アラフィフ×1ライターの日記

できるだけ穏やかに、健康に、年を重ねていきたい。

法事で群馬へ

2015-05-17 17:19:39 | わが母のこと

母の一周忌で群馬の温泉に来ました。
義母さんは病院にいてくれているので、一先安心。
2ワンを迎えに行くので明日朝イチで帰ります。
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お彼岸

2015-03-23 14:49:15 | わが母のこと


早いもので、明日はもう彼岸明けですね。

まともな花瓶がなく、やっと昨日買って、ささやかな花を供えました。
花や木など植物が好きだったので、喜んでくれたでしょうか。
糖尿病も患っていましたが、甘いものが好きで、適量でも楽しみたいからと
ウォーキングに水泳に、体を動かすことを心がけていた母。

手作りではなくて申し訳ないけれど、おいしそうなおはぎもお供えしました。

昨日、ダーリンと母の一周忌について話していたのですが、
母の兄にあたるご家族(おじ・おばともに80代半ば、従姉は私より6歳年上)が、
母の娘時代もそれ以降も、とても親しくしてくれ、
お見舞いも、通夜・告別式・四十九日も遠方から足を運んで下さり、
娘として少しでもお礼がしたくて、暮れにお歳暮を贈ったりもしたのですが、
5月の一周忌、母のお墓が温泉地にあるので、せっかくなら、おばさんたちを温泉に誘ってはとダーリン。

ゆっくりと、みなで母を思い出し、いろいろな話をするいい機会。
おじおばの年齢を考えると、この先、そんな機会はなかなか訪れないだろう、
同県内だし、向こうの希望の日に合わせて休みを取って送り迎えもからするから、
お世話になった人なのだし、そうしてくれたら、私の母もきっと喜ぶだろう、と。

先方が、遠慮しないように、言葉を考えて伝えた方がいいよ。どうですか?と誘うのじゃなく、
一緒に行ってもらえませんか?とお願いする形の方がいいよ、と具体的なアドバイス。

確かに。
どうですか?では遠慮されちゃいますよね。

本来なら、長兄が気をまわすことかもしれませんが、残念ながら、そこまで求められない&気がつかない性格なので。。
申し出てくれたダーリンの、人を思う気持ちがうれしかったです。

どうなるかはわかりませんが、お誘い&お願いしてみようと思います。





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人生の楽園

2015-01-05 21:22:43 | わが母のこと
テレビ朝日で長年続く、何かに挑戦する人の第二の人生を紹介するドキュメンタリー番組『人生の楽園』。

いつの頃からか、気付けば録画して欠かさず見るように。自分の子ども時代を思い出す秀逸なNHKアニメ『団地ともお』と並んで、毎週土曜、楽しみにしている番組です。

この番組を見ていると、つい番組に出てくる人と、亡くなった母の年齢を重ねてしまいます。

手料理が上手で、近隣の方から頻繁に軽食やお惣菜作りを頼まれるほどだった母でしたので、実はガンとわかるずっと前、おぼろ気ながら、母のお惣菜を販売する小さなお店を出したらいいのではないか、それを私がサポートできたら、と考えていたのでした。

それは、母がまだまだ、ずっとずっと元気でいるはずと思っていたからで、現実は、私が勝手に抱いた夢叶わず、母はこの世から去ってしまったのですが。。

『人生の楽園』、この番組を
見ると、そんなことを思ったりする私です。




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ぎりぎり間に合った

2014-12-05 18:58:35 | わが母のこと
師走となり、今年の終わりにどんどん近付き、やがて新しい年がやってきます。

いつもと違うのは、母がいないことです。
母が作った、栗きんとんやきんぴら、八つ頭の煮物などのおせち料理や、何杯でもお代わりしたくなる、あのお雑煮をもう味わえないことです。

