昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―⑲

2017年03月06日 | 日記

販売所がぎくしゃくしたのはその朝だけで、翌朝からはいつもの朝の風景を取り戻したように思えた。

しかし、二階には根深いぎくしゃくが残っているようだった。

「議論するのはかまへんけど、怒鳴るのは勘弁してほしいわ」

大沢さんが数日後の朝、珍しく愚痴をこぼした。

「聞こえてくる言葉から想像するに、桑原君、相当のめり込んでるなあ」

「何にですか?」

「学生運動や。ちょっと過激な感じやなあ」

僕に驚きはなかった。むしろ、山下君が気の毒だった。

翌朝、配達に出ようとしている桑原君と出くわした。桑原君の眼光は心なしか鋭くなっていた。

山下君は、二階で過ごす時間の多くを大沢さんと共にするようになっているようだった。

意外だったのは、ぎくしゃくの朝以降、とっちゃんの様子が変わったことだった。口数が減り、笑いが少なくなり、タバコの本数が増えた。タバコを口から抜く音も小さくなり、替わりに深い溜め息を耳にすることが多くなった。

「とっちゃんの金、またおかんに使われたんちゃう?カズさんが“壺に入れて庭に埋めてるみたいやで”言うてたけどなあ」

「それやったら、口に出すやろう」

「おっちゃんと何かあったんやろか?」

「それはないな。おっちゃんが黙ってるはずないやん」

僕たちに、とっちゃんの変化の理由で思い当たることはなかった。

「君が聞いたらどうやろう」

「君が適任やで」

考えあぐね興味を失った大沢さんと桑原君に委ねられ、やむなく僕が確かめることになった。

 

機会はすぐやって来た。数日後、二日続いた雨が上がり、夏の日差しが戻った夕方、夕刊を配り終わり自転車を停め、北山橋方面を見ると、欄干に掴まり身を乗り出しているとっちゃんが目に入った。その体勢に不安を感じ、僕は駆け出した。

「とっちゃ~~ん!」

手を振り呼んだが、振り向きもしない。

息を弾ませながら欄干の横に掴まると、とっちゃんがこちらを向いた。顔が上気している。

「見てみいな、グリグリ。きれいなネエチャンやで~~」

間の抜けた声に力が抜ける。欄干から身を乗り出すと、浴衣姿の若い女性が橋の下に3~4人、小さな輪になっている。日の光にまぶしくきらめく色とりどりの浴衣は、溌剌として艶めかしい。

「とっちゃん!……もうええやろ。行こう」

そう言った声に、橋の下の浴衣姿が一斉に動く。くるりと上を向いた顔が、一瞬にして微笑みから訝しむ表情に変わる。

僕は慌てて顔を引っ込める。が、とっちゃんはさらに身を乗り出す。

「こっち向いたでえ。なあ、グリグリ~、見てみい。ほれ!見てみいって。きれいなネエチャンやで~~」

肘を引く僕に抗い、僕に声を掛け、彼女たちを指差す。たまらず、力一杯欄干から引き剥がす。

「なにすんねんな」

とっちゃんは不満そうに口を尖らせる。身体を捻り、未練がましく欄干に手を延ばす。

「もうええ!帰ろう!」

肘を引く手に力を込める。とっちゃんはそれでもまだ欄干に手を延ばす。やるせない気分が腹の底から込み上げてくる。僕は、肘から手を放し、販売所へと歩き始めた。

北山橋のはずれでとっちゃんが追い抜く。その横を、足を速めすり抜ける。とっちゃんは慌てて僕の前に回り込み、突然2~3度地団太を踏む。

「“おっさん”、おらんようになってん」

「なに?」

「銭湯に来いひんねん」

「みんな?」

「番台のおっちゃんに聞いたら、もう来いひんやろなあ、言うてた」

工事でも終わったのか。そう言えば、建築中だった北山通りのビルが完成している。あの工事の関係者だったのかもしれない。

「とっちゃん、それで元気なかったんか?」

心の拠り所を失ったとっちゃんを可哀想だと思う反面、そう思ってもらえると確信している顔付が腹立たしくもある。

しかし、とっちゃんは19歳。母一人子一人の暮らし。その心の揺れに寄り添ってあげるべきではあるだろう。

僕はとっちゃんの肩に手を回す。とっちゃんは、肩に回ってきた僕の手にちらりと目を遣る。

「別に。元気ないことないで。……“おっさん”もええ加減、ええ加減な“おっさん”やったからなあ。話聞いたらんとあかんし、話おかしいなあ思うてもびっくりしたらなあかんし……。わしかて苦労してたんや」

傲然と言い放つと、下から見上げてきた。いつものとっちゃんの仕草だが、その目はいつもよりさらにねちっこく、絡みつくように僕を捉えている。

「何?」

肩に回した手に力を込める。と、とっちゃんの表情が急に変わる。

「なあ、宵山に連れてってくれへんか~~?」

一語一語が粘りついてくる。

なんだ?何が起きているんだ?“おっさん”とどう関係があるというんだ?

