大江戸八百八景

歌は世につれ世は歌につれ

▼良書紹介 有田芳生著『酔醒漫録』

2016年10月15日 | ■「奇跡の詩人」と各界専門豚の立ち回り

 

▼以下、2005.09.10 記

 

先日、神保町に出向いたおり、ある書店でジャーナリスト有田芳生氏の近著『酔醒漫録』(にんげん出版 05/07刊)を購入してきた。(1)と(2)の二冊が並んでいたが、私は(2)だけを買ってきたのである。周知のように『酔醒漫録』は有田氏が、2000年よりインターネット上のサイトに毎日、書きつづってきた日記である。

(1)は有田氏が日記を公開された最初である2000年6月から2001年1月6日までの分が収録され、(2)は、2001年1月7日より2002年6月いっぱいが収録されている。私が(2)だけを購入してきたのは理由があって、当時、有田氏らが中心となって、ある事柄に関わる運動が起こされた。その時期にあたっている2002年5月から6月あたりの記述を、再度、確認しておきたかったからである。(1)(2)とも奥付をみれば2005年7月 の刊とあるから、つい最近のことである。3~5年前にネット上で書かれた文章を、改めて世に問うという姿勢は自明のことだ。そのことに文句をつけようというわけでは、さらさらない 。

私が気になっていた事柄とは、2002年4月28日のNHKテレビで放映された「奇跡の詩人」と題されたドキュメンタリー番組のことである。この番組は一種の「やらせ」であり「いかさま」だと騒ぎ始めた一群の者たちがいて、放映された次の日にはネット上に番組を攻撃するサイトが開かれ、一週間後には、似たようなWebサイトが百を越えていた。それらネットにおける付和雷同者らの中核的存在の一つが有田氏のホームページ「今夜もほろ酔い」であり、そこに付属する「酔醒漫録」という日記のページであった。当初から私は、「酔醒漫録」の記述に見られた有田氏の思い上がった考えをネット上で批判してきた。当時は、有田氏もご自分のホームページに付属する「憂国至情」と題された掲示板を運営していて毎日一度は短い記事を書き込んでいた。

当時、私は有田氏主宰の掲示板に出向いていき、何度か「ネットで一方的に非難されている少年と、その家族を取材しないままで、よいのですか」と彼に直接、質問を投げかけてみたことがある。だが、一度たりともまともな答えはなかった。

番組と、番組に出演していた少年とその家族に対する糾弾と抗議、告発の趣をとってネットは喧騒を極めた。あきらかに運動化が目されていた。有田氏とは別に、もう一人の確信犯的存在がいた。今日にいたるも、オウム真理教の犯罪性を告発し続けていてマスコミではすっかり著名となった滝本太郎弁護士である。有田氏はオウム事件に題材を求めた本を何冊か書いている。

有田氏と滝本氏はオウム事件以来、持ちつ持たれつの盟友であり日常的に情報を受け渡して双方の仕事を補完しあってきた仲である。今や業者仲間以上の義兄弟という間柄である。これ以上の恵まれた異業種交流というものもないだろう。一人は毎日のようにTVに顔を出しているコメンテーター及びジャーナリストである。もう一人は有名弁護士である。滝本氏も有田氏に同様、ネットに「日常生活を愛するもの」と題された日記サイトがあり、それは今でも続いている。二人の日記を比べてみるまでもなく、「奇跡の詩人」放送の以前も以後も彼らがいかに深く関わりあって同調しあい仕事を進めてきたかが手に取るように分かるのである。二人が協力しあえば、向かうところ敵なしの、まさに鬼に金棒だった。

「奇跡の詩人」問題もオウムのときと同じように二人の協力体制が密に構築できれば、なにもかもうまくいくに違いないと思われていた。だが、今回の場合は、そもそも挙証する段階から筋道が根本的に違っていたのである。オウムの時に使った手順は使えなかった。いや、ある時点までは、それが功を奏したともいえるだろう。

放送から 二ヶ月後、有田氏が中心となり突貫工事で「異議あり 奇跡の詩人」(同時代社)という本が緊急出版された。これによってネットでの運動は最高潮に達したかみえた。だが結局、それ以上に運動を担保する論拠や攻撃点が何一つ浮かばず、運動は早くも本心を失い途切れてしまったのである。ネット上の喧騒も、あとは収束されるのを待つだけだった。さて、神保町で『酔醒漫録』(2)を買い求めた日、私はすぐさま近くの喫茶店に入り、さっそく本の頁を開いてみた。月別に章立てされており、当初ネットでは見られなかったサブタイトルが打ってある。

