赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ヴォーカル大好き<カチューシャの唄>

2024年02月29日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

以下、むかし書いた記事で悪いが・・・

 

あたしは徒刑囚あいての淫売女
ところがあんたは紳士で公爵様ときたもんだ
なにもあたし風情にかかわりあって身を汚すことはなぃんじゃぁないのかい
さっさと仲間の公爵令嬢とかなんとかのところに行くがいいんだ
あたしの値段は赤札一枚(十ルーブル紙幣)でことたりるんだからね

  ・・・トルストイの「復活」より

 

↓ 倍賞千恵子が歌う、「カチューシャの唄」

Bing 動画

 

<2017.11.18 記>

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▼言葉とネットの相関図

2023年09月11日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 むかし、当ブログに、以下のような雑文をさらしたが基本の考えは今もおなじだ。当時はまだ昨今流行の動画でしゃべくりまくる個人サイトは皆無であったはずだ。ところがいまやネットでは、動く絵(動画)による個人的主張が全盛となっている。これは別に、悪いことだとは思わない。実際、わたしも新聞を読んだり本を読んだりする時間よりは、よほどおおくの時間を動画見物に費やしている。
 それでもなお、わたしの場合は、実際、古いヒト科で、ネットにせよ何にせよ、自分が発する主張があるなら、それは文字による表現(発信)しか、できないだけなのである。これ以上のことは技術的にも到底無理だし、活字信仰と言われようが、旧いと言われようが、当ブログを根城となして、このままの調子で最後まで行こうと思っている。

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 <以下 2009.11.22 記>

 先日、久しぶりに当ブログ「新平家物語」(現在は赤いハンカチ)にお顔を見せてくれた小林さんのブログの記事の中に、次のような、お話が書かれてあった。

-----------------
○○さんという人が興味深い話をしているので紹介してみます・・・○○さんの指摘によれば、ネットの時代とは「空前の<自己テキストの時代>」が始まった時代だという。リアルなコミュニケーション、ネットワークでは表現できないテキストを、自己テキストとして表現し得ることの可能性を述べているのだろう。おいらがかねてより、ネットの達人(かもめさん達)に対してかんじていた、考えていたキーワードを表しているとも見えた。そこには「日常からの解離」もまた存在し、ネットコミュニケーションを面白くさせている。ネットもまだまだ捨てたものではないのである。
-----------------

 結論からすれば、小林さんの考えの方向性と、文中○○さんのネットに対する考え方に、わたしもまったく同感したところである。わたしは文学通ではないが文学好みであるとは思っている。「活字好き」という言葉があったが、それとは、少々違う方向で、やはり文学好きであり、ようするに新しい言葉を読みたい書きたいという欲求は隠せない日々を送っている。だからネットを金のかからない手ごろなひとつの道具と心得て、安直に使いまわしているだけだ。書籍は見ないとは言えないが、図書というものは、金がかかるし、読了するには骨を折る。ネットは安直で手ごろなのである。いまのところ、わたしのネット感は、それ以上でも以下でもない。だが文学という概念にかかわるのかどうかは知らないが、文字や言葉に対する欲求は、さらに、新しい言葉による新しい事柄を、自分の手で、なさしめてみたいという思いばかりが募りに募る。
 やはり内心からの欲求として、新しい言葉を読みたい書いてみたいのは山々で、だが、そうは言っても、それが簡単に入手できないもどかしさを感じている毎日でもあって、それがまた面白いと言えるのではないかと、できないことを言い訳じみて、逆説をもてあそぶ日々なのではあるが、こればっかしは結局、人々の歴史、文化の総体がかかっているようなので、非才なわたしにどうにも、どうにも、しようのないことなのかもしれないと思って、またまた言い訳じみてくるばかりなのである。それにしても、なぜ、言葉が面白いのであろう。それこそ問題だと思っている。
 小林さんもそうなのだろうが、われらには言葉(活字)なしには、一日たりとて過ごせない。不遇にも、そうなってしまったのである。そうして、この先もえんえんと、くだらないのかどうなのかは知らないが、あいかわらず安直に、歴史が作ってきてくれた言葉を弄していくのであろうと予想ぐらいは立てられる。ここで、ひとつだけ、ネットと言葉に対する、わたしの覚悟といったものを披瀝しておきたい。別に小難しいことではないのだが、これらは、まさにネットで学んだという確信があるから述べるのである。
 一口で言えば、言葉は私語につきるということである。私語以外の言葉などは、捨てておこうという、よいか悪いかは知らないが、わたしの個人的な覚悟ができたということである。これが当面、文字を読み書くという行為を意味づける、わたしの方向性となるはずだ。法律も理論もそうだし、新聞、雑誌、図書の多くがそうなのだ。文学史や哲学史などという、それらしく、まとめられた文言の多くが、わたしの欲する「言葉」とはほど遠いものかということが、つい最近分かってきたのである。いささか傲慢に聞こえるだろうが、ネットを通じて思想化された方向性として、わたしは、いまや人々個々が発っしてきた、または発しつつある私語以外の美辞麗句は眼中におかないようにしている。

