昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   27.相次ぐ再会

2013年01月18日 | 日記

相次ぐ再会

1972年秋、東京から京都に帰ってきた僕の暮らしは、規則正しく淡々と過ぎて行った。東京3人組からアドバイスを受けて決めた履修科目の講義には、ほとんどすべて出席した。2~3度しか入ったことのなかった学生食堂で、頻繁に昼食をとるようにもなった。奈緒子との“きちんと大学生をする”約束は果たしていけそうだった。

しかし、どこか腑に落ちない気分だった。講義を受けるようになってできた友人たちと構内の陽だまりに腰を下ろしていると、時折尻がむず痒くなった。無為な時間を潰しているだけのような気さえすることがあった。

「どんな人間になりたい?」と訊かれると、「井戸水のような人間になりたい」と答え、「どんな暮らしがしたい?」と尋ねられると、「遊牧民かなあ」などとはぐらかしていた。身体も心も落ち着かなかった。

“ビッグボーイ”には真面目に通った。マスターとの距離感が好きだった。彼の無駄のない所作も気に入っていた。ジャズを耳にしながら必要最小限の言葉で交わす会話も心地よかった。

毎夜8時を過ぎると満席の店内はいつも、大音量のジャズが流れているにもかかわらず、淹れ立てのコーヒーの香り漂う静謐な空気に満たされた。店に入り小一時間もすると、僕の心は穏やかさに満ちていき、身体ごと店の空気に溶け込んでいくようだった。カウンターの中にいつも佇んでいるのに、まるで気配を消しているかのようなマスターと僕は、“Big Boy”という生き物の内臓の一部のような気さえすることがあった。

マスターにそう言うと、彼はもぞもぞと口髭を掻きながら、「客もそうなんちゃうか?ここに来て、ジャズ聴いて帰ってるように思うてるかも知れへんけど、ほんまは“Big Boy”に吸い込まれて吐き出されてるだけなんやけどなあ」と言って肩をすくめた。僕にはとても真似のできない“すくめ方”だった。

毎夜12時。「時間やで。そのまんま帰り」と言われ、すぐに店を出た。客もこうして“Big Boy”に吐き出されてしまった寂しさを噛みしめているのだろうか、と思った。が、決して“ディキシー”に立ち寄ることはなかった。“ディキシー”は、僕を吸い込んで心地よくしてくれるとは思えなかったからだ。

鴨川の堤防を北へ歩き、少し遠回りをして東山仁王門まで帰るのが、日課になった。店から吐き出された時の寂しさは、夜の堤防を歩いている間に人恋しさへと膨らんだ。途中の自販機で買ったコーラを傍に置き、僕はほとんど毎晩手紙を書いた。奈緒子に宛てたものだった。

しきりに手が止まった。言葉は浮かんでくるのだが、どれもこれも気に入らなかった。あやふやだと思った。しかし、あやふやなのは僕自身だとも気付いていた。年下の奈緒子にあやふやな僕自身をぶつけ、彼女の返事から僕の中に何らかの確かさを見つけ出そうという卑怯な行動だとも思った。

時には、気付くと朝の光が差しこんでくるまで文字を書き連ねる夜もあった。仮眠を取り、目覚ましの音に起きて斜め読みすると、あやふやを積み重ねただけの自分勝手な分厚い手紙になっていた。ブックバンドに講義の資料と一緒に縛り付け、学校に着くとすぐ、ゴミ箱の奥に捨てた。

そんな日が、街にクリスマスソングが流れるようになるまで続いた。奈緒子からの手紙はなかった。あやふやの中で一人もがいている苛立ちが彼女に向かっていきそうで怖かった。

 

「お!柿本やんか。こんなとこで何してんの?」

クリスマスイブの数日前、店に入ろうとしていると声を掛けられた。京都新聞北山橋東詰販売所に住み込んでいた大沢さんだった。横には恋人らしき女性もいる。二人ともジャケット姿で、随分大人に見える。

「あ!大沢さんやないですか~。お久しぶりです。……ここでバイトしてるんですわ。……販売所は…」

「君らが辞めてすぐ、僕も辞めたんや。司法試験の準備もせんとあかんし……。あ、これ、妹」

よく見るとどこか似ている。妹は「観光に来たんです」と言って、ぎごちなく頭を下げた。

「僕が“僕がいるうちに来たらどうや”言うたんや。年明けたら、相手してられへんしなあ」

と大沢さんが言葉を継ぐ。僕は、“大沢さん、司法試験浪人何年目やったかなあ”と思い出そうとしたが思い出せず、「よかったら、後で寄ってみませんか」とドアに手を掛けた。