2002年5月の章には『「奇跡の詩人」への大いなる疑問』とあった。私は頁を開くまで、かすかながら有田氏の良心を期待していた。「奇跡の詩人」に関する当時の彼の日記は、すくなくてもネット上では完膚なきまでに論破されていた。それが証拠に、放送から二ヶ月後より今日にいたるまで有田氏はいっさい、この件については言及することは止めている。そうした彼の姿勢を見て、彼の気持ちを察するに、いかに自分が迷妄に踊らされ、よく分かりもしない馬鹿なことを書いてきてしまったかと、さぞかし忸怩たる思いにとらわれているに違いないと、想像していたのである。

3年たった今、当時の日記を公刊するなら、せめて「奇跡の詩人」に関わる記述を削除したうえで出版したに違いないという、私の淡い期待も、決してゆえのないことではなかった。だが、そんな甘い幻想は薄暗い喫茶店の隅に腰を下ろしてまもなく、もろくも崩れてしまった。

「奇跡の詩人」放送からは3年がたっている。3年といえば短いようでもあるが、自省を深め自説の至らないところを見極め、思考するには、十分な長さである。3年たっても自説を翻すことも自省することの一つも見出せないというなら、何のための3年だったか。3年に及ぶ、この間の思考停止を自らで合理化してきただけではないか。3年たって、彼の言動に何も変化が見られないなら、この先何年たっても進展は見られないに違いない。3年前の疑問のことではない。3年前に記述した、そのことではない。3年前に書きなぐった日記を、新たに本にするに当たっての現在の心境と主張が問題なのだ。3年前の文章に冠して「大いなる疑問」と題して、はばからない当人の現在の確信を聞いているのである。

奇跡の詩人とは02年4月末にNHK・TVで放送された番組名のことだが、そこで紹介されていた少年は当時12歳の日木流奈さんという男の子だった。今は15歳になられている。番組では体の訓練もさることながら、何よりも問題にされたのが、この少年が本を書いたということが取りざたされた。

「あれほどの重度の障害児が本をかけるはずがない」という声がネットに起こったのです。最初はほんの少数に人たちが騒ぎ出したに過ぎなかったのである。番組の様子はお母さんのひざにだかれた流奈さんが、お母さんの示す文字盤を一文字づつ指し示し、それをお母さんが口述しているのです。

その際、腕の筋力のほとんどない流奈さんの右手を母親が支えている。見ようによっては、少年が指しているのではなく、少年の意志など無視して母親が演技しているのだという声が上がったのです。放送されたのは02/04/28です。有田氏がこの件を日記で言及しはじめたのは5月13日で放送からは半月後のことである。

NHKが放映した「奇跡の詩人」の評価でさまざまな意見が出ている。私としては・・・滝本弁護士の見解に同感だ。

この半月の間、当の番組はもとより録画さえも見ていないのです。滝本氏から個人的に連絡があり、滝本氏から番組の詳細を聞かされた。さらに滝本氏の主観的評価を。これに「同感」すると述べているのです。有田氏がやっと実際に当番組の録画を見たのは5月23日のことです。次のようにある。

NHKの「奇跡の詩人」と「検証番組」をじっくりと見た。やはりおかしい。たとえば・・・・講談社から出ている「脳障害・天才少年の魂の記」「奇跡の詩人」とうたった単行本を読んだ。怒りがわいてきた。内容ではない。ご両親の希望、愛情がこのような形で詐欺的に表現されていることにだ。無惨だ。私は断言する。12歳の脳障害児がこのような大人言葉の本を書けるはずがない。

上の文章が書かれた10日前の5月14日、すなわち最初に言及が始まった、次の日の日記では、早くも上のように断言してしまっていた。先に「書けるはずがない」と言い置いて、半月もたってから実際に録画を見てから「やはりおかしい」ではトーンダウンもいいところである。認識論理の時系が逆さになっている。繰り返して強調しておくのだが有田氏は13、14日の段階では番組を見ていないのである。まずは最初に見ないで断言を下している。では、何に対してそこまでの確信を得たのか。滝本氏から聞かされた情報である。滝本弁護士からもたらされた滝本氏の言辞について確信を得たということに過ぎない。

二次的な情報である。滝本氏を信用するあまり、彼の言うことに間違いないと、断言したのである。だが見もしないで、断言されたほうはたまったものではない。こうした言辞を平然と繰り出せる彼の言葉の性質こを問題なのだ。もちろん彼だけではない。ジャーナリズムに救う馬鹿は多かれ少なかれ、こんな調子で言葉を売りモノにしている。一種の職業病とさえいえるだろう。彼の言葉を耳にした人々は、NHKや講談社、また日木家族を悪者扱いにして憂さ晴らしに興じる構造が出来上がる。