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▼さようなら シドニー・ポワチエ

2022年01月08日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

さきほどニュースで訃報を知った。
彼(1927年生)の主演した映画はどれもこれも印象深く覚えている。
カッコよかった。本当に彼はカッコよかった。



1955年 暴力教室

1958年 手錠のままの脱獄

1963年 野のユリ

1967年 夜の大捜査線

  〃   招かざる客

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▼ヴォーカル大好き<コロラドの月>

2021年12月16日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

ただいま、たまたまネットで知った歌

アメリカ歌曲「コロラドの月」

明日にでも、この歌ぞ、とある近場のカラオケ屋に行きし歌って歌って歌詞を空で覚えたい。メニューにあればだが・・・

 
 
詞:ビリー・モール
曲:ロバート・A・キング
日本語詞:近藤玲二
 
コロラドの月の夜
ひとり岸辺に
想い出を運びくる
はるかなる流れよ
若き日今は去りて
君はいずこに
コロラドの月の夜
はかなく夢は去る
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▼「本居宣長」より

2021年12月12日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

以下は昔書いた記事なれど、ほじくり返してみたのには実に私的な、それも今日的な意味と訳が自分なりに再生してきたからこそであるに違いないのだが、そのあたりの内情については、また後程。

 

小林秀雄の「本居宣長」で、次のような文章を見た。とりあえず、ここに引いておく。

何も音声の文(アヤ)だけには限らない、眼の表情であれ、身振りであれ、態度であれ、内の心の動きを外に現はそうとする身体の事(ワザ)の、多かれ少なかれ意識的に制御された文(アヤ)は、すべて広い意味での言語と呼べる事を思ふなら、初めに文(アヤ)があったのであり、初めに意味があったのではないといふ言い方も、無理なくできるわけであり、少なくても、まず意味を合点してからしゃべりだすといふ事は、非常に考えにくくなるだろう。例えば、「お早う」とか「今日は」といふ言葉を、先づその意味を知ってから、使ふやうになったなどと言ふ日本人は、一人もいないだろう。意味の知らぬ事をしゃべる子供、とよく大人は言ふが、口真似が言葉のやりとりに習熟する、自分もやってきた、たった一つの道であったことは、忘れがちだ。そればかりではない、大人になったからと言って、日に新たな、生きた言語の活動のうちに身を置いている以上、この、言語を学ぶ基本的態度を変更するわけにはいかないのである。

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▼ヴォーカル大好き<トロイカ>

2020年02月18日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

●今井政幸
YouTubeにアップすれば、アクセス数が伸びて、広告がつくから、儲かるよ。  これからは、YouTubeで金儲けする時代だ。


●かもめ
そこで、ものは相談だがにゃ。今井殿。わたすの歌姿を録画録音する気はないかね。 よもや不世出とおぼしきロシアのバリトン歌手ホロスフトフスキー亡き後、その志こそ意気に感じいりて後われながらロシア民謡はおろか世界の軍歌をはじめとして、さらに「荒城の月」から端を発して「ああ上野駅」に至る日本歌曲を柱となす全曲集にとりくんでいる最中なれば、こうした、集団就職あがりであってなおかつ、その後の精進が実りに実ってハゲ頭は旧来より、もってその通りなのだが、そこはそれ新しいバリトン歌手の誕生を祝う、わたすの三年間に及ぶ苦労に苦労を重ねた声楽的鍛錬の仔細は最寄のカラオケ屋の亭主がなにもかも知っている。そこで、今井殿に提案するものなりけり。まずは、わたすが歌うロシア民謡の「トロイカ」を撮ってみたらいかがでござろう。

