梶哲日記

鉄鋼流通業社長の日々

台湾への旅行

2017年11月18日 10時21分40秒 | Weblog
海外旅行といっても行き先や宿泊数等によって、だいぶ様子が異なります。日本から遠ければ遠いほど、飛行機に乗っている時間が長くなり、時差もあり、荷物の多さで行く前から負担が掛かり、現地に行っても体調管理は付きまといます。

9月に行きましたアウシュヴィッツ視察旅行は、ポーランド国内で四泊し、前後の機内を含め六日の旅でした。ポーランドと日本の時差は8時間あり、飛行機で日本からポーランドまで途中ドイツで乗り換えて、14時間ほど掛かりました。反面、近い国はやはり気分的にも楽です。

地区鉄鋼流通団体で、わが社が所属している江戸川鉄栄会が、今年創立50周年を迎えました。それを記念し海外視察旅行が企画され、私は夫婦で参加し、11月10日から12日まで二泊三日で台湾を訪れました。視察のメインは、高炉メーカーのCSC(中国鋼鉄)を見学することでした。

参加者は会員と、江戸川鉄栄会の上部団体である東鉄連の理事と業界紙の記者も同行されて、総勢14名。CSCは台湾第二の都市である、高雄に在ります。初日高雄に入りCSCを見学し、二日目は同市を観光して、その日の内に台北に移動して夜は記念の宴席、三日目は台北の観光を楽しみました。両都市の移動は、この国の南北を走る台湾新幹線です。

今回のスケジュールは、時間的に余裕がありました。二日目と三日目の午前中は自由行動。両日とも昼12時から集まって、皆で昼食を取ってから、午後はバスに乗って市内観光。若手の参加者が、前の夜の二次会や三次会で盛り上がることを想定してか、翌日のスタートはゆっくりとの配慮があったのでしょう。

高雄での二日目の午前中は、前日CSCの方から特別のお土産を買えるお店を教えてもらいましたので、私達と同年輩の数名が一緒にそこに行きました。台北での三日目の午前中は、夫婦二人だけでホテルから近い繁華街を散策し、昼食は二人だけでさせてもらいました。

団体旅行となると画一的で、折角海外に来たのだからと、観光の行き先は盛りだくさんとなってしまいます。その結果は疲れるだけで、満足感や充実感を味わうことが出来ません。今回は、団体行動と自由行動との時間配分が程良かったと思いました。

往復の新幹線では、若手の皆さんは元気で、少々のアルコールも入り終始会話が弾んでいました。これも海外旅行ならでは、見知らぬ地を車窓から眺めながら貴重な交流となり、互いの親睦となったことは確かです。

余談ですが、私は海外旅行のお土産は、日本で事前に注文して自宅まで届けてくれるインターネット販売を利用しています。現地で気に入った物があれば、少量は買い足します。道中荷物は、なるべく少ない方が旅は快適です。

ガイドさん以外の現地の人と接触することも、旅の楽しみです。自分で買い物をしたり、自分で店を探して食事をしたりすれば、現地の人と触れ合うことになります。いずれにしましても台湾は、時差1時間、飛行機の時間は片道3時間ちょっと、日本にとってとても身近です。

 業界紙に掲載された記事の一部

 台北で家内と入ったお店で
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四部六の人生

2017年11月11日 01時19分17秒 | Weblog
「四部六の人生を送る」ことが大事であると言われた、前回のブログに登場しました塾長の話となります。四部六の人生が大事であると、どのように思い当たったかの経緯を、以前話してくれたことがあります。

塾長は、今は会長に退いていますが運送会社を創業され、現在その会社は100名を超える社員を擁しています。岩手県から集団就職で上京し、大手の運送会社に入り、住み込みで運送の仕事を覚えました。そこから独立し、一人で運送の仕事を始めます。徐々に会社は大きくなり、ある時期は運転手である社員を確保することが、自分の仕事の大半となったそうです。

それこそ四六時中社員募集のことが頭にあり、居酒屋で隣り合わせた見ず知らずの人にも、自分の会社に入らないかと声を掛けたと言います。しかし折角入った社員も、厳しく教育をし出すと、社長の気持を分かってくれる社員は少なく、多くが辞めて行ったとのことです。

そんなある日、地区のトラック組合の懇親旅行で会津若松を訪れ、鶴ヶ城に行った時のこと。お堀の池には多くの鯉がいて、その池の水を見ると濁っている。しかし鯉は、実に悠々と泳いでいた。「清濁併せ呑む」、言葉として理解していたけれど、その鯉を見て正に腑に落ちた瞬間だと話されました。

それから、旅行途中で会社に舞い戻り、社員に向き合ってみて、自分の今までの言動を問い質してみたそうです。大海は清流も濁流も隔てなく受け入れている。トップに立つ人間は、このように心を広く持たなくては、付いて来られない。社員は、清らかなだけでは、社員は息を詰まらせ辞めていく。


それから自分の生き方を変えたそうです。例えば社内の宴会席などで、社長自ら社員の目線まで降りて、柔らかい話をしてみたり、冗談を言ってみたりする。社長も、時と場合によって馬鹿を演ずる。すると、それまで硬かった雰囲気が一気に変わったと、そして社員が定着してきたと言います。

