kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

昨日の続き……の続きです。

2016-10-30 21:06:46 | せいじの政治カフェ

   昨日は不破哲三さんの子ども向け講義〝山登りのすすめ〟連続五日間所要時間5分弱の第1話第2話でした。今夜は第3話からはじめますが、その前に登山靴の話を……。

   それはね、第1話で「登山靴を買ってちょうど今年で11年になるんです…、」って不破さんが話してるでしょ、それでね、この本『私の南アルプス』のここを紹介したくなったのです。

 

   運動靴から登山靴へという「労働手段の発展」の話です。それに「高い山への意欲がいつの間にか蓄積されてきて、それがその気にさせた」というように、無意識の蓄積が意識化されるという人間心理の弁証法の話でもあります。

   横道無駄口は止して、講義の実況へと移ります。


第3話  題「やまをのぼる」  テーマ「ひとはしぜんとのかかわりのなかでいきている」

   「めざすのは頂上ですけれども、その途中がとってもいいんですね。花もあれば緑もいっぱい。歩いているだけでいろんな動物に出会えるし、そこらへんにある岩や石もなかなかかっこういいんですよね。

   そして山を歩いていると、ほんとうに自然のすごさ、大きさ、そのなかで人間がいきているということを実感しますよね。

   なかなか都会で暮らしていると感じないものですけれど、やっぱり人間は自然のなかで生まれて、自然とのかかわりのなかで生きている、この実感が大切だと思います。じゃ、また明日」

第4話  題 「やまのちょうじょうにはなにがあるの?」  テーマ「ちょうじょうにはもののみかたをかえてくれるなにかがある」

  「街にいるとまわりしか見えないでしょ。しかし山の頂上にたどり着くとほんとうに新しい世界が見えてくるんですね。

  遠くの山がおりかさなって見える。海が見えるときもある。平野や街も見える。ほんとうに日本を見てるなあって感じがするもんです。空も山の頂上から見るとうーんと大きくて広いんですよね。

  世界を大きな広い目で見るってことはほんとうに大切なことなんです。それでものの見方がかわってくるってこともあるんですよね。みなさん、山に登って少しものの見方をかえてみたらどうでしょう。じゃ、また明日」

第5話  題「やまをおりるゆうき」  テーマ「やまをおりるゆうきですあたらしいやまにのぼるゆうき」

  「頂上は楽しいんですけれども、いつまでもいるわけにはいかないんですよね。あたらしい山に登るためにも思いきっておりる必要があります。

  そしてまた次の山登りの計画をたてましょう。新しい山でもいいし、同じ山になんども登るのも新しい発見があって楽しいものですよ。

  みなさんもぜひ山に登って、人生に役立ついろんなことを感じたり学んだりしてください。じゃあ、今度は山でお会いしましょう、そのときは〝こんにちは〟ってあいさつしましょうね。

  みなさん、山に登りましょう。では、さようなら」

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昨夜の続きで……。 | トップ | マルクスの字、不破さんの字。 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山歩き4年生ですが (chidori)
2016-10-30 23:03:47
じつにわかりやすいお話ですね。私は登山靴は30代のころかいましたのでもう40年になります。夫と霧島の山々によく上りました。

70歳過ぎて歩こう会に入ったので人生を感じながら歩いています。また人との関わりが少し苦手なので 一定距離を置くことも一つの方法だと思うようになりました。
特に山登りは自分が頼りです。自分のことを責任持たないと人に迷惑になることと結びついています。

あれれまた本題からはづレてしまいました。おやすみなさい。
本題です。 (kaeru)
2016-10-30 23:31:13
外れてません、ドンピシャ本題です。

山を知ることは人生を知ること、というの
が不破さんの言いたかったことでしょう。

山を共に歩く連れ合いも人生と同じ、そし
て自力をつけることの大切さを自覚するの
も山歩きなのでしょう。

その辺をゲストになって「てんがらもんラ
ジオ」で語って下さい。
信州の田舎者は (屋根裏人のワイコマです)
2016-10-31 12:14:55
山には 登る山 と 歩く山とあり
登る山は、精々50回くらいしか登ってません
小学生の頃まで本家の隣に住んでましたので
祖父母や両親に連れて行かされて子供用の
背負子を作ってもらって片道2時間くらい
枯れ枝や松葉を背負子にいっぱい縛り付けて
冬の暖房の糧としてました、そんな時に
父親たちは 霞網で野鳥をとったり
罠で狐やうさぎを取ったりしてました
私の山は 生活の場で自然とともに生きる
場所でした・・なので登る山に行くように
なった時・・山の神の存在が更に強くなって
後輩たちが昭和42年8月1日西穂独標で落雷にあい11人が犠牲13人が大怪我を・・
以来登山は半減して山歩きに徹してきました
ただ 重いリュックを背負い歩いている時
いろんなことを考えながら・・いっときの哲学者になれる喜びもまた楽し
それは頂上を極めることよりも大切に感じることがある。
いろんな人間のいろんな考えや思いがあつて当然ですが・・
最近の山は・・なんとなく怖い。
 
山の恐ろしさ (kaeru)
2016-10-31 14:13:06
不破さんの子ども向けの山の話第5話は
「やまをおりるゆうき」という話でした。
そこにはなかったのですが、「おりる」
には「登らない」もはいるでしょう。

山の素晴らしさを知る人は、山の恐ろし
さも知る人です。自然の素晴らしさには
自然の恐ろしさが奥深く潜んでいます。

人命優先を山に求めるわけにはいきませ
ん、あくまでも人間の知恵です。それは
人生・社会の有り様でも同様です。

山に向いて学ぶことあり、山は有り難きかな、です。

コメントを投稿