梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

地震と桜の花

2011年04月09日 11時53分18秒 | Weblog
私の自宅の近くの桜は、ほぼ満開を迎えました。市川市にある真間川の両岸には、びっしりと見頃の桜の花が咲き乱れていて、この時期は地元ではちょっとした名所です。

わが社の浦安営業所の敷地にも桜の木があります。この浦安に事務所・倉庫を新設した際に、将来の花見を楽しみに、桜の苗木を植えました。自宅の近くの桜とは種類が違うのでしょうか、ここの桜は未だ満開とまではいきません。

今回その10本あった桜の木を、半分伐採してしまいまいした。あの地震で上・下水道管が破裂したのですが、ちょうどその配管が、桜の植え込みの脇にあったのです。配管は緊急に工事をして直したのですが、その時桜を引き抜き別の所で養生しまた植え替えるとの選択肢もあったのですが、手間が掛かかり断念しました。

その花壇があったところは、今は砕石を敷いているだけで、あの地震の傷跡の生々しさが残っています。先々そこをどうするか、まだ決っていません。

地震が起こるのも桜の花が咲くのも、考えてみれば天地自然の為せる業です。地震は岩板のひずみを修復する為に起こるのであり、地球も蘇生しているのです。植物も種から芽が出てまた実や種を作る為に花を咲かせるのであり、植物も再生しているのです。

甚大な被害を及ぼす地震は悪で、綺麗な花を咲かせ心を和ませる桜は善と、どうしても私達は単純に考えがちです。でもどちらも自然の摂理です。自然から見たら、人間のその捉え方自体が勝手です。自然現象は、言ってみれば人間的感覚の言うところの、義理も人情も無い、非情極まりないものです。

私達人間はそんな自然をどう受け止めるかです。天災による災害に遭った時、どう感じどう考えるかです。例えば今回被災地で全てを失った人であっても、復興に向けて立ち上がる人も沢山いると思います。そこに何かを見つけ、何かを気付いていく人もいると思います。

私達は大自然の中で生きていることを再認識し、人間のその心構えを変えていくことで、大自然とも向き合えることを学ばなくてはならないと思います。
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