赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼自死についてのわたすの感情的考察

2006年12月05日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

自殺時の心理や、その形態は十人十色です。どこから見ても自死にいたった当人を批難できないような場合もある。たとえば赤穂浪士による「忠臣蔵」物語は、集団自殺を覚悟した上での敵討ち行為でしたが、切腹命じられ自決したのも、ここにいたってすべての願いがかなったとさえ言うべきもので浪士らの心理は、それこそ華やいでいたのではないでしょうか。人々も、これを賞賛したのです。

第三者としてのわれわれは伝え聞く情報をもとに当事者の気持ちや現場にいたる当人の心理を読みとく以外に方法はありません。多かれ少なかれ邪推から始まり、自分勝手に物語を作って納得しています。昔は武士の場合では、死ぬことが分かっていて死に至るまでわずかの時間があるなら、誰もが辞世の句を詠むのがマナーでした。味方、敵方、処刑した体制派をいとわず、当人の死を悼み、これを大切に後世にまで残しておくのですよね。われわれはこの辞世の句をもって、その当人の死が、いかに立派であったか、死に望んで人間らしさを通したかが、了解できるのです。

今日では、遺書でしょうか。遺書にすべてがあると申しても過言ではありません。遺書が見苦しいものなら、その人の死も見苦しいものとなります。数日前に私は、円谷幸吉氏の遺書を当掲示板にコピーしてみましたが、いかなる諸事実が彼を死に向かわしめたかということは、死そのものとはほとんど関係ありませんよ。彼が彼自身の生を終わらしめたのです。事実はそれしかありません。遺書に書かれている以上の邪推は無用です。彼は、残された人々に、それを主張している。悪いのも正しいのも、すべて「私」だと。私の死を、ゆめゆめ他人のせいになど、しないで欲しいと。 ところが先般から騒がしいいじめ自殺とか、予告自殺の遺書らしきものとか、もうあまりに見苦しいテキストばかりが流されるので、見ていられないほどです。それほど死にたいなら、黙ってさっさと死ねばよいのです。

直接には関係のない、われわれには、それしか言いようもないでしょう。私が問題にしているのは、あくまでも、TVや新聞を通して私まで届いてくる彼らの言葉の性質です。それだけは確かに見たり読んだりしているからです。比して、彼らが死んだのか、いまでも生きているのか。それすら私には分かりませんよ。生きていながら、死んでやる、死んでやるとは、くだらない脅迫文以外のなにものでもないではありませんか。そんな文書を書いて、世間を騒がせて喜んでいるような小僧は刑務所にでもぶちこんで再教育させたほうがよいのです。世間と「言葉」を甘く見ているのです。

あなたはなにゆえに、新聞TVで見ただけの、遺書だとされるくだらない文書をみただけで、騒いでいるのですか。立派だとか、見苦しいだとかの下馬評もどきではないでしょう。それこそ生きるか死ぬかで許す許されないの、大騒ぎだ。なにを読んだのかね。いじめ遺書などというものから、なんの真実性が、あなたにまで伝わってきたのですか。あなたは尻馬になっているだけはないのかね。

それは、あなたの見た「いじめ遺書」というものが、あなたには異様に立派に見えたという証左ではないか。それとも見苦しいといえるのか。わたしは当初から、見苦しいと申してきた。あったらものに、扇動されるべきではないと言うです。ほうっておく知恵を持ちなさい。何も知りもしないのだから。誰が書いたものかさえ明らかにされていない。憤死ということもある。抗議死ということもある。焼身自殺という方法もある。いずれも、怒り心頭に発して、わが死を持って清算しようとするその熱情は、誰かに伝わらなければしょうがないだろう。遺書が無くても、多くの場合は伝わってきたし、伝えようとしてきたではないか。自分をいじめ殺した奴への報復に、死をもってするのは大きすぎるとは、言うまい。そういう場合もあるだろう。

ならばどうして憎き相手を特定し、彼らの犯行を並べ立て、憤死していかないのだ。それが生きているということだろう。少々、触わられたぐらいで、死にたくなったと言われても、その手の御仁に、なにができるのかね。どこの誰ともしれやしない。

助けにいくこともできないだろう。怪文書があるだけだ。われわれは、踊らされているのだけはないのかね。抗議死にもなっていないだろう。死んだか生きているかさえわからないのだから。 あなたも自分の子ども時代を、覚えておられると思うが、子どもというものは非常に敏感ですよ。空間感覚、時間感覚をはじめ、全身で重々と感じています。もちろん命の存在感をはじめ肉体感覚のすべてについて過敏にまで感じている。年をとるともに抽象的な観念ばかりが肥大して、命の実態なども、ほとんど忘れて暮らしているようなところがある。子どもはなんだかよく分からないながらに、それだけに「死」というものを非常に怖がるものです。死は自分の体のすぐ隣にいつでも存在している。わたしの息子も7,8歳のころでしたが、異常に死を怖がって寝付けなかったようなことがありました。

