テイルのボヤッキー

忙しい毎日の中、驚きいっぱい。いろんなことぼやきます。

休日出勤

2012-03-24 19:12:40 | 日記

休みの日だからいつもよりはゆったりと出勤したいるけれど、これで何週間続いているのか、休日出勤。平日は、あっと気がつくと8時過ぎ、今日は9時次の日は10時次は11時、とうとう12時過ぎてしまった。私が、最後の人ではない。まだ残っている人が、数人いる。家には寝に帰るだけ。これって、人間らしい生活?文化的な生活?

ほどとおいなあ!日頃サボっているわけではない。

おまえがうらやましいよ。猫用暖房マットの上でぬくぬくと寝ていられる。私もちょっとのんびりしたい。

こういう働き方をしている人が、いっぱいいるから仕方がないよ。と言って我慢する?。

働き場のない人もいるのだから、働けるだけありがたいよと我慢する?

それっていいのかなあ。こういう働き方を我慢しているから、他の人に仕事がないのじゃないのかなあ。本当は、文化的で、家族ともふれあえて、人間らしいくらしをしたら、もっと大勢の人を雇わないといけないはずなのでは・・・・

ああ眠い。

明日も出かける。

 

 

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わあー!危うく火事

2012-03-20 19:10:59 | 日記

 地震で電気器具による火災について放映していた。電気が切れて、その後地震によって散乱した部屋の中で、電気が復旧した後、火災が起こる。ものの1分ぐらいで煙が出始め、5分で、燃え始めるという。

我が家もきっとそうだったのだ。

朝、台所で片付けをしていた。突如

「火事です。火事です。どこか別の部屋で火事です」

けたたましく火災報知器から声がした。

大慌てであちこち見ていくと、座敷の南窓側に干した敷き布団が煙を出していた。

部屋中煙。水をくんできて、布団に水をかける。窓を開け、換気扇を掛け、煙を追い出す。

原因は、その日に限って、布団を少したてようして、布団の下に近くにあった棒をかったのだ。それが倒れて、電気ストーブの上に。そしてスイッチON。

あー。びっくり。朝から肝を冷やした。

職場で、「なんか変なにおいがする。」と言われてしまった。「ものが燃えたにおいだよ。ごめん」

とあいまいに・・・・。

消臭剤をかけても、置いてもだめ。ずうっと焦げ臭いにおいがしていた。

皆さん、ご用心ご用心。もう元から電源を切る。

地震の時は、逃げるときブレーカーを落としておかないといけないといってました。そうでないと、2,3日経ってからでも火災を発生することがあるのです。

布団が、少し焦げるくらいで、ほんとによかった。火災報知器があってほんとによかった。

そして、家にまだいるときで、ほんとにほんとによかった。教訓。

 

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チェルノブイリのドキュメントからー福島の方がひどい状況

2012-03-16 21:26:59 | 原発

チェルノブイリの大事故についてのドキュメントが昨夜3月15日のBS「もう一度みたいドキュメント」という番組でやっていた。たまたま、お風呂上がりにテレビをつけたら、その番組だった。

チェルノブイリの原発が燃えているところだった。火をどう消すのか、住民の避難は、深刻な状況を知らせるのかいなか、緊迫した状況であった。

火を消すのに水をかけるわけにはいかない。水蒸気爆発をするからだ。そのために砂を使うことにした。4000回、ヘリで運搬し上から砂袋が落とされる。その上空でも我慢できないほどの高温なのだ。だが、火は消えない。温度の上昇は続く。住民は避難することを知らされる。しかし、すぐに帰れると言うことで、持ち物は3日分だけ。パニックを避けるためと言うことだったが、既に、3日が経っていた。メルトダウンし、施設のしたにある水に届いたら、水蒸気爆発をして100kMもの範囲が100年にわたって生きとし生けるものが住めなくなる。施設の放射能に汚染された水を抜くしか防げない。この水が近隣の水や生き物に影響を与えると言う問題がある。濃い濃度の放射能汚染水のたまった水の中に飛び込んで、バルブを開くのは、人間。真実を話し、分厚いスウェットスーツを着て、志願した兵士が水抜きを成功させる。そのことによって、水蒸気爆発は免れた。しかし、5日目には、気流に乗った高濃度の放射性物質が、ノルエーの上空に到着した。

ここまで秘密裏に進められてきたチェルノブイリの大事故は世界に公になった。事故処理の中心になった科学者は、何度も真実を明らかにすべきだと言うことを主張したが、政府に受け入れられず、事故の原因は、工場の責任の操作ミスとして何年かを隠した。設計ミスであったにもかかわらず。

今も立ち入ることのできないチェルノブイルの周り、そしてノルエーなど放射能汚染で、魚も、農業もだめになった地域がある。チェルノブイリから、ノルエーまでの距離は地図を見ると200KM以上は離れている。そして、避難した住民達の子どもはがん発生率が、イギリスなどの児童と比べて1000倍(確かそう言ったと思う。すごい倍率だった事は確か)にもなっていると。

チェルノブイルの大事故は水蒸気爆発してない。福島原発は水蒸気爆発した。それだけで、放射能汚染は、韓国の人たちが恐れたというのがうなずける。汚染は広がった。

そして。事故ご状況も、よくにているではないか。福島原発大事故の原因を究明しようとしないまま、再稼働の方向に進もうとしているのだから。

ドイツではこのチェルノブイルの事故からずっと原発についての論議が続いていとという。そして、自然再生エネルギーへと舵を取ってきていた。脱原発が決定された。

 私達もチェルノブイリの教訓を生かすことができなかったが、今度こそしっかりと考え、選択して行こう。 すごいドキュメントだった。夜中じゃなくて、みんなに見てもらいたいものです。   

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3・11さよなら原発パレード

2012-03-11 19:43:07 | 原発

きょうは3・11東北大震災から1年という日で、ずうっとテレビでもラジオでも特別番組が続いていた。全国各地で「さよなら原発」の集会や,パレードも行われた。

私は、岐阜市の金公園で開かれたパレードに参加した。午前中には勉強会もあったようだが、そっちは、時間的に無理だったんで、午後だけは是非にと思って・・・。ちょうど広場の西半分は、色々な手作りのお店が出ていた。長良河口堰問題から、無農薬のお米作りお茶や。、タンポポコーヒー、手作り小物や洋服、・・・色々なお店だ。この中からパレードに参加する人もしない人も・・・。午後から参加の人や、午前中の勉強会を終えて参加する人で、長いパレードになった。ベビーカーを引く若い夫婦。着物を現代的に着込んだ若者、ミュージシャン、ワンピースの黄色い麦わら帽子をかぶった小学生も、おじさんおばさんおじいさん、おばあさん・・・様々な年代の様々な人が、原発いらないと言う思いで,パレードに集った。

アフリカ?の太鼓の音に乗って、「さよなら原発」「原発いらない」「子どもをまもろ」「未来をまもろ」「おおい原発動かすな」「福井の原発動かすな」「岐阜は風下あぶないぞ」などとコールして歩いた。道行く人の中の何人もの方が、小さな声で一緒にコールしてくださっているのが動く唇で分かった。

2時46分地震発生の時刻、鐘の音で黙祷してから私は帰った。

再稼働が取りざたされている今、私達は、重大な選択をして行かなくてはいけない。傍観者で無関心であってはならないと思う。

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