「嫌や!」

肩から手を放す。宵山に一緒に行く気になどなれるはずがあるものか。

「なんで?なんで?ええがな。ええやんか~~。連れてってえな」

「とっちゃん一人で行き!」

突っぱねて歩き始める。とっちゃんは歩を速め、また僕を追い抜き、立ち塞がる。

「グリグリ~~。まあ、聞いてえな。いろいろあんねん、わしも」

「何が!?」

怒りがこみ上げる。

「まあまあ、聞いてえな。聞いて!って」

両手で肩を押さえられる。僕が立ち止まると、横を向き欄干に両肘を乗せた。

「なんやねん」

脇腹を小突く。

「“おっさん”に言われたんや。これからのこと、考えんとあかん、言うてな」

「“おっさん”、何て?」

「会社員にならなあかん、言うてな。ほんでな、結婚せんとあかん、言うてな」

“おっさん”の言葉は、とっちゃんの将来を慮ってのことのように思えるが、決してそれだけではないようにも思えた。

「で、とっちゃんは?」

「会社員言われてもなあ……。カズさんに言うたんや。“わし、会社員になりたいんやけど”て」

「カズさん何て?」

「“会社入らな、会社員にはなれへんわなあ”言うて‥‥」

「で?」

「会社入るいうてもなあ……」

「で、とっちゃんは?どないしたいの?」

「会社員ならんと結婚できひんねやろ?わしらみんな、結婚せんとあかんねやろ?結婚してへんのは大人やない言うてたで、“おっさん”」

「じゃ、カズさんは?」

「そうや!カズさん、結婚してへんわ」

「カズさんは子供か?」

「いや、カズさんは大人や」

「“おっさんは”?結婚してんのか?」

「どうやろう?聞いたことないわ、そう言うたら」

「そうやろう。‥‥ほな、おっちゃんとおばちゃんは会社員か?」

「会社員ちゃうんか?」

「違うで。でも、結婚してるやろ?」

「してるんやろなあ。聞いたことないけど」

「ほら!」

話しているうちに、“おっさん”に対する怒りが湧き上がってくる。

銭湯で彼らが語った言葉の多くは、ただただ語るために語られた言葉のように思えてくる。愚直に受け止める者がいることを彼らはどう思っているのだろうか。まさか?面白がっているだけだとは思えないが。

「おっちゃんとおばちゃんが結婚できるんやったら、わしかて結婚できる、いうこっちゃ!」

「…………」

「そうやろ?!」

「とっちゃん、そんなに結婚したいんか?」

「そらそうやで。一人前になるいうことやろ?」

「まあ、そうかな?」

「グリグリは結婚せえへんの?」

「いつかはすると思うけどな」

「なんや、それやったらわしと一緒やないか」

言うべき言葉が見つからない。しかし、“おっさん”の話と宵山はなんとか結びついた。

「だから、宵山か!とっちゃん、女の子が一杯いる所に行ってみたいんやな」

「わし、ネエチャンと話したことないやろう。話くらいできんとなあ、結婚できひんしなあ。おっさん、慣れればええんや、慣れたら何でもできるようになる言うてたけどな。ネエチャンいてへんもんなあ、わしの周りに」

会社員になる、結婚する、子供を持つ、家庭を築く‥‥。“おっさん”がとっちゃんに提示した“とっちゃんが目指すべきこれから”は、常識的な市民生活への道だろう。しかし、その道がとっちゃんにとっては平坦な道ではない。

そんな大きなお世話とも言える“おっさん”の話は、とっちゃんの若い性欲を大いに刺激しただけではないのか。そういった結果をおっさんは、ひょっとすると予見していたのではないか。

「宵山、連れてってえな。なあ、グリグリ~~~」

とっちゃんの甘え声に、またも怒りが込み上げてくる。

「だめ!嫌や!一人で行ったらええやんか!」

全身の毛穴から性欲が滴っている男と、女の子の多い人混みへなど行きたくもない。

販売所まで残っていた100mを、とっちゃんを振り切るように僕は急いだ。怒りはやるせなさに変わっていた。

                  Kakky(柿本洋一)

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