瞬遅れて立ち上がり、急いで後を追う。通り過ぎて行った数人の女性たちを追って行ったに違いない。

人を掻き分け、やっと追い付く。黙ったまま、シャツの背中を強く掴む。激しく抵抗するとっちゃんの頭越しに女性たちの後姿が見える。

シャツを掴み直す。とっちゃんを止めることには成功する。が、上半身はまだ女性たちの方へと傾いている。

「ええ匂いや~~」

興奮に紅潮したとっちゃんの顔が振り向く。遂に僕の我慢の糸が切れる。

「とっちゃん!帰るで!帰ろう!」

手をシャツの背中から襟に移し、引きずるように近くの路地に連れ込む。

「なんでや~~?ええやないか。なあ」

とっちゃんの粘りつくような声が同じ台詞を繰り返す。その声は次第に大きくなっていく。路地を行き交う人たちの不審そうな視線が集まる。

ほどなくして、3人がやってくる。僕の怒りは3人にも向かっていく。

「助けてくれんとあかんやろう!」

桑原君に言ったつもりだったが、山下君が一歩前に出る。

「すみません。急いだんですけど、人が多くて‥‥」

「大通りは無理やなあ。見失わんようにするんで精一杯‥‥」

僕に襟首を掴まれたままのとっちゃんがジタバタするのがおもしろいのか、大沢さんは微笑んでいる。

「もうええな。帰ろうか」

桑原君はもう、帰る方向に身体を向けている。みんなで北へ向かう道順を確認。人込みを避けて路地を辿っていくことにする。

しかし、帰路につくと、とっちゃんの執念にまた火が付いた。

「なんでや~~?ええやないか。なあ、グリグリ~~」

時々立ち止まっては恨めしそうな目を向けてくる。

とっちゃんの腕を掴んでおく役割を交代しながら、僕たちは御池通りまで急いだ。御池通りまで行くと、人混みも多少はまばらになるだろう。

御池通りに着くと、僕が先頭に立った。とっちゃんが僕のベルトループを掴み3人が後ろを固めるという、来た時の隊形に戻した。

夕闇迫る御池通りから河原町通りに入り、北へと向かった。

ところが、100mも行かないうちに、とっちゃんが頑として動かなくなった。前に進もうとする僕を、ベルトループに回した指先が力いっぱいに引き止めている。新たな“きれいなネエチャン”の出現か、と振り向くと、真顔で背伸びをしている。後ろの3人も同様に、同じ一点を見つめているようだ。

                Kakky(柿本洋一)

  *Kakkyのブログは、こちら→Kakky、Kapparと佐助のブログ


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