それを誰よりも実感、痛感するのは、一人暮らしの次男だろうと思います。
母は、次男が家を出てから20年以上?もしかすると30年近く、毎年、お正月におせちとお雑煮をパックに詰めて、次男のアパートと最寄り駅をバスを使わず、往復1時間かけて歩いて届けていました。
きっとお餅をその場で焼いてお雑煮に入れて、小さなお正月を次男にプレゼントしていたのだと思います。
次男にとって、それがいつものお正月だったはず。

お風呂の中でそんなことを考えていたとき、ふと、明後日の7日は次男の誕生日であることを思い出しました。
今まで、父母に誕生日のプレゼントを贈ったことはありますが、兄にはありませんでした。
でも、ふと、何もない誕生日、年末年始じゃあまりにさびしいじゃないか、と思い、急いでお風呂を出て、誕生日ギフトを贈ることに。

モノは好みが良く分からないし、時間もあまりないので、食べるものなら喜んでもらえるかと思い、選べるグルメギフトにしました。
配達指定も7日、ぎりぎりで指定が間に合いました。

仲がいいわけではありませんが、妹として、というより母の代わりとしてでしょうか、一人でいる次男に、せめて何かしなくては、そんな思いにかられたとともに、一年に一度でも、兄弟3人集まって、母を(父もですが)偲ぶことができたらと、あまり実現の可能性を期待できないと思いつつも願う自分がいます。

本当なら、母亡きあと、兄弟3人が少しでも距離を縮めて互いを思い、助け合うことが、母が一番喜ぶ&望んでいることだと私は思うのですが、長男は不器用で武骨、それでなくても次男と折り合いが悪いため、長男からそういう発想が出てくることはあまり期待できず。。
だから余計に、私が動いて何かしなければ、と思うのかもしれません。

母が空の上から、気をもんで見ているような気がしてなりません。


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昨日は月命日

2014-09-22 16:22:40 | わが母のこと
早いもので、実感があまりないままに昨日4度目の母の月命日を迎えました。

四十九日・納骨を終えてから、連絡を取っていなかった2人の兄にメールでしたが連絡をとってみました。
母亡きあと、何もなければ、まず向こう(兄たち)から私に連絡が来るとは思えず、しかも兄同士に過去の確執があり、「それを乗り越えて兄弟仲良くしてほしい」という母の願いを思うと、せめて、時々は変わりないことを確認するメールを送ることはしていかなくてはと思うのです。

長兄から返信があり、なんと小さな子ネコの写真が送られてきました。
奇遇ですが、私が連絡したその日に家族に迎えたとのこと。
母がネコ、というか動物全般が好きで、「志村どうぶつ園」という番組が大好きで、毎回楽しみにしていたので、母とほぼ同時期に姿を消してしまった(どこかで息絶えてしまった)ネコの代わりに、飼い始めたのでしょう。
「ネコをもらってほしい」というスーパーの張り紙を見て決めたそうです。

外に出て、どこかに行ってしまわないよう気をつけてねと返したら、水とトイレ、遊ぶおもちゃが用意されたサークルの写真が。

長兄も動物が好きで、ぶっきらぼうで短気ですが、こういう用意のいいところ、優しいところもあるんですよね。

墓石に母の名前も刻まれたとのこと。
名前を見たら、新たな悲しみが生まれてくるかもしれないし、歌にあるように、お墓で眠っているわけではないのかもしれませんが、行かれれば年内に、墓参したいと思っています。


そうそう、怪我をした手のその後ですが、日祝を除き毎日消毒&包帯換えに行ってますが、傷口の経過は割と良好です。
ただ、痛みは結構残っています。
まぁ、犬歯でガブリと、しかも無意識に手を引いていたらしく、カーブした大きな傷もあり、手をひねったり動かすたびに、そのキズが痛むのです。

でも、昨日、所用のため思い切って車を運転しました!
ギアを変えるのが、ちょっとつらかったですが、なんとかなりました。
月末、前もって予約していた温泉に骨休めに行くのですが、このまま手を水につけられないとしんどいなぁ・・・。
それまでに包帯が外れればなぁ。。。
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母の夢をみました