さて有田氏も滝本氏から聞かされただけでは、さすがに心もとなかったのだろう。14日に実際に書店に足を運んで、話題の少年の書いたとされる本「人が否定されないルール」を見てきた。購入したようには描かれていない。書店で一瞥した程度ですましている。まともには本を開いても見なかったに違いない。書店で得た感想から、さらに何度も上記の断言が繰り返される。

相変わらず、なんの裏づけもないままである。考えてみるまでも無い。特定者の言語、または言語力の存否について否定的に断言するとは、人権の根幹に及ぶ根底的な問題である。他人の人格の根底的な存否がかかっている。精神の存否のことだ。これを二次的な情報だけで、他には何一つ知ろうともせずどこのだれが否定できるのか。医師ですら言明することはできない問題だ。かように有田氏、および滝本氏の当時の言動は実に許しがたい愚劣にして偏見に満ちたものだった。

滝本弁護士は、番組放送の二日後からネットを使って騒ぎに騒ぐ「2ちゃんねらー」らと接触し早くも運動化を目指していた。弁護士なりに確信を持って最初から番組攻撃と本を書いたあのような少年はありえないと、あの番組は虚偽だとして反NHKの運動に立ち上がった。有田氏は5月も半ばになり、その滝本氏から当番組のことを聞かされ滝本氏に行動を同調させてきた。さすがの有田氏もこの時ばかりは、一匹の尻馬に成り下がっていたといわざるを得ないのである。確かに番組では重い障害を持つ流奈少年は両親によって厳しく訓練させられていた。なぜ、あのような子どもに対する厳しい教育が必要なのだろうという邪推と予断による感想が、集められ組織化されたのである。それらの中には流奈少年と同じような境遇にある子どもの親御さんもいた。

それらはいずれも少年に対する教育的干渉でありセンチメンタルな感情が爆発したにすぎないと私は思った。いわゆる「出るくいは打つ」方式の、才能著しい子どもが必ず、直面しなければならない世間の冷たい風である。出来過ぎる少年にたいする、ねたみや嫉妬の感情が集結されつつあったのである。それが運動である。この手に意見が集約されて、滝本弁護士と有田氏が中心となり放送から一月半後には「異議あり 奇跡の詩人」という糾弾本が出版されたのである。

番組に疑念を抱いたのは何百万人という視聴者の中のほんの少数だった。そして彼らの言う疑念とは、一言でいうなら流奈少年が本を書けるはずがないというものだ。つまり番組に写されていた文字盤は、ウソだという。言葉をだしているのは少年ではなく、母親だというものだった。これが疑念の主たるもので、あとはつけたしです。ここをNHKは、少年が文章を書いていることを確信を持って放送したし、その後、上記の者どもの、いちゃもんに対しても、わざわざ時間をとって説明していた。それ以上の何の説明ができるだろうか。

だいたい疑惑を持ったというなら、持った人間がある程度は立証してみるのが筋ではないか。私は有田氏に対して掲示板の上で直接質問してみた。あなたは、そこまで疑問だと言うならどうして少年に会ってこないのかと。

少年が文字盤を操ってみる様を見てくればよい。見てこなければ、NHKがなんと言おうと有田の疑惑は解消できないだろう。驚いたことに、私が有田氏の憂国掲示板で、その質問を有田氏に投げつけた時点では、有田氏は、番組も見ていなかったのである。書店で話題の流奈本を一瞥してきた程度だ。つまり確たる疑問などすら、彼らにはなかったのである。滝本氏らの騒ぎに付和雷同していただけなのである。

滝本氏のほうは、その年のちょうど1年前に自閉症の幼い息子さんを事故でなくされたという私情があった。少なくても有田氏に比べれば滝本氏のほうが一種の当事者感覚というものがあったと思われるが、それだけにまた妄想は攻撃的だった。カルトと戦っている弁護士がここまで狂信的かつカルトっぽい人物だったとは、悪い夢でも見せられているのか。冗談も休み休みにしてほしい。

彼らは一様に検証検証と叫びだした。だが考えてもみたまえ。仮に、誰かが少年の家に出向き文字盤を使う様子を逐一見てきたとしても、それで何が分かる。番組以上のことは分かるまい。誰でもそうであるように、少年の言葉は少年の脳内で発生されてくるものだからだ。彼らの浅はかな疑問は結局、どうすることもできないものなのである。番組ではあれほど、接近して実写していたのだから、それ以上の何が見えるだろう。もう少しゆっくりと、こちらにも分かるように文字盤を操作してくれとでも頼むのか。