私自身を振り返ってみて、これと重なる部分があります。私の父親の先代が亡くなって、遮二無二会社を引っ張って行かなくては、自分は常に正しくあるべきだとの気持が先行し、生真面目一辺倒に物事に取り組む姿勢となったことは否めません。社員までそれを強要する結果となって、社員にしてみれば相当に息苦しかったのではないかと、今から思えばそう感じます。

不真面目はいけませんが、非真面目の気持くらいは持ってもいいと、最近は思います。自分が真面目に徹したら、他人を許せなくなります。清濁併せ呑む、人を許し受け入れる範囲を広げておかなければ、人は付いてこないのではないでしょうか。

四部六の人生を送るとは、四部の悪い事を積極的にして構わない、との意味ではありません。六部以上の善いことを目指しながら、四部の、善いことが出来なかった自分を通して、他者も許容することであると、私は解釈しています。
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陰と陽について

2017年11月04日 07時08分11秒 | Weblog
毎週土曜日の朝、長年のお付き合いをさせてもらっている方が塾長となって、主催している座禅に、私は参加しています。一時間の座禅の後、参加者の近況や物事の色々な考え方などを話し合っています。

その日は、「陰徳」や「陰徳を積む」とは、どういうことなのかの話しとなりました。塾長は、「よかれと思って行ったことを、絶対に自慢しないこと」と、ズバリ言われました。その後、陰徳や陰と陽についてもあらためて調べてみて、私なりの考えも述べてみます。

陰徳を積むとは、中国の前漢の時代から使われ出した言葉のようです。いい行いをしていればいいことが起こり、悪い行いをしていると悪いことが起こる、という基本的な考えに立っています。いい行いを表に出して積んでいるのは「陽徳」といい、人知れず徳を積むことが、陰徳を積むことになります。

人に話すか話さないか以上に、見返りを求めるか求めないかが、陽徳と陰徳の違いのようです。また、陽徳よりも陰徳の方が運気は上がっていくと言われ、それは一切見返り求めないからこそであり、やはり陰徳は自慢をしないに繋がりそうです。

同じく東洋の中国には、陰陽の法則があります。西洋では善悪の世界観があり、善は良いもの、悪は悪いものと捉えます。東洋での陰陽は、どちらがよく、どちらが悪いとの考えではなく、対極するこの陰陽が常に助け合って世の中が成り立っていると考えます。

例で言えば、光が差すところには、明るい光だけでなく必ず暗い影があり、光が陽なら、その影は陰になります。それぞれ性質が異なり、対極するものが常に存在し、バランスを保っています。従って、陽徳があるから、逆に陰徳が輝くともいえます。

「お陰様」と私達は言いますが、これは何か恩恵を受けたときに陰の力が働いているとのことで、一般的には神仏の加護であると言われています。神仏でなくとも陰で何かが支えてくれるから、陽となってよい結果が現れることで、見えない陰を常に意識して感謝の気持を表しなさいと、私は解釈します。

その塾長は、「四部六」の人生を送ることが大事であると言われます。人間は分かっていながら悪いこともしてしまうが、必ず善いこともしなさい。その割合を、善いことは六部以上を努め、悪いことは少なくとも四部までに留めなさい、との意味です。陰陽の法則に、私は合致していると思います。

逆の人生を送ったら、天は罰を与える。それも小さな警告の内に改めればまだ許されるが、それを無視して調子に乗ってしまうと、つまり四部を超えると、いずれ大きな罰が下る。その本人に来なくても、家族や次世代にも及ぶとのことで、塾長はそれを実践されています。

例えばお客様と話をしていて、わが社のことを色々尋ねられて、ついつい調子に乗って、自慢話をしてしまうこともあるかもしれません。それを極力押さえることも、私は陰徳を積むことに繋がるのではと捉えています。

人は言いたがります。言っていないようで、言い過ぎています。自分をみてそう思います。善い行いは貯金しておく、表で使い切らない、貯まったものは来世に持って行く位の覚悟でないと、陰徳を積むことは出来ないかもしれません。
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電車にまつわる話(その2)

2017年10月28日 09時30分47秒 | Weblog
駅のホームに立っている、私の目の前の男性のズボンの上から、トイレットペーパーが垂れ下がっていました。しかし、その男性は自分では全く気付いていません。私は、取ってあげることにしました。それにためらう気持はありませんでした。

むしろ、周りの皆は何故見てみない振りをしているのだろう、との憤りが込み上げて来ました。舞浜の駅のトイレに入って、その不始末に気付かず、ホームに上って来て、電車を待っていたのでしょう。その間、誰も声を掛けていなかったことになります。

ホームには女性ばかりでした。そのような男性に、女性だから恥ずかしくて声を掛けられない。男女の問題は別にしても、事実を伝えて、本人に恥ずかしさを与えてしまう。その場に居た人は、このような感じ方をしたのかと想像はします。しかしこれは、他人(サポートを求めている他人)を無視して、無関心を装っているだけのことです。