2014-08-02 13:17:13 | わが母のこと
母の旅立ちから、早いもので2カ月と12日になります。
昨日、今日になるのかな、初めて母の夢を見ました。

6年前に他界した父が寝かされている布団の隣に、母が並んで横たわっているのですが、ほどなく母が目を開けて、生き返って、朝起きるように普通に起き上がるんです。

それを見ていた私は、「やっぱり元気になったんだね!」と喜ぶのですが、
母は「もういいんだよ」と言う。

なぜこの夢をみたのかと考えてみると、昨日、「日本女性の平均寿命は86.61才で世界一」というニュースを見たからかもしれません。
80だった母の死は、やっぱり早い、しかもウォーキングや水泳もやって
食事にも気をつけてピンピンしていたのに・・・、という思い。

元気だった母の急転直下のような死を、私の心の奥底では
まだ受け入れたくないし、受け入れられないのかもしれません。

電車で2時間半の距離のあの実家に、去年の夏同様に母が暮らしているような気がしてしまうのです。

「もういい」という言葉は、亡くなる当日、兄が聞いた最後の言葉。それまで一度も、誰にも、痛みやつらさ、弱音をはかなかった母の、最初で最後の本当の気持ち。
母は、これまで見せたことがないくらいとても痛がっていたらしく、この痛み、苦しみはもうたくさん、そういう意味の言葉だと思います。

病院から10分の実家にいた兄も看取りに間に合わず、最期の瞬間を母一人で逝かせてしまったこと、それを思うとなんとも切なく、ごめんねといいたい。
母に届け、この思い。

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急きょ、温泉一人旅

2014-07-04 18:13:50 | わが母のこと
今週末、早いもので母の四十九日と納骨、父の七回忌の法要が行われます。
生前、両親が用意したお墓は北関東の温泉地のすぐ近くにあります。

病床に伏した母がまだ話ができたとき、「(2月に行った)温泉がとてもよかった、また行きたい」と言っていた言葉を覚えていたダーリンが、「場所は違うけど1万円出すから遺影を連れて温泉に行ってきなよ」と勧めてくれたので、急きょ、本当に急きょ、宿と高速バスをおさえ、急きょの一人旅をすることになりました。

一人旅は、何年ぶりでしょう―。
時代がいいときに取材で行った旅は、純粋に一人旅とは言えず、しかもそれは前の結婚のとき。再婚してからは仕事でもプライベートでも一人旅はしていないので少なくとも5、6年、それ以上ぶりです。

宿泊は土曜日で、しかも一人部屋、探すと11件の宿しか空きがなく(その中にはビジネスホテルも)、降車のバス停から近く、温泉が充実したそこそこいい評判の宿で朝食のみのプランがあり、残室は1。滑り込みセーフで予約。
新宿発の高速バスも、残り3席しかありませんでした。

仕事も来週以降忙しくなるので、時間的にも余裕がある「今」しかできません。
なので思い切って行くことにしました。

ダーリンは仕事なので、2ワンには少し長い留守番になってしまうけれど、1泊2日だけのことなので、なんとか我慢してもらうことにしました。
普段、私といつもずーーっと一緒にいるので、少しぐらい離れてもきっと大丈夫かと。

ああ、納骨したら、本当にあちらの世に行ってしまうのですね。
私の心の中には、ちゃんといるのですけど。

数日前、雨一時曇りだった現地の天気予報、さっき見たら晴れに変わっていました。
当日、豊かな自然と梅雨の晴れ間のさわやかなお天気のなか、無事に母を送り、父を弔いたいと思います。

納骨の直前と、体調を崩す直前の旅行、両方私が一緒です。
母の体はもうありませんが、母の魂に喜んでもらえたら。
その気持ちで、明日行ってきます。
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泣かないのは冷たいのでしょうか