有田氏は、5月14日の自分の日記に、流奈少年と同じような障害を持つ子どもを育てているという母親から手紙が届いたと、それを全文引用していたが、彼女の心証に現代お世間の馬鹿さ具合が、すべて露見されている。彼女の、言ってもしょうがないような感傷主義的な見苦しい文体上の不平不満は読まされているこちらのほうがよほど恥ずかしくなるほどだった。彼女は次のように有田氏に宛てて書いている。だが、彼女以上に、こうした偏見饅頭のアンコがつまった文章をなによりの自己証明として後生大事に援用してくる有田氏の愚鈍さというものも際立ってくるばかりなのである。

やっぱりこれはインチキです。インチキを検証するのに、比較サンプルが欲しいのなら喜んで娘を連れて行ってあげましょう。あのこっくりさんみたいなのやりますよ。普段あのように動かしてないので娘の腕や手が硬くやりにくいでしょうが、練習すれば、私たちにだって同じに見えると思います。ルナ君を助けてあげて下さい。あの母親は、追いつめられたあげく、おかしくなっています。あわれで、見ていられません。学校へ行かせてあげて、遊んだり歌ったり友達とふれあって欲しいのです。おいしいもの(うちの娘は甘いもの大好き)を食べさせてあげてほしいのです。そして母親にも、同じ立場の仲間といっぱいぐちを言って、お茶やカラオケに行って騒いで歌って笑わしてあげたいです。

子ども可愛さは分からぬわけではないが、ここまで愚直になれる母親もそうはいないだろう。有田氏はこうした意見に、心根が扇動されてしまったのである。思想が甘いからだ。自分の思想こそ「大いなる疑問」であることを知らねばならない。問題は、放送された番組にあるのでも、番組に登場していた少年にあるのでもない。有田氏自身の精神にあるのだ。当の母親は、「我が子の障害はまるで社会のせいで、われわれは、せいぜい愚痴をこぼしあっていればよいのです」と説教を始める始末である。

わが子を育てるに最初からの敗北主義である。感傷主義からくる彼女の被害妄想はすさまじい。親の意識がこれでは子どもが可哀想なのである。浮かばれるものも浮かばれまい。日木一家の場合は、こうした地平からどれほど人として尊厳に満ちた生活と考え方に達しているか。私は番組から、文字盤うんぬんのことよりも、そこに感動した。流奈さんの障害についても、なんの不足もない。堂々たるものだ。したがって、自著にも、決してめそめそしていないのである。各個たる一個人としての主張。これが古くされたた意識の閉じ込められているセンチメンタル運動派には我慢がならなかったのかもしれない。出る杭は打つというやつだ。頭のよい少年に対する、ねたみと嫉妬。それ以外のなにがある。

私も偶然に、その番組は直接見たのですが、感想や批評を述べる以上、対象に直接触れるということが強みである。滝本弁護士と有田芳生氏は最初の出発からして、間違っていた。お二人は、番組を直接、見ていなかったのです。番組を見るより先に、番組を否定したり中傷したりしている人たちの発言に動かされてしまった。その人たちはネットにいた。主として2ちゃんねるで発言し始めた人たちでした。

なんと番組の放送が始まる前から、ある意図のもとに大いなる予断をもって番組を中傷する掲示板が立ち上がり大騒ぎが始まっていた。NHKスペシャル「奇跡の詩人」は4月28日の21時から放送された。下の引用部分は、当日放送の直前に立ち上がったいくつかの中傷掲示板のひとつから抜粋したものである。同じような掲示板が同時にいくつか立ち上がっていた。投稿時間を見てほしい。この掲示板が立てられたのは放送40分前である。事情通らしく番組のおおよその内容は見る前から知っていた。最後の「始まりますね」と書き込んで扇動している馬鹿と掲示板を立てた人間は同一人物であることがリモホから分かる。

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【アヤシイ】日木流奈くん【疑惑】

1 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:22 ID:hhVQy2tB
今夜9時からNHK総合「NHKスペシャル」にて、“脳障害を抱えながら驚異的な才能を発揮して、本や詩集を次々と発表している”男の子のドキュメンタリーが放送されます。彼のHPを見ると、とても子供が書いた文章とは思えない文が載っています。文字盤を指して文を作るとのことですが、どうもお母さんが手を動かしているようにも見える…。こんなことってありえるのでしょうか?

