大江戸八百八景

あけぼのはまだ紫にほととぎす・・・芭蕉

▼回虫の話

2017年07月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

就学前の記憶というものは後先がはっきりしない。考えてみれば当然のことなのであって学校に通うようになれば、思い出と年次がついて回って離れないからだろう。一緒に遊ぶ友達もクラスメイトの場合が多くなれば、自分が何歳の何年生のときかに察しがつく。けれども学校以外での出来事の場合は、やはり自分の年齢がはっきり分からない。そのときも、就学し始めた1年生のときのことか、まだ学校には通っていない5歳のときかが、はっきりしないのである。当時、私の家族は東京都下の都営住宅に住んでいた。その団地には同じつくりの住宅が何軒ほどあっただろう。マッチ箱のような家が狭い敷地にぎっしりと並んでいた。それぞれに小さな庭があった。それに水道も各戸に来ていた。戸外に適当な広場があり、そこに共同で使えるポンプ式の井戸と洗い場があって、常にそこには子どもたちが集まっていた。

その日も井戸のまわりで四五人の子どもと遊んでいたようだ。わたしは、のどが妙にいがらっぽくなり、さらに少し痛み出してきたようなので、なにか詰まっているのかと、吐いてみるつもりでコンクリートの洗い場に顔を近づけてゲボゲボとやっていたのである。のどの奥にたしかに異物があるようだった。のどに指をつっこんで、それを引っ張り出したのである。なにか長く異様なものが出てきたのである。わたしは声をあげた。これほど驚いたことはなかった。それはミミズのような蛇状の虫だった。それが洗い場のぬれたコンクリートの上で踊っていた。年上の女の子が、わたしの家に飛んで行って母を連れてきてくれた。ミミズがのどから出てきた後は、気分はすっきりした感じに持ち直っていたが、母が来たそのときはまだ、ミミズは洗い場の上で動いていて母も気味悪そうに覗き込んでいた。

虫の処分はどうしたのかは、忘れたが、子どもたちも一向に、そこから去ろうとはしなかった。私に同情をよせてくれたのか、それとも不気味な子どもだと思われたのか、事後のことは何も覚えていないのである。わたしはその都営住宅時代に親しい友達というものが、できなかったような気がする。誰一人思い出せないのだ。母は私を家につれて帰った。家に帰ってから、あの虫は回虫といって人のお腹の中にすんでいる、よくいる寄生虫だから安心しろと、私に説明してくれた。その後医者にいったような覚えがある。薬を飲まされた。だが、わたしにはこの事件はすくなからず内心に大きな衝撃を与えた。自分は人間ではないのではないか。人間とは別種の生き物ではないのか。さらに自分の中には、まだまだあの一匹だけではなく、もっと大きな化け物がいるのではないか。その化け物に自分は支配され、かく乱されているのかもしれないなどと考えて怖かったのである。昭和28年または29年のことだった。

<2007.01.21記>

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