2011.4.28 (木)
「その族の名は『家族』」 (at 青山円形劇場)
(4月28日 千秋楽)
仕事が終わりそうもなくて、ダメかなあとあきらめかけていたけれど、結局そういうときにあきらめたことはない人間だ、ということを思い出しました。
したいことはけっこう通す人間でした(恥)。
GWは連日事務所になりそうなので、「今夜くらいはね~」という程度の忙しさなんだ。
大したことはないってことです・・・。
ユウスケ・サンタマリアファンの年若い友人とメールでユウスケ話をしていて、以前にもまして気になる役者になっていました。
とぼけた「チョイいい加減」なキャラもいいし、「LADY」でみせてくれた疲れた大人の男の感じもステキです。
興味のある方、この「かけらの世界」で「ユウスケ」を検索してみてください。
けっこう熱くあちこちで語ってました。
さてさて、「その族の名は『家族』」 です。
まったく予習もなくでかけたので、円形劇場の私のすぐ脇の通路から女装のユウスケさんが登場したときにはビックリしました。
前振りで、ジョークを交えながら(どこまでがマジメでどこからがジョークなのかは判断しかねましたが)、ケイタイの注意や地震の際の心得などを話してくれたんですが、「オカマでも女装趣味でもなく、母親役ですから」に、へ~、そうなんだ~、という感じです。
君臨していた横暴な?父親のもとで育った4人の子どもたち(上から、男・女・男・女)が長女の提案もあり、余命いくばくかの祖母のもとで「一家みんなで集まろう」ということで実家に帰ってくる。
祖母の葬儀の場からからさかのぼって、荒れに荒れた一家の集まり直前から祖母の死までの数日間の流れを私たちに見せ、そのあと、時間をみんなが集まってきたその日に戻し、今度は少し視点を変えてまた祖母の死までをたどるという、ちょっと複雑な構成。
円形劇場特有の空間に最小の舞台装置(けっこう普通の日常的な小道具が豊富に登場する)で、あとは役者の動きとセリフだけ。
最初の流れで、父親の横暴さにいかに子どもたち(末っ子だけは父からの理不尽な扱いは受けなかったらしい)を屈折させてしまったか、素直に交われないイビツ感を私たちは教え込まれる。
コント風な軽い芝居とシリアスなやりとりが混在する舞台。
そこではユウスケさん演じる母親は子どもたちとあまり関わりをもたず、存在感のうすいイメージで、物語の外側をウロウロしている感じ。
けれど、最初の進行ではあいまいだったところ、家族の隙間の部分が二度目の進行の中で明らかになっていく。
「家族の再生の話」とコピーがあったけれど、実はダメダメな家族構成員に見えていたそれぞれが、母親とのつながりのなかで豊かな感性を育んでいたという事実が明らかになるストーリーだと思う。
母親はちゃんと見ていたのだ。シニカルで人と交わらない毒舌家の長男が実は祖母に優しく接していたこと、家族の再生を願う長女の強い思い・・・。
そして子どもたちも父親でさえも、「みんな集まったか?」「全員集まるのか」を絶えず気にかけている。
その思いのなかに、すでに「再生」は始まっているのかもしれない。
最後に母親が夫に強い口調で言う。
「出ていけ! いや、出ていくな!」
子どもたちへの無理解と自分への仕打ちを果てのこの状況をじっとみつめて、ここにいろ!と叫ぶのだ。
はむかうことのなかった母親のこの行為こそが、ひょっとすると最大最強の「再生への道」なのかもしれない。
ユウスケさんは特に「女性」を演じることなく、そのままの感じで「母性」を発していた。
泣いているときの背中がちょっとはかなげだったくらいで。
ただ祖母の死までの数日ということ、祖母の周りで家族が集うということで、祖母の役割は大きいのだと思うのだけれど、そのあたりがちょっと伝わってこなかったかな。
それから、お父さん! 無駄に(笑)歌がうますぎる!!
最後になってごめんなさい。
何度もここで紹介しているので、ご存知の方も多いと思いますが、それでももっと多くの方に読んでほしくて。
名取市閖上で被災された荒川洋平さんのブログ。
友人の方が3日ずつ、書かれているところもあります。
胸をつかれます。
まだお母さんは見つかっていないようです。
新しく立ち上げようと考えていることって、どんなことなんだろう。
http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/archives/2011-04.html#20110406
Yahoo ニュースでも紹介されました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110430-00000015-maip-soci