鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

出来ないことの意義〜脳細胞の活性化の構造〜

2017-04-25 22:14:27 | いのちの歴史・社会の歴史・精神の歴史
出来ないことを出来るように頑張り続けることが、脳細胞の活性化のためには必須のことであると思える。

自身では、40歳を過ぎる頃から次第次第に体力(認識、実体ともに)が衰えていき、これまで出来ていたことが出来なくなっていくということが起こってきて、いつの間にかそのことが常態となっていきかねない、ということがあった(ある)。そのなかで、あれもダメこれもダメで、自身の現在に、それ以上に自身の未来に少しの希望も持てないというなかで、(これならば出来るかもしれない、これだけは怠けずに頑張ってみようと10年ほど前に始めたのが、南郷先生が説かれていた夏の砂利道での足裏鍛錬であったが……)の現在であるので、「出来ないことを出来るように……」というのが、大袈裟にいえば、この10年ほどの自身の日常生活そのものである。

こう述べると、何か「自画自賛をやっている」と思われるかたもおられるかもしれないが、通常のレベルであるならば、もう少しで還暦という年齢ともなればいろんな面で毎年どころか毎月レベルでの実力の低下を、痛いほどに思い知らされる日々を持つことになるのであるから、何事であれそれを為そう(成そう)とするならば、「出来ないことを出来るように頑張る」しか無いのが現実である、ということでしかない。ということを、自身と同年代のかたならば、実感レベルで同意いただけるのではないかと思う。

しかしながら、そんな低度の日々の実践であるにもかかわらず自身の頭脳活動としては、ほんの僅かづつではあるがレベルアップしていけているのでは?と思える。それが何故かと考えるならば、「出来ないことを出来るように頑張る」という過程を少しづつでも持ち続けていることの成果ではないのか、と思えるのである。

これは、「生命の歴史」に尋ねれば、「魚類段階」から「両生類段階」、「哺乳類段階」から「猿類段階」という脳の実力の画期的ともいえる発展を持ち得た発展段階は、自在に泳げる海中から動くことすらままならない(四肢はなくヒレである)陸上の泥濘で、必死に動こうと努力し続ける、であり、自在に疾駆していた大地から登るに登れない(手足の指どころか、そもそも手すらない四つ足である)草レベルの木から木・樹木へ登ろうとしては滑り落ちるの無限といっていい繰り返し、である。そのような過程は取りも直さず、「出来ないことを出来るように頑張る」そのものであると思う。

そう考えるならば、現在の「出来ないことを出来るように頑張る」しか無い状況は、諦めることなく一心に頑張り続けていくならば、何らかの成果を齎してくれるかもしれないと、それゆえに、もっと頑張らねば!と思える今日この頃である。

仮にそのことが、自身の空想レベルの思いでしか無かったとしても、自身にはそう考えて頑張るしか他には何も無いのであるから、未来に希望を持って一心に頑張り続ける年月を持てただけでも本望というべきである、と思う。
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