3 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:29 ID:ojykFc/f
        新スレワッショイ!!
     \\   新スレワッショイ!! //
 +   + \\  新スレワッショイ!!/+
                           +
     +. ~oノハヽo~oノハヽo~oノハヽo~ ワショーイ
        川 ^▽^)||( ^▽^ ) .( ^▽^) ∩
    +  (( ⊂   つ⊂    つ⊂   ノ    +
         ( (⌒)  ( (⌒) .( (⌒)
         (_)三  (_)三  (_)三   +

5 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:31 ID:Ur4JFlRp
「流奈君の知識の源泉はその驚異的な読書量にある。哲学から宇宙論まで大学レベルの本をこれまで2千冊も読破してきた。」 これなら語彙が豊富で、文章を書く力があっても不思議じゃないと思うが、子供だし、なおかつ脳に障害があるから、怪しいっておもっちゃうの??

8 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:40 ID:VK4b4H+n
基本的に壊れた人や20歳前の子供の書く文章だと思うけどお母さんもこういう文章書きそうな壊れた感じの人なの?

9 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:42 ID:Ur4JFlRp
ああ、なるほど~ 今回がはじめてじゃないのね・・・・テレビ 子供って意味不明なことはいうけど、確かに歳相応でない言葉はいわないだろうからなぁ・・・・・・ テレビってこわいねぇ・・・・・

10 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:59 ID:VK4b4H+n
私自身幼稚園くらいからこんな感じの子供だったから、子供らしくないとは思わなし、子供特有の世界観だと思うけど、真偽はテレビで明らかになるだろうから早速見よっと。

11 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 20:59 ID:sttuRsKQ
あ・・もうすぐ始まりますね。

12 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/04/28 21:00 ID:hhVQy2tB
さあ始まりました。



滝本氏がネット上の、この騒ぎに気づいたのは次の日かさらに次の日でした。番組は途中から見たと後日弁解していますが、これもどうだかわかりません。批判的立場からでもかまいませんが、少なくても当日、その番組を、きちんとは見ていなかったのです。滝本氏が、まともにビデオを見たのは数日後のことです。有田氏にいたっては、約一ヶ月後でした。番組を見る前から、出演していた家族の行っているプログラムは霊感商法に決まっている。やれどこかの宗教家にだまされている等々とうとうの、まるでオウム教が再来してきたかのごとき二番煎じの芝居に明け暮れる。

笑えるのは有田日記「酔醒漫録」に書き記されている当時の文言が、上の2ちゃんねる投稿者の言辞をそっくりそのままだったのである。番組を見もしないうちから発していた輩たちの中傷言辞を、ほとんど、そのまま番組を見ないで疑念を抱いたとホラを吹く、もう一人の馬鹿にそのまま伝播されていくのである。これでは、物書きとして自他共に「大いなる疑問」が氷解するはずもないのです。繰り返す。「大いなる疑問」とは有田氏の脳内の出来事なのである。自分の判断に確信がもてず、「大いなる疑問」が何年たっても、沸いてきてしまうことに対する感傷なのである。有田氏も、自身の脳内不信を人のせいにしてはいけない。

言語とは、どこから発せられているのか。「私」である。言葉の最初は、決して公的なものではない。言葉こそ、そもそも思想信条の自由と表現の自由の思想的原義を構築しているのだ。すなわちその自由の範囲の中に「私」が存在しているのである。それが言葉だ。浅薄な脳内に浮かび上がった自分たちの疑念を自分たちで検証しようとは、思いもつかなかったのである。検証すれば自分たちの古い思想が暴かれるだけだった。それで検証の責任をNHKに押し付け、大手出版社に押し付け、国に対して讒言を計ったのである。早い話、とりあえず衆愚に常態化されている不平不満を駆り集め徒党してみた。それだけだ。それが彼らの運動だった。福沢諭吉は書いている。不平不満を根とする羨望は衆愚の母であると。

 

 

 

 

 

▼以下、 2002.05.10

 

今日はジャーナリスト有田芳生氏のホームページ『今夜もほろ酔い』をじっくりと読んでみた。最近有田氏が毎日のようにweb日記に書き、関心を深めていることに、本を出したとある子どもさんの言語能力を「検証」しなければ気持ちがおさまらないということがある。以下、ここに、その全文を引用しておく。

 