「そやなあ、寄ってみるか?」

大沢さん妹にそう言うと、肩を抱くように鴨川の方へと歩み去って行った。仲睦まじい後姿を見送っていると、ふと思い出した。大沢さんの司法試験浪人は、4年目だった。

ドアを開けると、どこかいつもと様子が違っていた。明るい店内にマスターの姿がない。カウンターの前を通り過ぎ店の左奥を窺うと、隅のテーブルで何やら悪戦苦闘している。

「こんばんは~~。何してはるんですか?」

と声を掛けると、珍しく不快そうな顔がこちらを向いた。

「そこの棚にクリスマスツリーを飾ろう思うてなあ」

「へえ。飾らはるんですか、クリスマスツリー」

「俺は嫌なんやけどな。毎年赤い帽子被ったんが何人か来るんや。ツリーぐらい飾ったらどうや、言うてうるさいのもいてるしなあ」

「後4日のことですやん。ええんちゃいます?」

「ここまで飾らへんかったんが、せめてもの抵抗や。これは妥協や、妥協」

僕は、“ベンチャーズのクリスマスメドレーに浮き立った心にジャズは響かへん”とマスターが苦々しげに言っていたのを思い出し、クリスマスツリー製作に付き合うことにした。出来上がりを棚の上に置いてみると、確かにこの店には似つかわしくないようだった。

 

その夜、さらにもう一つの異変があった。山下君の来店だった。

自衛隊を逃亡し、京都新聞北山橋東詰販売所に飛び込んで来た山下君とも久しぶりの再会だった。右奥のコーナー席に腰を下ろした二人連れにコーヒーを運び、テーブルに置いた瞬間、男性客が彼であることに気付いた。

「山下君ちゃう?」

声を掛けられ驚いて上げた彼の顔は、ほっそりと面長になっていた。照明のせいか、いつも目立っていた髭の剃り跡も気にならない。

「柿本君やないか~。久しぶりやねえ」

声も明るく、ワントーン高くなったような気がする。アーガイルのVネックセーターもよく似合っている。まさに別人だ。

「元気そうやない。…彼女?」

隣に座る女性のことを訊くと、「いやいや、そんなんちゃうよ~~」と慌てて手を横に振り、「僕の姉弟子……でいいんですよね」と、隣の女性に確認しながら答えた。

「ええんやないの?」

女性は穏やかな笑顔を見せたが、その居住まいには山下君の姉貴分の風格があった。

「どんなこと習ってはるんですか?」

女性に訊くと、「京友禅の工房に弟子入りしてるんです。まだ、習うというほどでは……」と答えてくれた。

長話はできないので、「また後で」と席を離れようとすると、シャツの袖を引かれた。

「僕、時間あるから待ってようか?」と言う。

壁の時計を見ると、午後9時半過ぎだ。バイトが終わるまでまだ2時間半ある。

「12時なんやけど、終わるの。大丈夫?」と確認すると、「大丈夫。待ってるわ」と少し赤らんだ顔をほころばせた。

隣の女性も「私は後1時間もせんと帰るから、ゆっくりしてったらどう?。大丈夫やからね」とほほ笑んだ。

ほとんどぴったり1時間後、姉弟子は勘定を済ませ店を出て行った。山下君は中腰になり、姉弟子が開けたドアが閉まるまで、身体の前で小さく勢いよく手を振り続けていた。姉弟子を信頼し頼り切っているように見えた。

「おもろい連れやなあ」

マスターの声に「ちょっと変わってるかもしれませんねえ」と応えると、山下君と過ごす時間が急に楽しみで仕方なくなった。

「今日は早退けしてかまへんぞ」

マスターがシンクに目を落としたまま、小声で言ってくれる。

「いや、待たせますから」とは言ったものの、「かまへんて。本番は明後日やし」という次の言葉に、「ほな、甘えさせてもらいます」とエプロンを脱いだ。

山下君に早退けすることを告げに行くと、顔が大きくほころんだ。僕は、“ディキシー”に連れて行こう、とその時決めた。

次回は、1月21日頃をに予定しています。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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