雪の白樺並木夕日が映える 走れトロイカほがらかに鈴の音たかく

響け若人のうた高鳴れバイヤン 走れトロイカかろやかに粉雪けって

黒い瞳がまつよあの森こせば 走れトロイカ今宵は楽しいうたげ

 

●今井政幸
わたすは、頭の悪いばかもめの為にも、誰もが、会社勤めなどしなくてもカネを儲ける算段を解りやすく説明しておる。
ばかもめは、わたすが買ったように、2699円の中国製のマイクを買って、カメラに取り付けて、カメラを三脚で固定して、いつものカラオケでトロイカを歌い、歌うばかもめの姿を自撮りすれば良いのだ。
 細かいことをいうと、動画をアップするには、自撮りの歌う姿を編集する作業やら、YouTubeにアップするやり方とか、逐一作業手順がひつようだ。
なので、ばかもめが、その企画を丸投げでわたすにくれるなら、わたすのYouTube赤煉瓦で全て請け負って、わたすのYouTubeにアップするぞ。
みな、普通に、カラオケの歌はYouTubeにアップしておる。
ばかもめのネット環境がWi-Fiなら、今からでも遅くはないかから、YouTubeを見ることを勧める。
これからは会社勤めなどせず、自宅でカネを稼ぐ時代だ。
 何日か前に、引きこもりで勤めにもいかない鬱の子を抱えた親がなす術もなく困り果てていたのをテレビでやっていたが、自宅に閉じこもることは罪ではない。
イジメから身を守る防御本能だ。
 親を責める気は無いが、閉じこもってもカネを稼ぐ算段を教えてあげれば、子は、稼ぎまくる。
 日本は、頭脳を使って稼ぐ算段を本気で考えるべきだ。

 


●かもめ
「ばかもめが、その企画を丸投げでわたすにくれるなら、わたすのYouTube赤煉瓦で全て請け負って、わたすのYouTubeにアップするぞ。」
それでよしとする。善は急げだ。7月の5,6,7日なら体が空いている。保土ヶ谷駅近くのカラオケ屋でも予約しておきたまえ。予約が決まったらお知らせねがう。その際、何度も言ってきたところだが、できるだけ広い部屋を所望。できれば二三十人所用のパーティールームがよい。日時がきまれば拙者としても喉の調子を整えておかねばなるまいに。そこで、もひとつ、ものは相談だが当日のプログラムおよび当人のレパートリーについては問答無用となされるがよし。時間内に何をどう歌うかは、著作権上、舞台の主役たる歌い手の専権事項にござる由。

そこで、まずはロシア民謡「トロイカ」ははずせまい。次はシャンソンといこうではないか。「人の気も知らないで」「暗い日曜日」その他いろいろ。その次は、なんといっても軍歌だ。「麦と兵隊」「戦友」「同期の桜」などなど名曲の数々。それから戦前戦後の童謡唱歌にも、いい歌がたくさんある。「赤い靴」「雨降りおつきさん」「十五夜おつきさん」「月の沙漠」などなど。涙なしには歌うに歌えない。ああ~考えただけで、わくわくする。

 