死ぬのが怖いと言いながら、幾晩も泣いていましたよ。なにかちょっとした契機さえあれば、自死にいたるのは、以外に簡単なのかもしれません。子どもは滅多に自殺しない生き物ではないと思います。命について、大人は感覚的に鈍磨されていますよ。 たとえば「死刑囚」ということがある。死刑の執行は、当日の朝、宣告されると耳にしました。問題は、死刑の結審が下って、すぐ刑の執行があるわけではないということです。少なくても数年は待たされる。いつ、執行されるのは、事実上、法務大臣の気分次第になっている。よって死刑囚たちは、毎日が天国と地獄の行ったりきたりということになる。今日は免れたが、明日こそ、刑の宣告がされるのではないとか、思えば眠るに眠れそうだ。最後の最後まで、じたばたとあばれる死刑囚も多いと聞く。その気持ちはわかる。だが死に望んで立派だったと言われるのは、やはりないもかも納得して死していく死刑囚ではないのだろうか。

ソクラテスがそうであったように。わたしも「悪法もまた法なり」と思っていますよ。最後まで、認められないものがあるから、死していくことに抵抗して、暴れているというのは、いかにも見苦しいと思うばかりにござ候。人っ子一人の死など、大勢に影響は無いというのも事実でしょう。ソクラテスはそれを悟ったのでしょう。 死刑囚の話は、私もいっとき興味があって、いろいろな本などを読みましたが、もっとも印象が深かったのは、正田昭さんにまつわる話です。戦後すぐメッカ事件を起こし二人ほど殺害したのだったか。裁判では否認もせずに、死刑が決まった。彼は慶応大学出の秀才だった。金を得るために、金貸しを呼び出し、その場でぶち殺してしまったのです。刑が執行されるまでの10年以上の間があったのではなかったか。当時、拘置所に精神科医として配属されていたのが作家の加賀乙彦氏でした。正田氏を主人公にした「宣告」という長編小説があります。

正田氏も「黙想ノート」(みすず書房)と題されたエッセイ集を残している。彼の死に際は見事であったと加賀氏は伝えています。瞑想ノートなどを読むと、正田氏は、その人格は死刑囚というよりは、ほとんど哲学者か宗教家にまで高まっています。こういう場合もあるのです。 文科省に自殺予告手紙を送りつけるのは、なんの問題もない。手紙一本で子どもたちの憂さが晴れるというなら。わたしは文部省の職員でも教師でもないですから。一向にかまいません。ただし、量が多くなると風化するのも早い。似たような怪文書が毎日届くとなれば、誰も詠むこともなく、ゴミ箱がこれまでの倍はある大きなものに変えられるだけですよ。

自殺予告手紙ばかりのことではないが、文章というものは洒落ているかどうかではないと思いますよ。誠心誠意からわが心証を明かすという気構えのある文章は、みな優れた文章になるはずです。文書がかけないなら俳句でも短歌でも一行の告発文でもよいでしょう。洒落も長短も関係ありませんよ。どんどん書いてみればよいのです。ただし、わたしは、自死をほのめかして、他人を仰天させようとするような、くだらない意図のもとに書かれた文章は読みたくないし、読まないですます立場を自慢しているのです。ましてや匿名だという。それでは、当人が、なにが言いたいのは、人には一向に伝わらないでしょう。心配御無用。事あるたびに、死んでやる、死んでやるなどと、さわいでいる馬鹿に限って長生きをするものですよ。

ま、自殺予告手紙などという怪文書を書いて喜んでいるような舎弟は反省させることが必要でしょう。実名で文部省なり大臣なりに投書できれば、こりゃたいしたものですよ。先般の文相あてに届いたとされる死亡予告手紙も実名であったとなれば文部省としても実際的な対応が取れるのであり、またプライバシーという問題からも報道に載せる必要は、まったくなくなります。文相宛てに手紙をよこした当の子どもさんに、文部省としても省をあげて十分な対応をしていたと思います。となれば、マスコミはおろか、国民は誰一人、そのような手紙があった事実も、直後の文部省の対応も、いっさい知ることはなかったでしょう。

「見苦しく死ね」などという「教育」がありますか。立派に死ぬということは、立派に生きるということでしょう。精一杯、立派に生きて、そして死ねばよいでしょうというのですよ。死を飾ることはできない。三島の馬鹿のように。最終的に、彼は自分に文才がないことを悟ったのですよ。それを隠すために、死を演出してなのですよ。

死をもって、自分の生を、芝居していたのですよ。それは彼の「檄文」と題された遺書を読めばよくわかります。自分の死を、人のせいにしているじゃないか。国や世間が悪いから、わたすは死ぬのだすという。これが見苦しいというのです。円谷幸吉氏の遺書に比べてごらんなさい。円谷氏は誰のせいにもしてない。肉親の一人一人の名を上げ、賞賛し、さらに元気に幸せに生きていってほしいと訴えている。自分もまた精一杯生きたことを、訴えている。自分で自分を完結させている。これが立派だというのです。子どもにもこういう精神を与えたいとは、思いませんか。死に至っても、ないものねだりや、ピーピーピーピーと不平不満の泣き言たれで、よだれたらして死んでいくのか。それを見苦しいという。そんな人間は、そもそも生きている価値すらない。不平不満その他、まだまだ遣り残したことがあるというなら、それらを勝ち取るまで、この先まだまだ、生きてみるよりしょうがねぇじゃないか。

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