2014-05-29 13:09:12 | わが母のこと
家事をやって仕事をして、犬の世話をして、時間が流れていきます。

ダーリンから、「親が亡くなっても泣かない○○家の人間は冷たいね」と言われました。
私は5歳上の長兄・3歳上の次兄・私の3人兄弟です。

長兄は日本語が話せないお嫁さんと母と同居していました。
私は母が亡くなった知らせを23時過ぎに受け、翌朝車で向かうつもりでいましたが、朝の渋滞を避けるにはできるだけ早く向かった方がいい、というダーリンの提案に同意し、午前3時前のまだ真っ暗中を、犬2匹(母に会わせてあげたかった)・お酒を飲んでいたダーリンを乗せて出発、5時過ぎに実家に着きました。

次兄は、亡くなった母が帰宅した自宅に翌日昼前に到着、布団に寝かされ冷たくなった母を見て泣きました。

でも、私と長兄は泣きませんでした。
兄は喪主、その兄のサポートを私がしました。

なぜ泣かなかったか。
亡くなった翌朝からすぐ、通夜・告別式の手配打ち合わせ、葬儀の連絡に追われ、哀しむ余裕などなかった、ということがひとつ。

もうひとつは、長兄と私は、元気なころも病に伏してからも、母との時間をたくさん持てたということも、
いくらか関係していると思います。長兄も私も、元気なころの母を北海道や沖縄、群馬や伊豆・箱根などの温泉、海外旅行にも何度か連れて行き、思い出もたくさん作ってきました。

10代後半、問題を起こして借金を作り、当時の家を売却するに至った原因を作った次兄は、それ以来、
実家に姿を見せることはなくなりました。

それでもお正月にはおせちとお雑煮くらいは食べさせたいと思う母は、それは今年の1月もそうでしたが、
次兄のアパートに、最寄り駅から片道30分近い距離を歩いて届けに行ったものでした。

母の状態が楽観視できないとわかってから、母が自ら兄に電話をしましたが、「何度電話をしても出ない、きっともう葬儀にも出る気はないのだろう」と諦めかけているのを聞いて、次兄と唯一とれる連絡手段、SNSを通じて何度か私から連絡。母に残された時間があまりないことを知らせ、病気がわかってからだいぶして、やっと見舞いに訪れました。

話がそれ気味になりましたが、次兄の涙は、悔やんでも悔やみきれない涙だと。
長兄と私は、やれるだけのことはしたという気持ちが少なからずあり(といってもまだこれから沢山のことをしてあげたかった)、多くの時間を共有した大切で大好きな母が、突然いなくなってしまったことを受け入れるのには、もう少し時間が必要なのだろうと、自分では思っています。

現実としてわかっていても、心が、受け入れ拒否(?)をしているとでもいうのでしょうか、
まるで夢を見ているようで。

母の通夜・告別式で、子供のころ近くに住んでいた、昔懐かしい方々と再会したときは
ぶわっと目に涙があふれましたが、こぼれ落ちる前に堪えました。

泣ける時がくるまで無理に泣かなくていい、泣けない自分を責めなくていいと言ってくれる人もいます。
私は、そういう感じなのかなと思います。
本当の哀しみ、悔しさ、寂しさは、これから訪れるような。


初めに戻って、
ダーリンに、「泣かないなんて冷たいね」と言われた言葉、何も言い返しませんでしたが、自分としては心外でショックで、そういう風に受け取られてしまうものなのかな・・・と思いました。
悲しいに決まってます。悔しいに決まってます。でもなぜだか泣けない。

人は本当に悲しいときは、泣くのが難しくなる。
簡単に泣けないものかもしれません。
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実感が湧かない

