会長・一杉真城奮闘記

創塾41年目です。
ヒトと人が行きかう交差点。
何気ないため息や息遣いが聞こえてくるような、塾であり続けたいと・・

島津製作所、商社・丸紅

2008-06-11 23:50:28 | Weblog
イラクのフォアルージャ総合病院からお見えの院長のスメイン博士、小児心臓外科医のオマール医師、産婦人科のムンタハ医師と今日東京の飯田橋でお会いしました。
13病院が丸紅と日本のODAで建設される予定ですが、11病院は完成し、2病院はもうじき完成だそうです。日本の医療機器もヨルダンの代理店を通じて納入されているそうです。
これはアフガニスタンに行ったときにも痛感したことですが、made in JAPANへの信頼こそが平和への何よりの信用保証であり、さらに私たちの暮らしそのものを支えている・・ものづくり日本の基礎なのだとまたまた痛感しました。

日本の戦後復興の鍵はなんでしょうか?という話になって彼らはインフラの整備ということをしきりに話しましたが、私は教育の大切さを力説しました。

人口20万の沼津市も公立教育では石内直太郎先生、私学では加藤ふじさんと是村ミワさんという素晴らしい教育者がいたという話、イラクのファルージャは35万にぐらいの人口だそうだから、5人ぐらい名前が挙がらなければ駄目だと・・ひとしきり話をしました。誰もいなければ、イラクの復興の道は険しい、読み・書き・基礎計算をしっかり教えなければ・・・先ず校舎ではなく教える人たちの情熱を掻き立てなければ・・・とはなしながら、ファルージャの歴史的背景を十分知らないままにえらそうに言って大丈夫かなと思いつつ・・・エイツ言っちゃえと勢いで話をしてしまいました。

話をしながら、丸紅もそうですし、島津製作所もそうですが、本当に日本の国は、わたしたいちは、恵まれたなあとつくづく感じました。

近日中に3人のドクターと一緒に京都の島津製作所さんを訪問させていただけけることになりますが、有名なノーベル賞博士・田中さんにお目にかかれればとは思いますが、私の仕事ではないとあっさりお断りされるような気がしますので、ひょとしたらという淡い願望を持ちながら、スケジュール調整をしようと思っています。

さらにもう一つ学びました。京都の島津製作所と島津のお殿様とは親戚関係はないそうです。関が原の合戦に西軍として参戦した島津家が家康陣めがけて中央突破を図ったまま、そのまま逃げていってしまったという話は有名ですが、そのとき瀬戸内で逃げていく島津の殿様をお助けした功で後に島津を名乗ることと○に十の字の家紋を使うことを許されたのが、島津製作所のスタートだということを初めて知りました。

昔TBSのデイレクターで島津さんという方が薩摩の島津家ゆかりの方とお伺いしたことがありましたが、島津製作所のご縁はお聞きしたか、否か定かではありません。今篤姫の舞台で島津家が話題でもあり、昔、「約束」のTVドラマでデイレクターからヒトスギさんの役は、高橋英樹さんにやってもらいますから・・・と言われてなんとなくその俳優に、シンパシーを感じて見させてもらっていたこともあり、話題にしてみました。
この後、上田隆一さんと言う東京大学助教の方とお会いして、楽しいお話をした話題も書きたかったのですが、原稿用紙3枚をめどにしているこのブログの予定枚数は終了しました。ご精読ありがとうございました。

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