では私はどう取ってあげるか、二つの選択肢がありました。一つは黙って取ってしまう。トイレットペーパーですので、恐らくそうしても、男性は気が付かないかもしれません。もう一つは、声を掛けて男性にも分かるように、取ってあげる。

私は後者を選びました。先ずトイレットペーパーを取ってしまい、それを丸めて、後ろから肩に手を軽く掛けて、「このようなものがズボンから出ていましたよ!」と声を掛けました。男性は事態を把握し、驚き、恥ずかしかったのでしょが、気を取り戻したように、口ごもりながらも、お礼の言葉を発しました。

他人に対して、要求されていないお節介は、当然のことながら無用です。今回のケースで立場が逆であるなら、私だったら、教えて欲しいと思いました。不始末を教えてもらった瞬間は、動揺するかもしれませんが、言いづらいことを伝えてもらった人には感謝します。

このような目の前の人が、家族だったらどうでしょうか。必ず注意をするでしょう。では家族と他人との境はなんでしょう。困ったことに遭遇して、サポートを求めているであろう人間が現れれば、家族も他人も区別などないと思います。

話が広がってしまうかもしれませんが、日本人が最近、困っている他人を見てみない振りをして、無関心になっている傾向を懸念しています。前回のブログで書きましたが、同胞意識が薄らぎ、他人と関わりたくない人が昔より増えたように感じてなりません。

今回の男性に対しためらう気持ちが払拭出来て、私を突き動かしたのは、実はコルベ神父の存在です。アウシュヴィッツ収容所で、自分には家族があるからと訴えている囚人の、身代わりになって死の刑を受け入れたコルベ神父です。

アウシュヴィッツの視察研修から、既に一ヵ月半が過ぎようとしています。体験や記憶が薄らいで行くのでなく、更に形を変えて、深化している感じがします。今回の電車にまつわる出来事は、自分をどれ位捨てられるか、試されている感じもしています。
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電車にまつわる話(その1)

2017年10月21日 06時14分29秒 | Weblog
大阪の電車で環状線に乗っていた時のことです。環状線の電車は一部ボックス(対座式)になっています。天王寺の駅から、中年の女性と女子高校生が乗って来て、ボックスに対座して座りました。二人は他人同士です。

私はもっと手前からその電車に乗っていて、天王寺の次の新今宮駅で降りるので、ドアー入り口の、二人が座っているボックスの直ぐ後ろの背もたれに、寄りかかり立っていました。

しばらくして、二人が何か話しています。「取れないですか?」「はい、取れないのよ!」。中年の女性が何かを取り出そうとして、女子高生が心配して話し掛けています。座席のシートと窓側の壁の隙間に、中年女性が何かを落としたようです。

女子高生も立ち上がって中年女性と共に、二人でシートをずらしながら、ちょっとの隙間に手を入れて、その何かを取ろうと必死です。騒ぎになっているのに、反対側のボックスに座っている人は我関せず、見てみない振りを決め込んでいます。

私は用事があり、次の新今宮で降ります。このまま乗って行く、時間の余裕もある訳ではありません。しかし私の中から『後はいいや!どうにかなる』、そんな言葉が出てきて、後ろに行って「どうしましたか?」と、二人に声を掛けていました。

中年女性は、「イコカをこの間に落としてしまって、取れないの!」との返答です。イコカとは、関西で多く使われているICカード乗車券のことです。そして私もシートを左右に動かしますが、隙間は開きません。何回がトライアルしている瞬間、シートの端が上がり、シートは持ち上がり外すことができたのです。

そこにイコカがありました。「シートは外れるのね!」と中年女性はびっくりしていました。次の瞬間、電車のドアーが開き、新今宮駅です。喜んでいるのか安心したのか、放心状態の二人を後に、すぐさま私はホームへ駆け降りました。電車が新今宮に着いてもシートが動かなければ、降りられずに、そのまま私は悪戦苦闘を続けていたでしょう。

知らない振りをして降りてしまう、私にはそんな選択肢もありました。しかし、同時に『本当それでいいのか』と自問し出した自分がいて、大袈裟に言えば『後は運を天に任せよう』、というような気持に不思議となったのです。

話は全く変わります。地区業界団体の創立50周年記念行事があり、ディズニーランドの近くのホテルで食事会がありました。家内と参加して帰るべく、JR京葉線の舞浜の駅に向かいました。舞浜は、ディズニーに来園したお客さんが帰る駅ですので、ホームは結構な人です。

ホームの中央位で、電車を待っている数名の後ろに並びました。前には少し小太りで30歳前後のメガネを掛けた男性が、一人で立っていました。電車のどの入り口近くで待っている人達も、殆どが若い女性達です。一人でぽつんと立っている、男性の後ろに私達は並んだのです。

見るとその男性のズボンの上から、何と白く細長い紙が垂れ下がっているではありませんか。一瞬にして、その紙がトイレットペーパーであることが判明しました。恐らく駅のトイレにでも入り、トイレットペーパーが付いていることに気付かず、ズボンを履いてしまったものと思われます。さて、私はどうすれば・・・。  ~次回に続く~
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