大江戸八百八景

時雨かな銀杏ひらふ団塊の背においたるやふる里の香を


▼有馬街道

2017年04月20日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2017.04.20 川崎市 

本日は他にやることもなく東急田園都市線の鷺沼駅より南武線武蔵小杉駅をめざして有馬街道を南下した。

 

 

 はなみずき

 

 

 

 さきほど例の赤っ恥掲示板に書き込み候や以下の記事をば。

 

●投稿者: かもめ
 
>上智大の渡部昇一名誉教授に訃報。

わたしは長い間朝日新聞と赤旗読者以上でも以下でもなく、それだけでインテリだと思い込み鼻高々だったから完全に保守派の論客渡部昇一さんを誤解していたのです。半年ほど前のこと書店で渡部昇一さんの近著を立ち読みしていたのです。新書版だったと思うが書名はわすれた。おそらく当のご本が彼の遺作となったであろう。老人問題のことが書かれてあった。なぜ、近年、日本人はこうも長生きするようになったのかという命題に、一言で答えられていた。たくさんの人々が、ああでもない、こうでもないと中途半端な俗論を小出ししてくるばかりで、老人問題には食傷気味のさっこん。みなさんはどう思われますか。なぜだと思われます。それは冷暖房完備のせいだと渡部教授は書いていた。ヒトという動物だけは、現代日本にいたっては、めったに寒風にさらされることも何時間も酷暑にさらされることもなくなった。年中常温の温室のなかに入っているようなものなのだから、そりゃなんぼでも生きられるだけ生きられる・・・ようになったのである。これは屋内で飼われている犬猫のペットも同じでしょう。昔に比べれば彼らの寿命も倍は増えていると聞く。

追記・・・・もちろん冷暖房機器ばかりではない。電気釜、電気洗濯機、電気冷蔵庫等々の家電の普及がヒトサマの寿命をどれほど長々と生き延びさせているかは自明のことであろう。

 

 

 

 

 

2017.04.19 〃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ▼すし屋の休日 | トップ | ▼アゲハの羽化 »

コメントを投稿

■日常的なあまりに日常的な弁証法」カテゴリの最新記事