講談社から出ている「脳障害・天才少年の魂の記」「奇跡の詩人」とうたった単行本を読んだ。怒りがわいてきた。内容にではない。ご両親の希望、願望、愛情がこのような形で詐欺的に表現されることにだ。無惨だ。私は断言する。12歳の脳障害児がこのような大人言葉の本を書けるはずがない。いや一般的な発達をした12歳もこんな子どもらしくない文章は絶対に書けない。いや書かない。これは議論以前の問題だ。文章と文体というものは、それぞれの人生体験に対応しながら、段階を追って深まっていくものだからだ。社会経験が乏しい発達段階において、こんな文章を12歳の子どもが書けるわけがない。

しかし、そうした批判に対してはちゃんと逃げがある。「子どもらしくない文章だ」と言われたときのこと。「それは私の問題ではないのです。その人が私を勝手に作り上げ、勝手に想像して、自分が気に入らなかったりする部分をそう感じてしまうのですから、しかたがないことなのです」。大人がこんな内容の本を書いても、まともな出版社なら出版しないだろう。しかし脳障害をもった子どもが書いたというのなら出版しようというものが出てくるだろう。ある関係者は語っていた。「あれは『五体不満足』のようなヒットを狙っていたんですよ」と。講談社の編集担当者(古屋信吾、青木和子両氏)とNHKの担当者は、この単行本の執筆過程を詳細に明らかに説明すべきだ。

元原稿は誰が書いたのか。それが文字盤によるというのなら、その原稿と「執筆過程」は照合するのか。まずは単行本のもとになった原稿を公表すべきだろう。ほんとうに脳障害児が書いたことをどう説明できるのだろうか。私は93年に統一教会系病院を絶賛したNHKのひどさを昨日の日記で書いた。しかし、今回の問題はそれを上回ることだろう。

ある脳障害児のお母さんからメールをいただいた。了解を得たのでここに紹介する。東京都在住のお母さんの訴えだ。

今週の「奇跡の詩人」疑惑の記事を見て、あわててルナ君のホームページや関連の掲示板を読み、ショックを受けました。私は10歳の重度心身障害児(重症児)の母です。

生まれてすぐから痙攣発作をおこし硬膜下水腫(脳が萎縮)、早期乳児てんかん性脳症と診断され入院して、薬の調節や手術をしました。1歳過ぎて退院後、脳神経専門の小児科や訓練に通院する一方で、「なんとかして治してやりたい」とあらゆる民間療法(ドーマン法も含めて)をためした時期がありました。今思えば、このころが一番精神的に追いつめられていたようです。

都の療育センターに通い、同じ立場の母親と毎日話せるようになってだんだんと、障害があってもそのままでもいいのだと思えるようになりました。小学校に通うようになって初めて、自分の時間ができ、気分転換ができるようになると、ずいぶん気が楽になり、このごろは、障害児だからウンヌンーなんてまるで考えることもなく、車椅子でじろじろ見られても、気にしないようになりました。普通の明るい家族やってるつもりでした。しかし「奇跡の詩人」の件で、久しぶりに悔しくて号泣して眠れませんでした。

ルナ君が我が子の症状とよく似ている事、ドーマン法をやるぞと夫をフラデルフィアまで行かせたのに結局すぐに挫折したこと、ニューエイジ系の本にはまっていた時期が私にあったことなど、他人事とはとても思えません。「奇跡の詩人」がいるわけ無いのは、私たちには自明のことです。奇跡を望んで望んでのたうちまわって、かなえられなかったことです。私だけではなく、母親仲間もみんなそうです。その奇跡が真実ならば、私は自分のやってきたことに激しく後悔、自己嫌悪せねばなりません。チャンスの側まで行って手ぶらで帰ってきたなまけものと。

でも、どう考えてもあの「奇跡」は、ありえない事なのです。脳性麻痺や筋ジスの人は体のコントロールができないだけで、知性は保っています。彼らは、ボードなどで意志を表す事ができます。しかし、乳児期に難治性てんかんで脳萎縮だった子は、身体障害はなくとも、知的障害は必ずあります。重症児にもなりやすい。重症児は、心と身体の両方の発達がものすごくゆっくりで大きくなります。ある方は30歳をすぎて寝返り始めたそうです。うちも4歳で初めてにっこり笑顔をみせてくれました。

重症児の親が、ドーマン法をやっても、新興宗教に入っても、本を出版しても、個人的にやるのであればかまわないと思います。ただ、まわりの人に迷惑をかけたり、よく似た症状の仲間をひっぱりこもうとするのは許せないのです。だから、天下の「NHKスペシャル」が、それらの宣伝をしてるとは、信じられませんでした。NHKの制作者?に電話しました。

