鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

『弁論術』(アリストテレス)に学ぶ〜技術としての手技療術・鍼灸術とは〜

2017-01-03 22:23:56 | 鍼灸術・手技療法術
 「弁論術が特定の種類のものだけを対象とするのではなく、弁証術がそうであるように、広くいかなるものをも対象とするということ......が、明らかとなった。それにまた、それ本来の仕事が説得をなしとげることそのことにあるのではなく、それぞれの問題にふさわしい説得の方法を見つけ出すことだ、ということも明らかである。この点は他のすべての技術の場合でも同じである。」「例えば医術であるが、その仕事は病人の健康を完全に取り戻すことにあるのではなくて、健康回復の可能なところまで病人を導くことにあるからである。つまり健康をすっかり取り戻すのが絶望的な病人であっても、医術はなお、有効な方法を見つけて適切な処置を施すことができるのである。」(アリストテレス『弁論術』戸塚七郎訳 岩波書店)

 アリストテレスの医術の、技術としての医術の捉えかたに、「アリストテレスは本当に凄い人だったのだなあ!!!」と心底、感心させられる。

 もしもアリストテレスが、自身の手技療術・鍼灸術の施術とそこに関わる認識を視るならば、自身が患者の治ること治らないことに一喜一憂している姿を目にしたならば、「否!君そうではないのだよ。君の行っている手技療術あるいは鍼灸術が、経験の積み重ねの段階にとどまらず技術としてのそれへと成っているのならば、あるいは成っているとの自負があるのならば、それらの本来の仕事は、施術して患者を完治させることにあるのではなくて、様々な病の段階にある患者にふさわしい施術をおこない、それぞれの患者の可能性のあるところまで回復させてやることにあるのだ、と分からなければならない。逆から言うならば、患者が完治するということは完治する可能性があったから完治したにすぎないとも言えるのだよ。」との指摘をし、続けて、「それが分かっていないから、あるいはそれが分かるだけのレベルにないから、患者の治った、治らないに一喜一憂してしまうのだ。君の手技療術・鍼灸術は、厳しく、正当に?いえば、わけも分からずに施術していて偶然に治ることがあった。というレベルでしかないのであり、決して、成果を予想しての、そのものの性質にあわせた手技・鍼灸の施術、つまりは技術としての手技・鍼灸の施術というレベルではないのだよ。そのような、技術というものがそうであるところのもの、が分かっているのならば、そしてそれをそのものに従っておこなおうとしているのならば、そんなに治療の結果に一喜一憂しないであろうに。」と、呆れられたであろうと......。

 今回取り上げたこと、自身の手技療術の初歩から現在に至るまでの、全過程を踏まえてしっかりと捉え返しておかねばならないと思う。また、技術ということの観点からも……と思う。理由は端的には、「技術というものが、それぞれの……にふさわしい方法を見つけ出してくれるもの」であろうからである。改めて詳細に書く予定である。
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