小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

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琳瑞暗殺の謎 1

2013-01-05 20:44:04 | 小説
 幕末、小石川の伝通院山内の処静院(しょじょういん)に琳瑞(りんずい)という和上がいた。
 処静院というのは、いわば僧たちの教育施設で、その教官が琳瑞である。浄土宗の用語で言えば伝通院の本律道場が処静院であり、律師が琳瑞なのである。
 処静院を任されるほど卓越した僧であった琳瑞は、出羽国村山郡谷地の細矢与左衛門の6男であった。幼名は房蔵。天保元年の生れである。
 出羽出身で天保元年生まれといえば、清河八郎とまったく同じであるが、その清河八郎と琳瑞の人生にはただならぬ接点があった。最大の共通点はふたりとも暗殺されたということである。
 慶応3年10月18日の深夜、琳瑞は高橋泥舟宅から処静院に帰る途中で襲われた。
 泥舟宅から伝通院までは、現代の町名でいえば小石川5丁目から小石川3丁目に帰るようなものだから、距離的にはたいしたことはない。刺客のあらわれた場所は三百間坂で、もう少しで処静院に帰り着こうかというあたりだった。
 白い絹布の綿入れに草茶色の袈裟をかけ念仏を唱えながら歩いていた和上を、ふたりの刺客が襲っている。ひとりは井戸丙九郎、いまひとりは塚田求。井戸は松岡丙九郎ともいい、あの清河八郎の虎尾の会のメンバーであった松岡万の弟である。塚田のまたの名は広井求馬。ふたりとも高橋泥舟の門弟であったから、事件は奇妙な様相を帯びている。
 和上には斎藤安之助という20歳の青年が提灯を持って供をしていた。泥舟の家来であり、この夜、泥舟が琳瑞を送らせるために付けたのである。
 たぶん、ふたりの刺客にすれば、この斎藤青年のことは眼中にないにひとしかった。
 いきなり躍り出た塚田が和上を後ろから斬りつける。その一刀で和上は倒れ、塚田は和上の首級をとろうとしたが、襲撃に気づいて抜刀した斎藤青年によって右腕を斬られた。こんどは松岡が斎藤青年に斬りかかるが、彼も斎藤の逆襲で右の鬢を斬られて、いったんは闇の中に遁走する。しかし戻って和上の首をはねようとしたところを、その行動を先読みして物陰に隠れていた斎藤青年と斬りあいとなって、深手を負って逃げた。
 琳瑞も死ぬが、刺客の塚田も翌日には死に、松岡も七日後には死ぬ。なぜ琳瑞が狙われたのかわからぬままである。そして事件は伝通院側と刺客側とで早々に奇妙な決着の仕方をみせた。だから当時からこの事件の真相を解明しようとするものはいなかった。(続く)

【注】琳瑞の実家の細矢は時代によっては細谷となる。

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