晴れのち平安

webサイト『花橘亭』の更新記録。
源氏物語を中心に情報発信&平安な日々♪

瀬田の唐橋

2010年10月20日 18時00分04秒 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
瀬田の唐橋(せたのからはし)

■住所:滋賀県大津市唐橋町~瀬田一丁目
■交通:京阪「唐橋前」駅下車

数々の歴史の舞台となった瀬田川に架かる大きな橋です。
“勢多(せた)の唐橋”や“瀬田の長橋”と表記されることもあります。

現在見られるような大橋・小橋の形になったのは、織田信長が架け替えて以来の姿だそうです。
※現在はコンクリート製。

「急がば回れ」の諺(ことわざ)の発祥もココだとされています。



西側から見た唐橋(からはし)

それでは橋を渡ってみましょう♪
夕方なので車の往来が多いです。



橋を歩きながら北を見たところ。この川上に琵琶湖があります。


 

橋の欄干についている擬宝珠(ぎぼし)は、よく見ると修理補正したあとが各所で見られるものもありました。
年季が入っていますが、これらの修理をされた職人さんがスゴイと思います。




西の空はだんだん、日がおちていきます。



東側から見た唐橋(からはし)



日本三代名橋「瀬田の唐橋」碑




瀬田唐橋の東詰には、俵藤太(たわらのとうた)こと藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が百足(むかで)退治をした故事にちなむ絵が掲げられています。

絵の裏面は唐橋の解説がされています。
(↓画像をクリックされると大きな画像でご覧になれます)


■古代の瀬田橋
・ 671年、 大友皇子と大海人皇子の皇位継承を争う壬申の乱、最後の決戦場に。
・ 764年、 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)により瀬田橋を焼く。
・ 940年頃、俵藤太(たわらのとうた)による百足退治。<伝説>

■中世の瀬田橋
・1184年、木曾義仲軍、源義経・源範頼軍と戦う。
・1221年、承久の乱。後鳥羽天皇が鎌倉幕府と戦う。
・1582年、本能寺の変。瀬田橋が焼かれる。




交通の要所・軍事の要衝として
「瀬田橋を制する者は天下を制する」
と呼ばれてきました。




瀬田川ではカヤックの練習(?)をされている方々もお見かけしました。
カッコイイ!!

座ってぼーっと橋を行きかう車や人を眺めていたら、どんどん周囲が暗くなっていきました。(笑)



福岡県で生活している時よりも日の入りが早い気がします。
・・・って当たり前ですね。滋賀県のほうが東にあるんですもの。





こののち、京阪「唐橋前」駅から京阪電車に乗って「皇子山(おうじやま)」駅へ移動。
京阪「皇子山」駅近くのJR「大津京」駅から「おごと温泉」駅へ。




「大津京」という名に憧れていたのでJR「大津京」駅で切符を買えたことが嬉しくて、写真を撮ってしまいました。(笑)


本日のお宿、「ことゆう」さんへ向かいます。



宿泊:雄琴 天然温泉の宿「ことゆう」での夜へ続く!


近江路・歴女ブロガー旅紀行(ブログ「晴れのち平安」編) INDEXに戻る





web拍手を送る blogram投票ボタン


HP『花橘亭~なぎの旅行記~』に戻る> <コメントをくださる方は掲示板へ
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 石山寺~紫式部による「源氏... | トップ | JR「大津京」駅と万葉歌碑(... »
最近の画像もっと見る

あわせて読む