鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

三分間指圧が出来た〜自身の限界を超えさせてくれたもの〜

2017-07-06 20:37:25 | 鍼灸術・手技療法術
三分間指圧が可能となった。人間にとっての(自身にとっての?)怒りの力を、その必要性を痛感する。

長いあいだイメージとしてはそれなりに固まっていて、このところ自身の現時点の実力でそれなりに可能な筈であるとの思いがあった「三分間指圧」が本日、可能となった。詳細はいずれ説く機会もあろうと思うが、端的には職場でカチンと来ることがあっての、「三分間指圧」であった。

人間の限界というものは自身でつくってしまうものである、と。そして自身でつくってしまった限界というものは自身でつくってしまったものであるだけになかなかに越えがたいものである、まして自身の如くに師もなく弟子もなくの環境にあっては、自力、自努力では、それを超えることは至難の技である、ということが痛感される。

そして、そこを超えさせてくれるものが怒りの力であるということ、これはこれまでの自身の過去に何度か持った事実でもある。例えば、昔々に初めて欧米人(オランダ人、オーストラリア人等)と英語での会話が出来た時、例えば、初の空手の大会での骨折以来、何年にもわたって恐怖心がどうしても拭えず勝てなかった組手でそれなりの闘いが出来た時、等々。

自身の一般性として何事を成すにしても、余裕があると自身の邪念(上手くやろう、カッコよくやろう、周囲に良く思われたい等の……)が勝ってしまって、ある筈の実力の半分も出せない、ということがある。そのような思いを払拭してくれるものが、自身にあっては「怒りの力」であった、し現在でもそうであると思える。

三分間指圧ということで言えば、「短い時間で終わっては患者が不満に思うのでは無いだろうか?」という邪念でもあるし、何よりも、しっかりと患者の訴える症状を治す(あるいは直せないまでも、症状を軽減させたり、症状が軽減しないことを病態から説明する)実力の無さ、自信の無さを、長い時間施術することで誤魔化そうという臆病根性であった、でしかなかった。

そのような邪念を払拭してくれたのが、「怒りの力」であった。自身の持てる時間もそう長くは無いのであるから、自身の臆病根性でつくりあげた限界、壁の前で足踏みしている暇など無い筈!……日々全力を尽くしていきたい。
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