2014-05-28 13:50:22 | わが母のこと
母が亡くなって1週間。
私の部屋には、遺影と同じ母の写真立てが置いてあります。

通夜・告別式を終え火葬しお骨を拾っても、まだ半分信じられず、自分のことではないような気持ち。
電話をかけたら母が出るんじゃないか、そんな気がします。

母の闘病をまとめてみます。

●3月4日 吐血&入院

●3月19日 手術を決め一時退院

●3月31日 再入院

●4月1日 手術のため開腹するも、腹膜播種(がんが、内臓を包む腹膜に米粒のように散らばっている状態)とわかり、なにもせずに閉じる。

●4月19日 自宅での抗がん剤(TS-1)治療に切り替え退院

●4月28日 体調すぐれず(抗がん剤治療に耐え得る体力がなく)再入院

●5月21日 23時過ぎ逝去

お腹を切っただけで終わった手術から、母は日ごとに衰弱が進んでゆきました。
まず、歩けなくなりました。歩行器を使っていましたが、そのうち立てなくなりました。

ペンを持っても震えて文字が書けなくなりました。

食欲が落ち、日ごとに食べられなくなってゆきました。

水分(水と氷、果物の汁)しか受け付けなくなりました。

それでもすべて吐いてしまうようになりました。

声が出なくなり、会話がままならなくなりました。

目を開けていることが難しくなりました。

2ヶ月半で11回お見舞いに行きましたが、行く度にできたことができなくなっている、
衰弱があまりに速く進んでいることが怖く、見ていて言葉が出ないほど辛かったです。

亡くなる前日、5月20日(火)6:38、私のスマホにメールが届きました。
遅延など登録している路線情報のお知らせメールかと思ってメーラーを開くと、母のアドレスから。
なにも書いていない真っ白なメールでした。
その3日前に母を見舞った次兄から、「電話をかけようとしたができなかったが、おまえに何か伝えたいことがあるようだ」と聞かされました。

最期、私に何を伝えたかったのか、伝えようとしたのか。悔しいけれどわかりません。

母が亡くなったことは厳然たる事実、目の前の出来事は進んでいくのに、自分の中では本当に
実感が湧かず。それは、どこかで認めたくない自分の心がそうさせるのかもしれません。

私が実家に連れてきて、長年暮らしてきた猫が、母が亡くなる4日前、ひっそりと姿を消しました。
戻ってくるかと思いましたが、もう戻ってこないような気がします。
母を探しに行ったのか、己の死期を悟り姿を消したのか、
実家から2つの命が消えてしまい、なんとも寂しい気持ちです。

母から届いたこれまでのメール、20日に届いた何もない白いメール、
とても消すことはできず、でも、ふとした拍子に目に入ると複雑な思いに心が覆われていくのを感じます。

仕事も再開して、私自体は元気は元気です。
というか、まだ泣けていない。泣いていない。
泣きたいような、泣きたくないような、自分でもよくわからず・・・。

きっとこれからじわじわと、街で母と年の頃や姿が似た人を目にするときなどの
ふとした拍子に、喪失感を感じていくのだろうと思います。
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心配事とはこのことでした

2014-05-23 17:23:47 | わが母のこと
一昨日、水泳、ウォーキング、植物、動物が大好きで、とても80歳には見えない、
最愛の母がこの世を去りました。
心配事というのは、母の闘病のことでした。

電話の初めに「お母さん」と名乗る温かい声を聞くことも、
笑顔と太陽マークがいつも入ったメールを受け取ることも、
元気に歩く姿を見ることも、二度とできなくなってしまいました。


末期の胃がんでした。
この2月に一緒に旅行を楽しんだばかり、次の旅行も計画していたのに、
病気がわかってから2ヶ月半という短い期間で、この世から姿を消してしまいました。

今はしなければならないことが多すぎて、加えて、仕事をセーブしていたとはいえ、
いくつか現在進行中の仕事もあり、まだ悲しみに浸り切ることができていません。

あまり時間がないとわかってはいても、もっと生きてくれると思っていました。

何回かに分けて、このことについて追々書いていきたいと思います。
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