それからやや日がたって・・・・


●かもめ
先日今井殿による拙者の歌声を元となすカラオケ収録を終えて、さて夕飯にしようと入った中華屋にて、おしゃべりに花が咲き、その際、拙者が先日見たネット上での好みの楽曲を今井殿に紹介してみた。器楽曲のことで歌詞がない。それで、ら~ら~らとうなってみたのであったのだった。向こうのほうで、ラーメンをすすっていた青年が、うるさいぞと言わんばかりに、拙者のほうに白い目をむけた。 それはともかく、かの動画を思い浮かべつつ・・・その様を今井殿に伝えたら。やはり今井殿は、映画通であったことがわかった。その映画の監督はビスコンティだろうと、答えてきたのであったのだった。そうだイタリアン映画の傑作「山猫」であって、バート・ランカンテーと踊っている娘役の女優の名が出てこなかったのであったのだった。本日になって、思い出した次第にて、ここにご報告する。彼女の名はクラウディア・カルディナーデ。名画『ブーベの恋人』の主演女優なり。おお~懐かしや懐かしや。

 

●今井政幸
中華を食べたいという。普通の値段もはらない一般食堂で良いというから、いついっても閑散としててお喋りが出来そうた西口地下街の中華に入って、麻婆豆腐、青椒肉絲、エビチリを食べてたら、ビールだけなのに、興に乗ったのか、かもめ氏がバリトンでショスタコーヴィッチのセカンドワルツを歌い出した。私たちが狭い店に入店した時は客が一人しか居なかったのに、話に花が咲いた時には、満席となってた。いつも人が入らないとこなのに。映画「山猫」に使われてる曲がショスタコーヴィッチのと知らないわたすにもどかしくなってかもめ氏がいきなり歌い出したから焦った焦った。かもめ氏は、女優の名が出て来なかったことに気づかってのフォローだが、その会話の中でのわたすの一番の興味は、公爵と踊っているクラウディア・カルディナーレをアラン・ドロンがギラギラした目で見てると、表現してくれた事だった。映画はカメラワークで心理表現する芸術だから、映画鑑賞のツボを押さえたかもめ氏の映画の見方が面白かったよ。

浅田真央のセカンドワルツ   https://youtu.be/jBb149Re1Ic

 

●かもめ
そうですか。浅田真央さんがこの曲を使っていたのですか。されば真央さんの絶頂期に相違なく、その動画、すばらしい演技ではござらんか。ただし、ただしですぞ。今井殿。わたすが、かの中華屋にてハミングした楽曲は、たしかに映画『山猫』で流されていたそれだと確信にいたった心意気とは申せ、それはそれ数日前にネットの動画でみた印象なのであり、実際のところ映画『山猫』にショスタコビッチの「セカンドワルツ」が、使われているかどうかの真偽は定かにはあらず。動画投稿者が『山猫』中の舞踏会のシーンに別途録音した「セカンドワルツ」を合体させて投稿しているのかもしれやせぬ。画と音は別物でござるからね。

 

●今井政幸
なるほど。じゃ、映画「山猫」のもとの?ワルツは正しくは誰の曲なのだと疑問した時、現代ではネットを検索すれば、すぐに答えが返ってくる。ヴェルディの遺作をニーノ・ロータが編曲したものだそうだ。

 

●かもめ
今井殿と横浜駅構内で別れたのが午後六時前だった。東横線の改札口方向を今井殿に示されて歩き出したのだが、あまりのヒトの多さに気圧されたのか、ともかく外の空気がすいたかった。そうだ、東横線沿いに伸びているはずの綱島街道を歩いてみようと心したのであったのだった。外はまだ明るかった。横浜駅東口に出ると目の前は国道一号線なり。一キロほど歩いて六角橋方向の道標を見て左折した。しばらくいくと、東横線では、横浜から一つ目の駅である反町駅に到着。さらに歩いて、東白楽駅を過ぎ白楽駅に到着。しばし駅前商店街を彷徨。古本屋があり、ここで『裏切られたベトナム革命』中公文庫(友田錫 著)なる古い文庫本を購入。となりのコンビニで「白角水割り」の缶をもとめ、これを呑みながらさらに旧綱島街道を北上し、妙蓮寺駅を過ぎ、結局、菊名駅までやってきた。少々疲れ渋谷行きの電車に乗る。だが、なんだかまた歩きたくなって元住吉駅で下車し、南武線の武蔵新城駅、または武蔵中原駅をめざした。たどり着きさえすれば、どちらの駅でもよいだろうとたかを踏んでいたからだ。で、中原駅の手前、中原街道に出たところ、ちょうど向こうから東急田園都市線鷺沼駅行きのバスがやってきたので、これに乗って帰宅した次第。時すでに午後十時をすぎていた。

