Kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

2017年6月15日……

2017-06-16 22:48:03 | せいじの政治カフェ

1960年の6月は連日連夜国会前へ、と出かけていました。出かけていました、というより毎回日比谷からのデモ行進に参加していたものです。それに比べると今回の闘いでは14日の一回だけ、滝本さんの声かけに応えた時だけでした。それで、今夜も滝本さんのフェイスブックから、

 

 

もうお一人、上田市の我が実家の近くの市議会議員わたなべさんのフェイスブックから、これは上田市駅前での行動、

そして、信濃毎日新聞と赤旗の紙面

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確かに1960年台は (chidori)
2017-06-17 10:08:08
第一次・・から毎日のように出かけました。
自転車で8キロの保育園は田舎山奥でした。隣に派出所があり・私はそこでもらい湯をしていたのです。ずいぶん不用心な関係でした。ある日私がその交番のブラックリストに載っていると、あまり賢そうでないおまわりさんの奥さんが教えてくれました。
ブラックリストってなんのこと。19歳の娘は何も知りませんでした。
「私ね明日は三池の10万人集会に行くのよ」きっと賢くない私はその〃くらい賢くない奥さんに話したのではないかと思います。「それはご苦労様ね」と行ったかどうか覚えていませんが・・・

その時のバスの中で『頑張ろう』という歌が生まれたばかりで、小学校の教師だったTさんが歌唱指導したのを覚えています。

そのあと荒木栄や森田八重子とお友達みたいになりました。(申し訳ない)

時々実家に帰り(保育園に住み込みだったので)母に安保の集会の話をすると
本当に今の政治はよくない、岸内閣がよくない。と言って私を激励してくれた母でした。(母も私と同じあまり賢くなかったのでは?普通の母は叱ります。そんなところに行くと大変なことになるよと」
23次ぐらいも覚えています。おそらく一度も欠かしてない。
樺美智子さんはいつだったかしら・・・
「同志はたおれぬ」を歌いましたよ。

今朝国連のジュネーブ会議に行っている東京の友人(ゆくはし出身の仲間)長いメールが来ました。
いま日本は大変なことになっているらしいね。こちらでは新聞も手に入らないし・・」彼女は私が上京した6月4日から 外国へ行くので会えなかったのです。参議院を1期だけ務めた人です。

あっつい長話でした。何もつぶやけない自分が・・。55年前と違う自分が・・年ですというとカエルさんは変わっていないですね。
でも評論家にだけはなりたくない。人のせいにだけして逃げたくない。いろいろ党派を超えて頑張っている人たちには敬意を表します。
 やり方は違っても共通のこの法案は通してはならない人は手を結ぶべきです。
政治家だけのせいでない。
 今日は忙しいのよ。・・と言っても放送の準備です。昨日遊んだので・・・。
母親 (kaeru)
2017-06-17 18:11:03
樺美智子さんがやられたのは、1960年の
6月15日です。そういう状況のなかですか
ら、普通の母親でしたら「行くな!」と
言うでしょう。

私は母親からまるで離れていたし、便りも
しないし親として判断外だったでしょう。
それでも兄の古い日記に選挙で「共産党」
に入れてくれ、と手紙が来たとありまし
た、まるで記憶がないのですが。

chidoriさんのお母さん、良い母と子関係
だったと思います。本当の母親としての
賢さを持っていたのです。

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