旅の親切
旅の間に受ける親切は有り難い。グダニスクからワルシャワ行きの列車に乗ったとたん、車掌がなにやらわたしの切符に難癖をつけてきた。しかし、ポーランド語だから意味はさっぱりわからない。そのとき、通路をはさんで反対側に座っていた中年の女性が車掌とわたしのあいだに入ってくれ、ポーランド語と英語で通訳をしてくれ、助かった。
突然の英語で助けてくれたこのオバサンは米国ミシガン州在住。ポーランドから一二年前にアメリカに渡ったという。グダニスクにいる母親に会いに来た帰りだった。
ワルシャワまでの2時間の車中、尽きることなく話した。たぶん、相手の質問形に対してわたしが答える式の話だったのだろう。英語では、自分から話しかけていくより、受け答えをしている方が楽だ。ワルシャワに着いてから街なかに行きたいケーキ屋があるからと連れて行ってくれた。
日本に帰ってからもこの人からのメールは二年間ほど続き、苦労しながら英語の文章を書いた。 (1995年11月4日)
旅の間に受ける親切は有り難い。グダニスクからワルシャワ行きの列車に乗ったとたん、車掌がなにやらわたしの切符に難癖をつけてきた。しかし、ポーランド語だから意味はさっぱりわからない。そのとき、通路をはさんで反対側に座っていた中年の女性が車掌とわたしのあいだに入ってくれ、ポーランド語と英語で通訳をしてくれ、助かった。
突然の英語で助けてくれたこのオバサンは米国ミシガン州在住。ポーランドから一二年前にアメリカに渡ったという。グダニスクにいる母親に会いに来た帰りだった。
ワルシャワまでの2時間の車中、尽きることなく話した。たぶん、相手の質問形に対してわたしが答える式の話だったのだろう。英語では、自分から話しかけていくより、受け答えをしている方が楽だ。ワルシャワに着いてから街なかに行きたいケーキ屋があるからと連れて行ってくれた。
日本に帰ってからもこの人からのメールは二年間ほど続き、苦労しながら英語の文章を書いた。 (1995年11月4日)









