世界一楽しい創価アンチブログ

創価問題を、アンチのある側面から見て書いています。
こういう視点もあるんだなあと見て頂ければと思います。

読み手がいます

2017年09月24日 | 日記
アンチブログにコメントを書く人。
吐き出したい思いは無数にある。
私にも、もちろんある。
そんな時は「吐き出したい」感情の他に、「伝えたい」という意志を少しだけ持つことをお勧めする。

ネットというのは、真っ暗な洞穴に一人叫んでいるのではなく、読み手がいることを少しだけ意識する。
これは人のためであるようで、自分のためでもあると思う。




(゚-゚*)(。。*)ウンウン
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一人一言

2017年09月24日 | 日記
婦人部の時、グループ長といういちばん下の役職があった私は、月に一度「グループ長会」というグループ長ばかりが集まる会合に出席していた。
そこで必ず「一人一言」と言われた。
座談会でも少人数の場合、この「一人一言」を要求された。

その度にどうしたら一言で端的済むか、そればかり考えた。
だけど必ず、だらだらと長話をする人がいて、私はそれが不思議でならなかった。
なんでこの人は「一言」という簡単な日本語がわからないのか?
でも誰も、それには一切触れなかった。
そして一言ではない、要領の得ない長話が終わると、なぜか一段と笑顔を拍手が起こった。

最後まで不思議だったことの一つ。
ちなみに「もうちょっといい?」も言わず、当然のように話していた。




フワァァ(/ 0 ̄)~゚
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ポンコツでも信ありき2

2017年09月24日 | 日記
漠然と希望を描くのと、毎日欠かさず、祈るような強い気持ちでそのことを頭に描いて、具体的な思案をめぐらせる。
どちらが願望が叶うか?

祈る対象物なんて何でもよかった。
どうでもよくないのは、絶対に叶うと本気で信じさせること。
くじけずに絶対に叶えてみせるという、強靭な意志を持ち続けさせること。

それが祈りが叶ったように思わせる正体だった。

曼荼羅なんて実は何でもいいわけだから、諸々の事情で「これしかない」から「なんでもいい」と言わざる得なくなった創価は、仕方なく「何でもいい」と言った。
嘘じゃない。
本当に何でもいいんだもの。

ところが
「なんでもいいなら、今までのこれしかないは何だったの?」
と今度は、信者が信じられなくなった。

「これしかない」は嘘だったんだけれど、本気で信じたら力は嘘じゃなくなった。
「なんでもいい」は嘘じゃないんだけれど、信じられなくなったら力は真っ赤な嘘になった。

うまくいかないもんだ。




(; ̄ー ̄A アセアセ・・・
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