鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

サルの描く「もどき像」について〜空手の事実で考える〜

2017-05-23 13:10:02 | いのちの歴史・社会の歴史・精神の歴史
サルの描く「もどき像」について理解するという過程で、南郷先生(や南郷学派の先生がた) の説かれることを、空手の事実で考えることの大事性、必須性を痛感する。

『新・頭脳の科学(上・下)』(瀬江千史 菅野幸子著 現代社白鳳選書)では、サルの描く「もどき像」について説かれる。(以下、青字は引用部分)

「これが前章で説いた「もどき像」の形成です。すなわち樹上において、樹木の枝に飛び移ろうとしたり、樹木の実をもぎ取ろうとした時に、自分も揺れ、対象も揺れる状況で、対象の像をしっかりとした像として反映するのは困難です。しかしそれでもサルは、飛び移るためには、あるいは樹木の実をもぎ取るためには、脳にきちんとした像をどうしても形成しなければならないのですから、これらのことがしだいに何とかそれらしき像、いうなればもどき像を形成する端緒になっていくのです。」(第三章 第三節 サルの脳の像形成の発展段階)

この一文を読んだ時、自身のアタマに浮かんだのは、空手の組手の場面であった。具体的には、「組手において、相手の隙を見つけて、あるいは相手の隙をつくって技を決めようとした時に、自分も動き、相手も動く状況で、相手の隙をしっかりとした像として反映するのは困難です。しかしそれでも自身は、相手の懐に飛び込んで技を出すには、脳にきちんとした像をどうしても形成しなければならないのですから、これらのことがしだいに何とかそれらしき相手の隙という像、いうなればこれが隙なんだとする、いうなれば(隙)もどき像を形成する端緒となっていくのです。」というような像が浮かんだ。

そのことで、「サルの描く「もどき像」」として説かれることが、なんとか具体性のあるものとして描くことが出来た。また、自身の空手が本当の強さが身につかなかったのは、ここの努力が薄かった、ここがこのような中身を持つものであると分かり得なかったから、とも思えた。

何よりも、南郷先生(と南郷学派の先生がた)の説かれることの理解には、武道、空手の事実での理解が必須であると思えた。

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