鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に、科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたいと思います。

冬の木登りの実際〜対象に関わる像の深まり〜

2016-12-20 22:00:53 | 日記
木登り行った。量質転化の過程をしっかりと持つことの大事性実感した。

昨日、約20分間の木登り行った。最初は、滑るばかりで、特に足は木に引っかかる気配さえほとんど無く、であった。木に対しての足の形、部位を色々と工夫して行なって見ても、同じことであったので、少しでも足にかかる体重を軽減することを考えて、まず、手で木をしっかりと摑む、押さえつける、引っかける等の工夫を行なっていった。

そうする中で、足よりも先ず手がしっかりと木を摑める様になっていき、そうすると僅かづつではあるが、足が木に引っかかる様になっていき、何回かに一回は、足が木をしっかりと押さえつけて、木にしがみつけることがあった。

その木にしがみつくことを何度か繰り返していると、今度は足指と踵で、いわば木の幹を摑むが如くの形、力の込めかたで、身体を支えることができる様になっていった。そうなると木の幹の少し上の部分に手を伸ばし摑むことができる様になり、次に足を上に運んでと、僅かに登ることが出来た。それが二、三回出来ると、昨日登った木は地面から3m弱点くらいのところに枝があったので、その枝にぶら下がることが出来た。ので、その木に登って枝にぶら下がることを何度か行った。最後には、マグレ的では無く登れる様になった。

以上が、実体としての昨日の木登りの過程であるが、ここを認識に的を絞って視ていくと、木登りの当初と最後とでは、大きく違っていっているということに気づく。特に、木というものの反映が当初と最後とでは大きく違っていっている。

端的には、自身の当初の木の像は、「のっぺらぼうな、まるでコンクリートの電柱の如くの滑る柱」であったのだが、登っては滑り落ちてを繰り返す内に次第次第に、木の凹凸や傾斜、滑り易い部分とザラザラして滑り難い部分の違い等々が分かってくることで、現実の「凹凸、傾斜があり、木肌にも滑る部分とザラザラした部分とがあり、する木」に近い像へと変化、発展していった。

結果として、木に登っては滑り落ちてを繰り返すということで、木に登るための実体力が少しづつ培われただけでは無しに、「(手も足も)ここを摑めば滑らない」という場所が視覚だけでは無しに、触覚も合わさった像として、次第次第に描ける様になっていって、しっかりと木に登れる様になっていったのだと思う。

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