昨日に続いて「おくのほそ道」の話。
飯坂は「おくのほそ道」には飯塚とあります。 温泉地で芭蕉はここで泊まっ
たのですが 「湯に入て宿をかるに、土座に筵(むしろ)を敷きて、あやしき貧
家なり」 と記し、さらに寝ていると雷鳴に雨その雨が漏れ、おまけに蚤・蚊に
責め立てられ眠れない、と大変な目にあっていました。
現在の飯坂温泉はもちろん当時の湯治場飯坂の名誉のために付け加えて
おけば、「宿泊所がみな芭蕉が泊まったようなひどいところでもないようで、三
浦迂斎(芭蕉より73年後にここで泊まった播磨国の製塩・廻漕業者)は十三
日間も優雅に過ごしています。(金森敦子『芭蕉「おくのほそ道」の旅』)
白石が震災で受けた被害について昨日触れました、白石は内陸部ですから
津波の被害はありませんでした。芭蕉は白石の次仙台に泊まり、そこから塩釜
泊まり、そして松島へと向かいます、松島の次は石巻です。
この区間がまさに大津波に蹂躙された街と人でした。
芭蕉ならぬ俳人・長谷川 櫂さんが詠んだ短歌があります。
その歌集の第一首は
二〇一一年三月十一日
津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくる瀑布
二頁目
夢ならず大き津波の襲ひきて泣き叫ぶもの波のまにまに
三頁に
乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつ
140頁280首の「歌の力」を示す一冊です。