昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

風に揺れる蛹 ⑪

2017年06月17日 | 日記

左隣の就活生が、ふと顔を上げる。露わになった横顔は少女の趣き。朝の光を受ける頬は艶やかで、鼻先には若々しい自信を覗かせている。

頬に思わず、えくぼを探す。が、見当たらない。光を浴びているからかもしれない。

首を少し上げる。老眼鏡を外す。霞む目をこする。もう一度老眼鏡をかける。気になる頬を凝視する。やはり、えくぼは見当たらない。

かつて確かに目にした久美子のえくぼ。あれも、陰影の中に見た錯覚だったのだろうか。まさか、そんなはずは……。

見つめていた頬が起き上がる。警戒の目が向けられる。

顔の向きを変える。とその時、思い出す!

次々とバーボンを流し込み、忘れてしまいたいと思っていたのは、昨晩の久美子との会話だったらしい。

パソコンを前に押しやり、テーブルに突っ伏す。君子の言葉が次第にはっきりと蘇ってくる。頬が熱くなる。胸が息苦しい。窓からの風は、今はない。

 

「俺たち、ほとんど話したことないよね」

呂律が少し怪しかったが、むしろ、だからこそ、電話する勇気を奮えたのだと思ってくれるだろう。そう高を括っていた。義郎に電話した直後だった……はずだ。

「そんなことないわよ。たっぷり話したわよ」

意外な答えだった。“たっぷり”という言葉にはシニカルな響きがある。

「嘘だあ。だって、体育祭の時……」

「話したの、あの時だけだと思ってるのね。高校は別だったけど、手紙をくれて、それで、デートしたじゃない」

「え!嘘~~。デートなんか‥‥」

「したのよ。それも、2回」

意外だった。記憶からごっそり抜け落ちている。少し慌てた。頭の中が一瞬にして白くなった。脳内が熱くなった。

「ほんと?」

ロックグラスにバーボンを注ぎながら、呻くように言った。

「そうよ。やっぱり、覚えてないのね」

そう言われ、グラスを口にする。

「自転車の後ろに乗せてくれたのも?覚えてない?」

まったく記憶になかったが、「あ!そう言えば……」と少し挽回を図る。が、口一杯のバーボンにむせてしまう。こぼしたバーボンに気は殺がれ、咳き込む苦しさに携帯を持っているのもやっとだ。

「あの時、私に“僕のこと好き?”って聞いたのよ」

久美子はこちらの状況に気付くわけもない。

「え?!そんなこと!で、久美子はなんて答えたの?」

そう聞き返したつもりが、ゲホゲホとむせただけ。

「“好きとは言えない”って言った」

衝撃だった。40年大切にしていた花の鉢を、ポイと投げ捨てられたような気分だった。

久美子にその時の言葉の真意を聞く勇気は湧いてこなかった。

後はもう悲惨だった。

ジャージから立ち昇り、鼻から流れ出るバーボンの強い香り。灼けるような気管と喉。脳を急速に侵し始める酔い。そこに届いてくる淡々と胸を突き刺す言葉の連続。

「うぉう」「うぇえ?」と声にならない返事を繰り返すだけになり、挙句にはソファから滑り落ちた。それでもやっとの思いで携帯を耳に当て続ける。

久美子はもはや独白をつづているだけに等しかったが、積年の恨みでもあったかのようだ。勢いづいている。仲良しだった義郎から聞いたという、彼との思い出にまで話は及んでいく。

「きっと自分に都合のいいように記憶していると思うけど、本当は違うのよ」

そう言われた時は、もうこれ以上何も聞きたくないと思ったが、頭を掠めたある疑問に、なんとか持ちこたえた。しかし、

「仲良く遊んだと思っていることの半分以上は、繁君が義朗君を虐めていただけなんだからね。わかってる?わかってないんだろうなあ。例えば、……」

と始まった義朗との思い出にまつわる話に至った頃は、携帯を持つ手も脱力しかけていた。

「繁君?……繁君!」

遠くから呼ばれた感覚に、霞む目をこすり、落とした携帯を拾い上げ耳にした瞬間、疑問は解けた。

「義朗ちゃん。どうも寝ちゃったみたいよ。切っちゃうね」

そう!久美子は義朗と一緒にいる。夫婦だ!

一瞬にして目が覚めた。テーブルのバーボンに、また手を延ばした。

それから先の記憶はない。水中でもがく夢に誘導されて目覚めるまで、おそらく数時間、無意識の身体は、耳にしたことをただただ脳内奥深く押し込み消し去ろうとしていたような気がする。

 

テーブルに突っ伏している頭に、久美子の言葉の断片が次々と蘇ってくる。

しかし、全容は思い出せない。同窓会に出席して誤解を解こう、という意欲は完全に消え失せている。

窓から流れ込む風が強まっている。心地よい。モンシロチョウが一対、風に押し上げられ、ふわりと窓の端に姿を現す。頭をもたげ見つめようとすると、はらはらと揃って羽ばたき、風に抗い視界から消えた。

モンシロチョウが消えた窓を漫然と眺める。取り残されている気分だ。思い出されるのは久美子との会話だが、彼女の言葉に抗う根拠も術もなく、かと言って、記憶にないことを後悔することもできない。

ただ、込み上げてくる喪失感と寂寥感はやり切れず、屈辱感と敗北感も後を追うようにやってきて責め立てる。

逃げているのか、見捨てられようとしているのか、どこに、どう佇んでいるのかさえわからない。

中学生の頃の家、軒先にへばりついていた蝶の蛹を思い出す。老いた生き物に見えた。初々しい姿に変貌し、命の危うさ、輝き、逞しさを感じさせることになるとは、とても思えなかった。しかし、数日後、見事に羽化して羽を伸ばし切ると、飛び立っていった。

だが、こうしてテーブルにへばりついている中年男に、今更羽化もないだろう。飛び立つことができたとしても、行く宛は?連れ合いは?仲間は?

確かなことは何もない。確かそうに思えることさえ、何もない。

…………

「繁さん、もう遅いわよ」

義母の起こす声が、耳に響く。

急がなくてはいけない。今朝は、弁当か……。

…………

           Kakky(柿本洋一)

  *Kakkyの個人ブログは、こちら→Kakky、Kapparと佐助のブログ

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