*ドーマン法は賛否両論で医学的根拠がなくトラブルも多い
*母親の思想背景を調べる
*重症児の家族への影響を考慮する
*責任者が真剣に説明検証する

そう、せつにお願いしました。宗教思想の疑惑をしつこく聞いたのですが、「本人(ルナ君!)と家族が否定している、信じている。」でした。NHKにメールも2回出しました。とにかく今日のスタジオパークでの釈明、謝罪を待っていたのに、責任者は出てきましたが、なんと「インチキではない証明」を始めたのです。ルナ君の様子、動きを見て、絶望感さえ覚えました。この子は、どうみても娘の仲間、重症児です。上の娘(高1)も、「どう見たって、自分で書いてないよ。文字盤が指に近づいてるし、母親、手掴んでるじゃん」と言いました。ルナ君の手が、赤く腫れ上がっているように見えました。手の大きさは似ているのに、うちの娘の手は白くて細い。ルナ君が、かわいそうでかわいそうで、胸がつまりました。

やっぱり、これはインチキです。インチキを検証するのに、比較サンプルが欲しいのなら喜んで娘を連れていってあげましょう。あのこっくりさんみたいのやりますよ。普段あのように動かしてないので娘の腕や手が硬くやりにくいでしょうが、練習すれば、私達だって同じに見えると思います。

ルナ君を助けてあげて下さい。あの母親は、追いつめられたあげくおかしくなっています。あわれで、見ていられません。学校へ行かせてあげて、遊んだり歌ったり友達とふれあって欲しいです。おいしいもの(うちの娘は甘いもの大好き)食べさせてあげてほしいです。そして母親にも、同じ立場の仲間といっぱいぐち言って、お茶やカラオケに行って騒いで歌って笑わしてあげたいです。この2日、怒り過ぎて眠れず食欲も無かったのですが今日の釈明で、体中から力が抜けてしまいました。

アメリカではこうした疑惑がすでに起きていたようだ。海外からの反響もあるので、改めて紹介したい。

 

実に滑稽な話である。このようなおおよそ不可能なことに血道を上げはじめた一群のアンポンタンがいた。そこに食いついてきたのが、有田芳生氏だった。彼は現在、毎日、民放のワイドショーに出演して芸能時事問題などについて長ったらしい蘊蓄(うんちく)をたれて視聴者を感心させているらしい。わたしは、芸能問題には興味がないのでほとんど観たこともない。TVで顔をさらしている分、ファンも多いようだ。ホームページも活況である。

著作もあるようだが私は読んだことがない。私が彼に関心を持ったのは同世代者ということもあるのだが、彼のHPの主題の一つとしてたえず蒸し返されているスターリニズムとの距離にあったといえば詮索好きと言われても甘受する。

それ以外には、知らない男に興味をもつ意図も出てこない。すでに20年ほど前になるだろうか。有田氏もやっとのことスターリニズムから足を洗いTV出演はともかく、健全な市民派に鞍(くら)替えできためでたさを陰ながら私も応援していたのである。以後、彼に対してはひとかたならぬ親近感を抱いていた。

ところが『今夜もほろ酔い』HPに付属する彼のWeb日記)を読んで愕然(がくぜん)とした。とんでもない事を言い始めていたのである。心身ともに及ぶ重度の障害を余儀なくされていっさい学校には通わずに暮らしている12歳の少年が父母の全面的支援を得て数年前より旺盛な執筆活動をしているという。

4月28日には、この少年が実際に文字を綴(つづ)る様子が詳しくTVで放送されて大きな反響を呼び起こした。ところが有田氏は、HP日記において、この少年から言葉が出てくるはずがないとまで断定し、ましてや文章を綴ることなどウソ八百とまで言う。非常に攻撃的であり、こした事実いっさいを全面否定にかかってくるのである。したがって彼によれば、これまで刊行された著作もすべて実際には親が書いたものであり子どもの名で出版することは詐欺まがいである等々、まるで自分だけはなにもかも知っていると、見てきたように自信たっぷりに言う。

検証もされず、あり得ないことを本にしたり放送したりすることは「藁にもすがりたい」思いで教育上のプログラムを探している障害者とその関係者を無用に混乱させ傷つけることだとさえ言い切っている。まるで、重度の障害者は本を書いてはいけないと言わんばかり。ただしHP日記もどうやら毎日手が入るようで、前言を翻(ひるがえ)すことたびたびに及ぶ。少しは自省することもあったのか、当初からは攻撃の矛先をそれとなく替えてきている。少年とその家族を直接非難する非道に気がついたのか、このところは出版社と放送局の責任を追及するにどめるようなそぶりを示す。

