鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に、科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたいと思います。

卒業研究発表・予行演習〜像の無い言葉で考えることの恐さ〜

2017-06-02 07:56:48 | 卒業研究(耳鍼,統計学)
卒業研究発表の予行演習があった。グループ研究の意義を実感しつつも、中身の無い言葉を使うことの恐さを感じた。

鍼灸学校の行事である学術大会を目前に控えて、卒業研究発表の予行演習が行われた。発表されたのは、「Mテストの有効性について」「鍼灸の刺激に関わっての主観と客観の乖離について」「丹田(気海)への鍼灸施術について」そして「耳鍼について」であった。

それぞれに良く考えられており、「グループ研究」ということの意義を、まさに「三人寄れば文殊の知恵」なのだなあと感心させられた。また、「鍼灸の刺激に関わっての主観と客観の乖離について」は、(自身にとっては)認識論的に深めていける、いくべき問題提起であると思えた。

しかしながら、例えば、発表の中で「有意差」という言葉が頻りに使われるのであるが、本当に「有意差」ということの意味が分かって使っているのだろうか?……話の前後の脈絡からして……もしかしたらそれは日常語として、ただに「違いがある」「差がある」というレベルでの使い方であるのでは、でしかないのでは、と……。

「有意差」という言葉を使うと、何やら研究らしき雰囲気が出てきて、それはそれで結構なことなのかもしれないが、逆に、中身の無い「有意差」という言葉を使ってしまうことで、対象の構造に分け入ることを妨げているのではないのかと、中身の無い言葉を使うことの恐さを、自身の問題としても痛感された。

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