散文的で抒情的な、わたくしの意見

たぶん歴史の話が多く、それからドラマの話など書くと思います。コメントやトラックバック、対応できませんがご自由に。

下天のうちを比ぶれば、、または化天のうちを比ぶれば

2017年03月06日 | ドラマ
信長はやはり「中世の破壊者」であって欲しいと思います。中世を破壊し、近世の扉を開いた男であってほしい。

最近は「史実」なるものを持ち出して、信長イメージを変えようという人が多いですが、その「史実」なるものにも、怪しいものが多く、ただ従来のイメージを変えたいがために、小さな史実を拾いあげて「新解釈」に酔っている「学者さんもどき」が多いようにも思えます。

人間五十年下天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
ひとたび生を受け
滅せぬもののあるべきか

人の世の五十年の歳月(人間の寿命)は、下天という天上世界ではたった一日にすぎず、
夢幻のようにはかないものである。
ひとたびこの世に生まれ、死を迎えないものはいるだろうか、いや、いない。
だからこそ、、、。

初めて解釈を考えてみました。「だからこそ」以下は例えば「悔いなく生を燃やし切ろう」となりますが、そこは各人の解釈にまかせたほうがいいと思います。

中学生のために書くと、人間は「人の世」です。それから下天は正確には「化天」です。でも信長公記では「下天」と書いてある。だから下天を天の下の人間世界と間違えることがありますが、下天でも天上世界の一つです。一般にはもっとも下の方の天上世界と解釈されます。でもそうすると一番下のレベルだから「四大王衆天」ということになる。「化天」ってのは上から二番目で、結構レベルが高い。あ、どうやら僕もよくわかっていないようです。あとは学者さんの説を検索してください。

この人間五十年と並んで信長関係で有名な歌は、

死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすのよ。でしょう。一定は「いちじょう」です。「死のう」は「死なむ」のウ音便化でしょう。

死ぬべき定めは決まっている。私が生きていたことを後世の人がしのぶものとして、生きている間に何をするべきだろうか。とにかく何かをなすことだ、そうすれば人は語り伝えてくれるだろう。

かなりテキトーですが、こんな感じでとらえています。

死のうは一定、の方はあまりドラマに出てこないので、今回の大河では採用してくれないかなと思います。


「うぬがことごとく有難たがる、古き世の化け物どもを、ことごとく叩き壊し、すりつぶして、新しき世を招きいれるこそ、この信長の大仕事よ、その為には仏も死ね。」


これは比叡山焼き討ちのシーンで信長が「よく言っていた」セリフで、私は大好きなんですが、最近はこの言葉をなかなか言ってくれません。

仏も死ね、がいけないのでしょうか。それともあまりに定番になりすぎたため、演出家が「ためらう」のでしょうか。

話はちょっとそれますが、「親に会っては親を殺し、仏に会うては仏を殺し」

時代劇の中で不退転の決意を表明するときの名セリフですが、これも最近は聞きません。親殺し、仏殺しがいけないのでしょう。ドラマの世界の話なのに。

さて、信長のお話。

最近は、演出家や脚本家が司馬さんに縛られすぎて、なんとか司馬さんの信長とは「違う信長」を描こうとするあまり、かえって凡庸な信長に堕ちてしまっている気がします。

「おんな城主」では歌舞伎役者の海老蔵さんが信長を演じるようです。全体に少女漫画風なので、期待はしませんが、歌舞伎役者起用なのだから、せめて人間五十年の「舞」ぐらいはしっかりと舞ってほしいと願っています。
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