 

●今井政幸
え?あれから歩いたのか。すごいな。わたすは、今日はガストデーで、またガストでミックスグリルを食べてきた。これからずっと家だから、1日のどこかでせめて散歩は組み込んでおこっと。昨日から始めたPHPやWordpressが、そもそものダウンロードがうまくいかない。いや、カネをケチろうと、最初の勉強は、自分のノートパソコンをサーバーに仕立てて自分ちの中で勉強しようと、ローカルサーバー、8888の設定のはずが、やはりダウンロードしたさくらエディターで作った簡単なホームページがブラウザで表示されない。何でや?で致命的なことに、わたすのけちってかった80,000円のノートパソコンが遅い!イライラが募る。なので、標準のみんな使ってるマックを買おうかと。200,000円が軽く吹っ飛ぶけど、業務を考えたらしゃーないか。時間的には、受験生ペースで勉強しないとタイムテーブルに追いつかない。あー、これじゃみんなやらないね。しめしめ、誰もが遣り切れないのを仕事にして、儲けよ。今日から、夜中まで毎晩勉強だ。

 

 

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▼ヴォーカル大好き<島倉千代子>

2020年01月24日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

今日もカラオケ三昧に明け暮れる。今日は、お千代さんこと島倉千代子さんの持ち歌ばかりを歌ってきた。

この世の花

東京だよ お母っさん

鳳仙花

涙の谷間に太陽を

島倉千代子さんがなくなられて早三年が経つ。わたしが物心ついたときにはすでにラジオから連日、お千代さんの歌声が流れていた。それから幾星霜の六十年。現在にいたるまでお千代さんの歌声が心の奥底にしみついてしまっているようで忘れがたい。いつかテレビで見たのだが、作詞家の星野哲郎さんが、お千代さんの歌声というものは、日本語の、その言葉のひとつひとつが、きわめて明瞭正確で、それに清涼にして哀愁に満たされている・・・と述べられていたが同感だ。まさに、ここにこそ、島倉千代子独自の天性があったような気がする。

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▼ヴォーカル大好き<冬の星座>

2019年01月15日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

「冬の星座」は、先日来カラオケ屋に参じては好んで歌っている曲なのだが調べてみると1947年の中学生用音楽の教科書に「文部省唱歌」として載せられたのが最初だったとのこと。なにか讃美歌でも歌っているような荘厳なおもむきさえあって子どものころから大好きな歌だった。いちいちの文語体が新鮮だった。さゆる空、地上にふりしく、奇(くす)しき光、ものみないこえる、しじま、オリオン、スバル、そしてなにより二番の歌詞にある「無窮をゆびさす」の無窮という言葉が忘れられなかった。

 

詞:堀内敬三
曲:ウィリアム・ヘイス(米 1871)

こがらしとだえて さゆる空より
地上にふりしく 奇(くす)しき光よ
ものみないこえる しじまの中に
きらめき揺れつつ 星座はめぐる

ほのぼの明りて 流るる銀河
オリオン舞いたち スバルはさざめく
無窮をゆびさす 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<赤い靴>

2018年12月21日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法


「美しい日本の歌」 のばら社

 

今日もカラオケ屋にはせ参じ「赤い靴」を歌ってきた。

作詞:野口雨情 作曲:本居長世 大正11年(1922年)

歌詞もよいし曲もよい。

繰り返し何度も歌ってきた。

 

 

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▼ヴォーカル大好き<池田理代子さん>

2018年11月14日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

池田さんは昭和23年生まれで、わたしに同年であるからして、昔っから、かねがね気になっていた。上の本を読んだのは十年ほどまえのこと。もう一度読んでみたいと押入れの中を探ってみたのだが、いっこうに出てこなかった。上の写真はネットからのコピーである。そこで、うろ覚えなのだが文中、今でも覚えている至言をふたつだけ掲げておこう。

