あごの心旅(書いて見て聴いて)           

障害を持つたからこそ偶然に知り会えた奇跡の連鎖を書きとどめ見聴きしたことを添えました。

短歌って何だろうか

2017年05月03日 | つぶやき

(1)言葉は光で闇に負けなと思いたいのです。言葉→区別→選択→価値→希望→光

(2)写実はカメラの映像に任せて、短歌は事実より夢想を現在より憧れを見えるものより 見えないものを、そして現実逃避より理想をと思うのです。    映像の世紀  世界が震えた二十世紀の衝撃写真

(3)結果としての作品より、過程としてのコミニュティを重視し、形を整えれば心が付いて来るという日本的、坐禅的な土壌に根ざしているのが現状だと思います。皆で同じ形をとるという小集団の和の価値でなく、皆が違うから良いという個の価値でのアプローチもあるのではないかと思うのです。

(4)歌体を整えれば整えるほど、人口知能に負けるのではと心配です。たった31音程度の言葉の組み合わせですから、本格的にソフトを作りさえすれば人は人口知能に負けるのではないかと思うのです。歌体を整えれば整えるほど。   [ソフト例]  囲碁 歌手 小説  俳句  ⑤短歌・・・未調査

(5)知識は押し入れにしまって、一本の鉛筆とメモ用紙とそして良く消える消しゴムがあれば十分と思えます。不器用も個性ですから、自分の気持ちを自分の言葉でと思うのです。

(6)自己完結しているために他者に影響しないので、それはそうだが何んですかと言われないように。そして多作少魂でなく一作全魂なのを願っています。 (7)伝統、権威、選評、how-to本、常識などを無条件で絶対視し有り難がらない様にと思っています。次の論説は戒め様に思えるのです。   桑原武夫の第二芸術論

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