夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

プライバシーは本当に保護されるべきなのか? (BN)

2011年08月14日 11時35分22秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年8月14日掲載


Coffee Break ~本人に無断でデジカメやスマートフォンで人を撮影するのは許される?~  by hokky

今は、デジタルカメラやスマートフォンのカメラ機能を使い撮影した写真を写真共有サイトやSNSで共有するのが当たり前になってきています。特に、良いショットが撮れたときには広く共有したくなりますよね。でも、少し待ってください。撮影された側は、共有して欲しくないと思っているかもしれません。

via coffeebreak.bloggers-network283.com




上のブログで hokky さんは個人が撮った写真の共有とプライバシーの問題について書かれています。

肖像権とも絡み微妙な問題です。

テレビのニュースでも、「今日は猛暑日で暑かった」みたいな話題の時に、街を歩く人ごみの映像を流したりしますが、そんな不特定多数の映像として流す時に、顔を映したり映さなかったりする。さすがにその手のニュースで顔にモザイクかけてるのは見たことないけど、背後から背中だけを撮ったり足元だけ映したりして顔を映さないようにしていることがある。その一方で、水遊びする子供の映像なんかは顔出ししてたり。

顔を出す時は、被写体に許可をとっているんだろうか?とってるのかもしれない。わからないけど。



で、hokkyさんのブログを読んで、画像認識技術により、顔写真から Facebook 等の情報を検索してその個人を特定するという記事を思い出した。Facebook等にアップされた写真のタグに名前が含まれている場合に有効なようだ。記事を見る限りではまだ精度は低そうだが。

秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログ ~スマートフォンのカメラに映った人の名前・趣味や社会保障番号を特定する技術~

カーネギーメロン大学のAlessandro Acquistiさんのチームが、市販の顔認識ソフトウェア、クラウドコンピューティングサービス、ソーシャルネットワークサービスの三つを組み合わせることで、オフラインの人物の顔と、オンライン側の情報を突き合わせるという実験を行なったそうです。
「自分の名前のタグがオンラインの写真につけられるようになったことで、これまで匿名性が守られると思われていた状況でも、他人があなたの名前とあなたの情報を結びつけることができるようになりつつあります」というコメント。近い将来は、あなたの友人や、洗練された機械を使った政府でなくても、スマートフォンとネット接続があれば誰でもが、道行く人が誰かを認識できるようになるでしょう、と。




これってかなりヤバイ技術だよね?全然知らない人に、私の名前や趣味などが簡単に知られてしまう。

今だって、ネットで炎上なんかが起こると、いろいろな情報を検索しまくって匿名で書いていた人の本名がさらされるなんてことはある。サークルの写真から通ってる学校名がばれるとか。人力検索でも徹底的にやるとかなりなことができるようだ。普通の人は検索結果の1,000番目、2,000番目まで追っかけたりはしないから・・・

でも。テクノロジーがそれを簡単にする。



以前、モバイル端末のGPS機能によって駅でもバーの中でも、自分の周囲にいる人のプロフィールがわかるようなSNSサービスのアイデアについて投稿した。

どこまでネイキッドになりたい?

それは電脳コイルのように、リアルな世界にネットの情報を持ち込む。リアルな位置情報とバーチャルな情報とを連動させる。

AR(Augmented Reality)技術なんてもんは、情報表示のテクノロジーなんで、表示のしかたの問題だ。もっと問題なのはコンテンツ。自分に関する情報。普通に街中を歩いている時に、知らない人に自分の個人情報は知られたくないよな普通。

このブログとかはなるべく多くの人に読んで欲しいとは思うけれど、だからといって、自分の本名とかブログのURLとか、或いは Facebook のプロフィールとかをプリントしたTシャツ着て街中歩きたいとは思わないな。。。

まあでも逆にいうと、その程度のことでしかないとも言える。ネット上では既に公開している情報だということだ。ネット上で公開している情報と、リアルな世界に生きている本人とをリンクすると問題になるというのも、考えてみるとヘンな話だ。

実際、私はネットはオープンなところがいい。オープンなところが革新的だと何度も書いている。大きな流れとして、時代はそっちの方向に向かっていると。

微妙な問題なのだ。私はこのブログで本名を公開しているが、プロフィール写真はサングラスをかけている。半分だけさらしているような感じだ。いっそ素顔を出してもいいのかもしれないが、それには少しためらいがある。会社名も出していない。それらの情報をオープンにすることにどんなデメリットがあるのかは私自身の中では明確になっていないが、そこになんらかのリスクがあると感じているため非公開にしている。

まあ、このブログを数年間続けてきて、本名を公開することによるデメリットが生じたことはない。本名で書くことがためらわれる話題がたまにあることや、本名で書いているがゆえに言い回しがソフトになることはある。でもその程度だ。なんてことはない。影響力が小さいブログにおいては本名だろうが匿名だろうがあまり関係ないのだ。

素顔をだしても大して影響はないのだろうと思う。

それはつまりプライバシーの暴露に対する怖れは、論理的根拠のない感覚だけの問題なのかもしれない。或いは慣れの問題というか。

でもそこまで単純化していいものだろうか。視点を変えてみよう。有名人のプライバシーだ。有名人は公共の場においてはプライバシーはない。いつでもどこでも誰かに見られている。下手すれば写真を撮られ、知らぬ間に誰かのブログにアップされる可能性もある。そういう有名になることによるデメリットについては有名税という言葉がある。何をやってもそれがオープンになる可能性がある。プライバシーが著しく制限される。

リアルとバーチャルな情報がリンクされることにより、誰もが有名人と同じ境遇にさらされる。

普通の人、一般人の中にも有名になりたいと願っている人はいる。自分の影響力を高めたいと思っている人も。そしてまたそうではない人もいる。

なんだか、SF小説が書けそうなテーマではある。





それでも結局、ブログと同じことなんだよな~、と思うのは、そのようにプライバシーがないような社会になったとしても、それはそれで情報量が増えることになるので、一般人のプライバシーを気にする人なんてそんなにいないだろうということだ。大量の情報の中に埋没する。プライバシーをさらけ出して街中を歩いたとしても、私のプライバシーに注目する人はほんの少数に過ぎないだろう。というか、多分ゼロだろうな。誰もが同じようにさらしているのであれば。大した問題にはならない。

でも、歩いてるだけで注目を集めちゃうような美少女の場合は困るかもしれないな。

ということは、結局、注目を集めるということに対して、メリットとデメリットの両方がある、ということか。

だったら今とあんまり変わらないんじゃないか。



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