 

●わたし(池田)は、幼い頃より、歩いているときも、勉強しているときも、それこそ、なにをやっているときも歌を歌っていた。

●老いて目が悪くなっても耳が遠くなっても、喉だけは、ただ一つ歌を歌うための喉だけは生理的に老いることがないのは不思議だ。

 

以上、わたしの自己満足をさらにうべなってくれていると喜ぶ内心。

池田さんは、当時すでに「ベルサイユのばら」という長編漫画で一世を風靡していた。ようするに押しも押されもせぬ漫画家であったのだったが47歳にして仕事を捨てて、幼い頃より夢見ていた音楽のそれも声楽の道に入ろうと志した。たしか東京音楽大学声楽科に入学を果たしたのだった。 その間の自伝的物語が上の本である。

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<夢路より>

2018年04月14日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

2018.04.14 横浜市 この春最後のすみれなり

 

万歩計を見やれば本日はここまでで二万歩をかせぎて大満足の結果にて年金暮らしの年寄りが大汗かきかき散歩の後なにを思いこうじたのか突如何かがひらめき近場のカラオケ屋に入りてフォスター作曲の「夢路より」または「夢見る人」と邦訳された名曲をばひとしきりうなってきたしだいなり。ちなみに原題は「ビューティフル ドリーマー」であり個人的には「夢見る人」を採用したいところである。

 

 

 

 

さても心身ともどもに少々は疲れかつ満足し自室に帰りてみればフォスター調のラッパ小僧がむかえてくれたのであったのだった。

 

 

 

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<海ゆかば>

2018年04月10日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

2018.04.10 横浜市 はなみづき咲けり

 

 

 

 

 

 

 

開花したばかりのはなみづきの写真を撮りて後いきつけのカフェにて次なる新聞投稿を読みて興奮しさっそく近場のカラオケ屋に入りて当の歌をば復唱せん。


産経新聞

 

 

 

海ゆかば
 
詞:大伴家持(万葉集より)
曲:信時潔

 

 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ・・・・・と続く

 

昭和12年、大東亜戦争を前にして信時潔がNHKの要請をうけて作曲したとの解説をみた。

 

 

 

 

 

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▼さようなら ドミトリー・ホロストフスキー

2018年02月06日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

昨夜から涙がとまらない。そのロシアのバリトン歌手をわたしが知ったのはたった八年前の動画サイトだった。なんという声楽家が出現してきたものかと驚いた。爾来、夢中になって彼の美声に酔ってきた。



昨夜のこと彼の動画をいろいろと開いていたら葬儀の場面がでてきて、これはなにかの冗談だろうと最初は本気にもできなかったのだが、その他の情報をみやってみれば、どうやら本当のことであるらしい。二年前に脳腫瘍が発覚し以後闘病していたことなども知らなかった。2017年11月死去。享年55。動画で知って動画で終わった次第なり今日のところはとりあえず悲しくて涙をぬぐふいとまもない。

 

 

 

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▼がんばれラミレス がんばれ松坂

2018年01月24日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 


2018.01.23 産経新聞

 

 

 


2018.01.24 産経新聞

 

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▼ヴォーカル大好き<美しい十代>

2017年10月20日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法

 

最近、カラオケ屋さんに行くたびに好んで歌っているのが「美しい十代」である。この唄がラジオから流れてきたのは昭和38年。歌い手は昭和22年生の三田明さん。彼が十六歳の時だった。一つ年下のわたしは高校一年生だった。前年には舟木一夫さんが歌う「高校三年生」やら橋幸夫さんが歌う「潮来笠」が爆発的にヒットし世を席巻していた。そうなのだ当時オレたちは右も左もわからずのまぎれもない十代だった。

 

 

 

白い野ばらを ささげる僕に

君の瞳が あかるく笑う

いつも心に ふたりの胸に

夢を飾ろう きれいな夢を

美しい十代 ああ十代

抱いて生きよう 幸せの花

 

昭和38年 唄:三田明  作詞:宮川哲夫  作曲:吉田正

 

 

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