鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

統計学、再度、再々度の学び〜東洋医学、鍼灸、経絡経穴の理論的根拠を求める道筋を求めて〜

2017-02-17 20:57:02 | 日記
『統計学という名の魔法の杖』を読み返し始めた。原点を問うこと、の必要性、大事性痛感する。

後期末試験が終了し、卒業研究のゼミ?が1週間の予定で始まった。卒業研究自体が事例報告という方向性で進んでいってしまっているので、統計学云々とは無関係な形で進んでいくものと思ってしまっていたのだが、指導教員が介入してくると、やはり統計的に処理して、という話になって来た。

が、そもそもが統計学的なデータの取りかたをしていないので、サンプル数も少なすぎるし、対照群の設定もしていない等々、であるので……。

そんな思いでいたのであるが、『統計学という名の魔法の杖』(本田克也 浅野昌充 神庭純子著 現代社)を読み返して見ると、そこにある、南郷先生の「統計学をなんとしてでもわかりたい看護学生や初心者に本書を」や瀬江先生の「推薦のことば」、著者の「まえがき」を読み返してみると、『統計学という名の魔法の杖』に説かれること、説かれることを通して学ぶべきこと、端的には対象を原点からの過程性を持ったものとして視ること、をしっかりと自身の実力とすべきである、自身には未だそれが不足しているとの思いとなった。

それだけではなく瀬江先生が「推薦のことば」で述べられている、「これは(統計学の適用は……ブログ筆者)当初の予想をはるかに超える大きな成果を収め、統計学を適用することの見事さを実感することができました。」「しかし、それでも自身のアタマのなかには、まだモヤモヤとするものがありました。それは、たしかに統計学的手法を使うことによってこのように見事な結果はでたけれども、このような手法を、このように使ってよいという論理的根拠はあるのだろうか、それがはっきりしないかぎり、確信をもって使えない、という不安でした。」「そしてこの不安をふきとばしてくれたのが、その後『綜合看護』誌上に掲載された「統計学という名の魔法の杖」という本書の元になる論文だったのです。」ということが、自身にはそのままに東洋医学の、鍼灸の、経絡経穴の問題として置きかえて読める、と思える。

それゆえに、卒業研究を通して、不充分ではあっても統計学を実際に使ってみるという試しが、『統計学という名の魔法の杖』の内実が自身の実力と化してくれる一助となるのでは、と思え……。

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