誠運の日常

里の仙人(雑踏の中で悟りを開く人)になりたい誠運の口説きや仕事ぶりと自然の営みなどを見て下さい。

しみじみ思うこと

2015年02月09日 14時11分56秒 | 日記
近頃、高齢者の仲間入りしたせいか残りの命のバッテリーについて考えるようになった。このまま潰えても良いのか?何か世の中に恩返しをするのが当然のことでは無いのか。もしこの世界が偶然の積み重ねで形成されてきたとするとその確率は、猿がでたらめにタイプライターを打ってシェイクスピアの作品が出来上がる確率より、遙かに低いと言われています。また、ヒトノゲノムは僅か四個の塩基で構成され、この塩基のペアが30億個連なっている。塩基の配列が偶然の物とするなら私たち一人一人は4の30億乗分の1と言う奇跡的な確率で生まれたことになる。この様な事は、今の科学の常識ではあり得ない。細胞一個、偶然に出来る確率は宝くじの一等を百万回連続でして当選したのと同じようなものである。と何かの本でよみました。とすると偶然は考えられない。何か偉大な物がその考えにおいて人間や自然を作られたのでは無いかともしかしたら、それを神様と言うのかも知れない。それならその意図にそう生き方をすれば喜んで貰えるかも知れないと言う思いにたどり着きました。取りあえず身近な所から人様の喜んで貰うような事をすれば良い。その内に神様が人間をお作りになった意図が見えてくるでしょう。まあ、ボツボツ焦らずに借り物の身体を大切に頑張るとするか。

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