だが矛先が一家族から大手メディアに替わったからといって自分の根っこにある差別意識が正当化できるわけではない。障害を持つ少年の「読み書き能力」を根底から疑ってかかるという、彼の内心に凝り固まった「発達史観」とでもいうべき下劣な思想だけは露(あら)わに表出されたままなのである。発達、進歩と言えば聞こえはよいし、それだけならまだしも概念があいまいなぶん許される。問題は「民主主義」とか「平等」を奉じるあまり子どもや個人に対して一律進歩、平準発達を押しつけがちな教育的功罪の大きさを忘れてはならないということだ。

こうした構造に理解が及ばない場合に、いわゆる「出る杭は打たれる」というねたみと嫉妬をベースとしたムラ社会が出現してくる。多数派の力学が政治圧力となって、障害があろうとなかろうと個性にフタをする役目をはたしてしまうのだ。なによりスターリニズムこそ個人に無闇強引な一律進歩、平準発達を押しつけてきた思想の代表格ではなかったのか。この件についてはその徒党から足を抜くために苦労してきた有田氏ほど骨身にしみた識者というものも思いつかないほどである。ならばなぜ、他ならぬ「有田芳生」が弱者攻撃の先陣を切ってしまうのか。今度ばかりは私も相当に驚いた。なにが彼をここまで「ごうつくばり」にさせているのか。

今のところ私にも、これがさっぱり不明なままだ。若い頃、制度における政治変革を夢見たのは私も有田氏に同じだった。セクトまで!だからその後、スターリニズムにはこりごりしたという有田氏の言動すべてに、同じような経緯を踏んできた私も大いに共感してきたのだ。彼の存在をひとつの励みとしてきたほどである。「有田氏よお前もか」という次第だが、こうなるとマスメディアのどこをどう信じればよいのかという話にもなる。その実体が彼のごときとなるならば、健全にして善良な市民派を標榜するその他大勢の識者などというものも実にいかがわしい存在に見えてくる。もっぱらTVが言論活動の舞台となると誰しも眼が曇ってきてしまうとは、昔からよく言われてきたことである。5月16日の絵日記で指摘した評論家:有田芳生氏の、その後の有様と成り行きを彼のHPから読みとれる範囲で、少しここに書いておく。昨日付けの有田日記には次のように記されていた。

「奇跡の詩人」検証本の打ちあわせ。出版社は同時代社。発売は6月末という異例のスピードだ。この同時代社から私は2冊の本を出してもらっている。はじめはオウム事件の年の『私の取材ノート』、次が『闇の男 上祐史浩』だ。こんどの緊急出版の編著者は滝本太郎さんと石井謙一郎さん。滝本さんはオウム真理教と最初から闘い、その途次でサリン攻撃を受けた弁護士。石井さんはこの10年間、私とともに統一教会問題やオウム問題などを取材してきた「週刊文春」記者。NHK報道の問題点を取材して記事にしたのも石井さんだ。この布陣で決定。専門家などの検証をはじめ、脳障害家族の証言など、最大限の内容を盛り込めるはずだ。私も寄稿することになるだろう。タイトルは『異議あり! 「奇跡の詩人」』。いずれ国会で問題となる可能性さえ出てきた。。



一昨日だった。当初の大騒ぎに比べるとトーンダウンもはなはだしく、検証も反証も、まともにはするつもりはないようなので、有田氏の掲示板に顔を出して「当の少年の言語能力をそれほど探りたいなら、じかに訪問するより他に方法はないのではないか」と有田氏に直接問いただしてみた。どうして当の家族を直接取材しないで、その代わりにNHKの下っ端職員から話を聞いたなどなどと、犬みたいに家のまわりをかぎまわっているだけなのかと。

すると掲示板に有田氏がひさびさのご登場。次のような応酬があった。彼が言うに、当の家族を直接取材するのは「イロハのイ」であり、もとより承知している。君に言われるまでもない、などとホラを吹いてきたのである。

ところがである。反証本の企画ができあがってみると「イロハのイ」はどこにもないのだ。それにしても「いずれ国会で問題となる可能性さえ出てきた」とは恐れ入った。一少年の「読み書き能力」を国会で「検証」してもらわねば納得できないのだという。何を考えているのか彼は。自分で検証(取材)すればすむことを、それが面倒だと言って、今度はお上にお願い。それも国会で取り上げられるはずだとは、話が穏やかではない。かようにして「出る杭は打たれて」当然だとするニッポンムラ発特有の「下司の勘ぐり」「ミーハー」状態の田吾作現象は、とどまるところを知らない。

 

 

 

 

 

 

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